2025年7月27日日曜日

ヨハネ17:1~26 主イエスの祈り  

 主イエスはゲッセマネの園に行く前に祈られました。

これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。」(ヨハネ17:1)

ゲッセマネでは地にひれ伏して悲壮な思いで祈られましたが、ここで主イエスは目を天に向け(17:1)、ご自分の栄光を現わしてくださいと祈られました。(1節、5節)それにより父なる神の栄光が現わされることを願い求めました。

栄光とは何でしょう。普通は、成功、勝利、喝采を伴いますが、主イエスの求めた栄光とは十字架の死を全うすることでした。痛みと侮辱と孤独の死を謙虚に受け入れ、人を赦し、平安を持って使命を全うして、父なる神に栄光を現わしたいと願われたのです。

主イエスの公生涯は父なる神の栄光を現わすためにありました。(4節)ご自分のいのちを捨てて人々に永遠の命を与えようとされました。(2~3節)

あなたは仕事や生き方で神の栄光を現わしたいと願いますか。

 

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。(ヨハネ17:11)

 今まで、十二弟子は気づかなかったのですが、ずっと主イエスに守られてきました。(12節)主イエスはこの世を去った後も十二弟子を守りたいと願われました。

主イエスは私たちを苦しみから取り出す方法ではなく、困難の中にあって守られるように願われました。(15節)そのために十二弟子を聖別して下さいと祈られました。みことばにより心と生活を神のために選び分けて頂き、この世の汚れに染まらず、この世の荒波に飲み込まれないようにと今も主イエスは祈っておられるのです。

今のあなたの荒波は何ですか。主イエスは大きな愛の手であなたを守っておられます。

 

父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。(ヨハネ17:21)

 21~23節で繰り返されるのは、一つにしてくださいとの祈りです。父なる神と主イエスは一つです。それと同じに、私たちと主イエスが一つになれるようにと主イエスは祈られました。二人がひとつになると深い共感が生まれます。同じ目標、強い情熱、二人ゆえの力の結集、支え合う友情の絆、三つ撚りの糸になれるのです。主イエスは私たちともっと強くつながりたいと願われました。私たちの側からも主イエスと一つになる願いを強く持ちましょう。

 このような関係が私たちと主イエスとの間にできると、世が造られる前に主イエスが持っておられた本来の栄光に私たちも気づくようになります。(5、24節)

 主イエスは、ご自分の逮捕や拷問の前に、今後の十二弟子を心配されて父なる神におゆだねになりました。主イエスの愛と配慮は最後の最後まできめ細かに残されていました。

 あなたも主イエスに祈られています。

 □神の栄光を現わす人生 
 □私たちは主イエスに守られている
 □もっと主イエスと一つになりたい


2025年7月20日日曜日

ヨハネ16:17~33 悲しみが喜びに 

「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」(ヨハネ16:16) 

主イエスの謎のようなこの言葉は、十二弟子が十字架の死の悲しみに耐え抜くヒントを与えるためでした。 

「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(ヨハネ16:20)

十字架の死を目の当たりにしたら弟子たちは立ち上がれそうにありません。でも、悲しみは喜びに変わる、と主イエスは断言されました。人生で誰しもが苦しみと悲しみを経験します。復活の主イエスが共におられるなら、悲しみさえ喜びに変わるというのです。誰もその喜びを奪い去れないのです。

十二弟子たちは主イエスと過ごした3年間、困ったことに出会ったら父なる神に直接祈ることはしませんでした。ペテロの姑が熱病にかかっていたら主イエスに癒しを願いました。嵐のガリラヤ湖で舟が沈みそうになったら寝ていた主イエスを起こして助けを求めました。

主イエスが地上を去り、弟子たちの手の届かないところに行かれた時、困難に出会ったらどうしたらよいのでしょう。主イエスは、わたしの名によって父なる神に祈ればいいと教えられたのです。(私たちはクリスチャンは既にずっとそう祈ってきました) 

「今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。」(ヨハネ16:24)

神は若きソロモン王に「あなたに何を与えよう。願え」(第一列王記3:5)と言われましたが、あなたは主イエスに今、願いますか。

 たとえや謎ではなく主イエスが直接説明して下さったので、弟子たちは信仰理解が深まり、喜びが高まりました。(25~30節)

 そして主イエスは十字架の苦難を前にした心境を語られました。それは、弟子たちに勇気を与えるための言葉でもありました。

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33) 

今日の箇所は、主イエスの逮捕を間近にひかえた十二弟子に対して心を強くせよと主イエスが励まされた箇所でした。

主イエスは十二弟子に見捨てられ一人で十字架につかれましたが敗北ではありません。十字架の上で極悪人の友となり彼をパラダイスに導かれました。

主イエスはこの後逮捕され拷問を受け辱められましたが敗北ではありません。十字架の上でその彼らを赦す祈りをされました。

主イエスは自由を奪われ十字架に釘付けにされ命を取られますが敗北ではありません。すべての人々の罪を身代わりに負い贖いを完成され罪と滅びから人々を自由にされました。

死からよみがえられた主イエスこそ真の勝利者なのです。

□悲しみは喜びに変わる 
 □主イエスの名で求めよう
 □主イエスは勝利者

ヨハネ20:1~18 ラボニ

 「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」(ヨハネ20:2)   マグダラとはガリラヤ湖西岸の町の名で、ティベリアの北にあります。マグダラのマリアは、ルカ8:2によると7つの悪霊を追い出して病気を癒してもらった人で、マタイ27...