ペリシテ人は集まって、シュネムに来て陣を敷いた。サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。(第一サムエル28:4~5)
ペリシテ軍は海岸沿いを北上、イスラエルの背後を突く形でイズレエル平原に現れました。南北を貫く山脈の中で唯一の平原に大軍を結集し、一気に攻める作戦だったようです。慌てたサウルとイスラエル軍は防戦のためギルボア山を背にして陣を敷きました。サウルがギルボア山から敵陣を見下ろすと、その圧倒的な兵力差に愕然となりました。心が激しく震えるほど自分の死を恐れたのです。
サウルは神の助けを求め、何らかのアドバイスを聞こうとして色々な方法を尽くしましたがダメでした。「主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。」(6節)主は既にサウルから去っておられたのです。(16節)サウルはその事実すら気づていなかったのです。
サウルは霊媒を使って死んだサムエルの声を聞こうとしました。サムエルなら神のアドバイスを伝えてくれるだろうと考えたのでしょう。そもそも霊媒や口寄せを使うことは律法で禁じられた行為でした。(申命記18:10~12)サウルのしたことは神の口を無理やり開けさせるようなやり口で、無礼、不信仰、自己中心の極みでした。
サウルは、夜中に、変装し、敵陣近くのエン・ドルに、危険を犯して、二人の部下だけ連れて出かけました。(7~8節)王服を脱ぐ行為はとても象徴的です。「主に油注がれた者」の立場を自ら捨てたからです。
霊媒の女は、「サムエルを見て大声で叫んだ」(12節)とあります。いつもと勝手が違いとても狼狽しました。サウルが「何を見たのか」と言っているので、サウルにはサムエルは見えず、霊媒の女からは「神々しい方が上って来る」(13節)のが見えたようです。
サウルは「主に油注がれた者」でした。主の霊が激しく下り、新しい人に変えられ(10章)、ヤベシュ・ギルアデの人々を救うため先頭に立って戦ったのです。(11章)今のサウルには、主の戦いという意識は無く、イスラエルの人々を助けたいという理想もなく、自分だけが助かりたい一心でした。サムエルが、あなたと息子は明日死ぬ(19節)と言ったので、サウルはショックのあまり気絶して棒のようになりました。
あなたの番です。
サウルのようにならないために、どうしたらよいでしょうか。
それは、普段から主のみ声を聞き続けることです。
少年サムエルは夜中に主のみ声を聞いた時に、お話ください、しもべは聞いておりますと応答しました(第一サムエル3章)。その姿こそサウルに必要な態度であり、サムエル記が私たちに伝えたい中心テーマなのです。
日常的に主の声を聞く人は、困難な事が迫った時も主のみ声を正しく聞き取ることができるのです。
「人は自分の道を思い巡らす。
しかし、主が人の歩みを確かにされる。」(箴言16:9)
□いつも主の声を聞こう
□間違った方法は選ばない
□恐れのある時も、主の声を聞き、主の道を進もう