2026年7月26日日曜日

第一サムエル31:1~13 夜通し歩いて

「さて、ペリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺されて倒れた。」(第一サムエル31:1)

 ペリシテ軍はイズレエル平原を戦場に選び、大軍を集結させ、海岸側から攻めていきました。イスラエル軍はペリシテ軍に回り込まれないように山を背にして守りに徹しました。

 ペリシテ軍は堂々とした押し相撲で東に進み、イスラエル軍は防戦できず、ギルボア山の頂上付近まで追い詰められました。ヨナタンを含むサウルの息子三人が亡くなりました。(2節)

 「攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼を狙い撃ちにしたので、彼は射手たちのゆえにひどい傷を負った。」(3節)

 サウル王は体に何本も弓を受けて瀕死の状態になり、自分の剣の上に倒れ込み自害しました。(4節)

 祭司サムエルが亡くなった時、「全イスラエルは彼のために悼み悲しみ」(第一サムエル28:3)と記録されていますが、サウル王の場合は国民の悼み悲しむ姿は見当たりません。

 遠く南部の町ツィクラグにいたダビデがサウル王に剣を抜く必要がなかった事は何よりも大きな主のあわれみでした。

 あなたの番です。あなたの人生で受けた主のあわれみは何ですか。静かに感謝しましょう。

 戦いの翌日、ペリシテ人はサウルの遺体を発見、彼の武具は帰還した折にアシュタロテの宮に奉納しました。遺体については、首と遺体は戦場に近いベテ・シャンの城壁にさらしました。

 「ヤベシュ・ギルアデの住民は、ペリシテ人がサウルに行った仕打ちを聞いた。そこで勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。彼らはその骨を取って、ヤベシュにあるタマリスクの木の下に葬り、七日間、断食した。」(第一サムエル31:11~13)

 第一サムエルの最後のシーンは、サウル王に深い恩を感じていたヤベシュ・ギルアデの人々による勇気ある行為と心を込めた埋葬の場面で終わります。サウルの勇気と信仰によりアンモン人から救われた事を忘れなかったのです。

 サウルの死に際して、聖書はサウルの愚かさや破滅の理由を述べません。むしろ、ヤベシュの人々の行為を通して、サウルが一番輝いた瞬間に光を当てています。

 神のフォトアルバムには私たちが最も輝いていた時の写真が飾られているのかもしれません。主はあわれみはつきないのです。

 □ダビデは主に油注がれた者を殺害せずにすみました
 □ヤベシュの人のように、受けた恩を感謝しよう
 □あなたが輝いた一コマは、誰かの心に必ず刻まれる 

2026年7月19日日曜日

第一サムエル30:1~31 大変な苦境   

ダビデは3日かけて北部から南部の町ツィケラグに戻りました。ところが町は焼き払われた後でした。アマレク人に襲われ、妻や子供たちは誰一人いませんでした。男たちもダビデも泣きました。(第一サムエル30:1~4)

 ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。(第一サムエル30:6)

 混乱した兵士たちはダビデを逆恨みしてダビデを殺そうとしました。けれどもダビデは兵士たちを敵とみなしません。兵士たちへの対処や命乞いではなく、どうしたら家族を救い出せるかに焦点を当てました。ダビデが素晴らしいリーダーであることがこの姿勢で分かります。

 1年4か月間、ダビデの意識から消えていた「主」がここで久しぶりに現れました。(6、8、23、26節) ダビデに「自分の神」という意識が戻りました。復讐心で怒りが爆発したのではなく、主から頂いた勇気と希望によって心が奮い立ったのです。

 あなたの心よ、主によって奮い立て!

 困難な状況で、追いかけようとする原動力は何でしょう。主を見上げることです。主への信頼です。主の導きを知ることです。主から励まされることです。ダビデは祭司を通じて主のみこころを尋ねました。

 ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」(8節)

 主は応援団となって声をかけて下さいました。

 あなたの番です。
 追いつくことは難しいと思う事が目の前にありますか。主の導きを求めましょう。主はあなたにも、必ず追いつくことができると言って下さいます。

 疲れた体に鞭打ち、ダビデたちは南下しました。ベソル川は珍しく増水していて、200人はその手前で脱落しました。400人でアマレク人を追うと、エジプト人奴隷を発見しました。彼の道案内で敵を見つけるとお祭り騒ぎの真最中でした。夕暮れに急襲し、妻や子供や財産を取り戻せました。大量の戦利品も持ち帰ることができました。(9~20節)

 その戦利品はヘブロンを含むユダの町々に届け、イスラエルに帰還する布石を打ちました。ダビデは後に、ヘブロンで7年間王となります。(第二サムエル5:5)

 ダビデは、疲れて戦えなかった者にも分け前を与えるという公平で寛容な方針を打ち出しました。(23~25節)川の手前で力尽きた仲間をいたわったのです。

 「ダビデは自分の神、主によって奮い立った。」

 □試練の中で目覚める信仰
 □主によって奮い立て
 □必ず追いつける

2026年7月12日日曜日

第一サムエル29:1~11 穏やかに帰れ

ペリシテ人はイスラエルを徹底的にたたくと決め、大軍を北部の平原に集めました。アキシュ王はダビデに警護を依頼しました。(第一サムエル28:1~2)

 ダビデには以下の3つの選択肢があり、決めかねていたようです。①イスラエル人と戦い殺害する。②親切にしてくれたアキシュ王の首をはねる。③戦場から逃げ出す。戦いの前日、ペリシテの領主たちがダビデに気づき、アキシュに抗議しました。

