今日はイースターです。主イエスの復活をお祝いします。主は生きておられます。
コリント教会は、未熟なクリスチャンばかりの教会で、仲間割れ、性的罪、教会員同士の告訴、礼拝の混乱、互いの違いを尊重できない状態でした。
「あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。」(第一コリント15:1)
パウロはそうした個別の問題に対処しながら、解決の糸口は土台となる福音理解にあると着目していました。それで、自分たちの立っている足元に目を向けさせたのです。
「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(3~5節)
最も大切なものは福音です。では福音とは何でしょう。
キリストの十字架と復活です。
十字架は哲学やイデオロギーではありません。歴史の教科書にも記述されているように歴史的事実なのです。
当然のことですが、すべての歴史的事実が私たちを救うわけではありません。桶狭間の戦いがあったと知っただけでは歴史知識が増えただけで人生に何の変化も与えません。
「聖書に書いてあるとおりに」と二度も書いてあります。
神が私たちのために十字架と復活を準備され、預言者たちによって知らせていたということが聖書の記述から分かるのです。福音は神が備えて下さった人生の最適解であり、私たちにとって最も大切なものなのです。
「私たちの罪のために死なれたこと」と書かれています。
ここが大事なポイントです。主イエスが十字架で死なれたのは、単なる歴史的事実ではないからです。
あなたや私のような罪人を主イエスが見捨