 
「この男を帰らせてほしい。あなたが指定した場所に帰し、私たちと一緒に戦いに行かせないでほしい。戦いの最中に、われわれに敵対する者となってはいけない。この男は、どのようにして自分の主君の好意を得るだろうか。ここにいる人たちの首を使わないだろうか。」(第一サムエル29:4)

 アキシュは3節のようにダビデを弁護しましたが領主たちは納得しません。アキシュが渋々了承すると、ダビデは怒った上で承諾、決戦の日の早朝、部下を連れて帰還しました。(8~11節)アキシュはダビデの機嫌を取るようにして言いました。「穏やかに帰ってくれ」(7節)ダビデは内心ほっとしたはずです。

 第4の道があったのです。神のあわれみが鮮やかに注がれたのです。「彼はわれわれと一緒に戦いに行ってはならない」(9節)はペリシテ領主たちの言葉ですが、神がダビデに直接警告しているかのように聞こえます。ダビデよ、あなたはペリシテ側で戦う者ではない、主の戦いを戦うのだと。ダビデは神のあわれみに気づいていたでしょうか。

 嘘をつき、残虐な行為を隠れてしていたダビデでしたが、そんなダビデにも主のあわれみが現わされました。

 罪深いあなた、信仰レベルが下がっているあなた、弱り果てているあなた、そんな人にこそ神のあわれみが降り注ぐのです。「主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」(哀歌3:22~23)

 そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。あなたは真っ直ぐな人だ。あなたには陣営で、私と行動をともにしてもらいたかった」(6節)

 3、6、9節でアキシュはダビデの正しさを繰り返し述べています。ダゴンの神の礼拝者アキシュ王が「主は生きておられる」と主の名をたたえ、ダビデを「真っ直ぐな人だ」と言いました。残虐行為を繰り返し、アキシュを騙していたダビデなのにアキシュはダビデが正しいと認めたのです。

 罪人を正しいと宣言する。これは新約聖書における「義認」の構図にそっくりです。神は、私たち罪人をキリストの十字架でおおって正しいと認めて下さいます。ダビデはアキシュの言葉を聞き、恥じ入り、心を痛めたことでしょう。

 「主が私に救いの衣を着せ、正義の外套を着せ」(イザヤ61:10)

 神のあわれみは、私たち罪人に注がれています。

□神のあわれみは罪びとの上に
□正しいと神が宣言して下さる
□神のあわれみに感謝しよう


2026年7月5日日曜日

第一サムエル28:1~25 サムエルを呼び出す

ペリシテ人は集まって、シュネムに来て陣を敷いた。サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。(第一サムエル28:4~5)

 ペリシテ軍は海岸沿いを北上、イスラエルの背後を突く形でイズレエル平原に現れました。南北を貫く山脈の中で唯一の平原に大軍を結集し、一気に攻める作戦だったようです。慌てたサウルとイスラエル軍は防戦のためギルボア山を背にして陣を敷きました。サウルがギルボア山から敵陣を見下ろすと、その圧倒的な兵力差に愕然となりました。心が激しく震えるほど自分の死を恐れたのです。

 サウルは神の助けを求め、何らかのアドバイスを聞こうとして色々な方法を尽くしましたがダメでした。「主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。」(6節)主は既にサウルから去っておられたのです。(16節)サウルはその事実すら気づていなかったのです。

 サウルは霊媒を使って死んだサムエルの声を聞こうとしました。サムエルなら神のアドバイスを伝えてくれるだろうと考えたのでしょう。そもそも霊媒や口寄せを使うことは律法で禁じられた行為でした。(申命記18:10~12)サウルのしたことは神の口を無理やり開けさせるようなやり口で、無礼、不信仰、自己中心の極みでした。

 サウルは、夜中に、変装し、敵陣近くのエン・ドルに、危険を犯して、二人の部下だけ連れて出かけました。(7~8節)王服を脱ぐ行為はとても象徴的です。「主に油注がれた者」の立場を自ら捨てたからです。

 霊媒の女は、「サムエルを見て大声で叫んだ」(12節)とあります。いつもと勝手が違いとても狼狽しました。サウルが「何を見たのか」と言っているので、サウルにはサムエルは見えず、霊媒の女からは「神々しい方が上って来る」(13節)のが見えたようです。
 
 サウルは「主に油注がれた者」でした。主の霊が激しく下り、新しい人に変えられ(10章)、ヤベシュ・ギルアデの人々を救うため先頭に立って戦ったのです。(11章)今のサウルには、主の戦いという意識は無く、イスラエルの人々を助けたいという理想もなく、自分だけが助かりたい一心でした。サムエルが、あなたと息子は明日死ぬ(19節)と言ったので、サウルはショックのあまり気絶して棒のようになりました。

 あなたの番です。
 サウルのようにならないために、どうしたらよいでしょうか。
 それは、普段から主のみ声を聞き続けることです。

 少年サムエルは夜中に主のみ声を聞いた時に、お話ください、しもべは聞いておりますと応答しました(第一サムエル3章)。その姿こそサウルに必要な態度であり、サムエル記が私たちに伝えたい中心テーマなのです。

 日常的に主の声を聞く人は、困難な事が迫った時も主のみ声を正しく聞き取ることができるのです。

「人は自分の道を思い巡らす。
  しかし、主が人の歩みを確かにされる。」(箴言16:9)

 □いつも主の声を聞こう
 □間違った方法は選ばない
 □恐れのある時も、主の声を聞き、主の道を進もう


第一サムエル31:1~13 夜通し歩いて

「さて、ペリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺されて倒れた。」(第一サムエル31:1)  ペリシテ軍はイズレエル平原を戦場に選び、大軍を集結させ、海岸側から攻めていきました。イスラエル軍はペリシテ軍に回り込まれないように山を背...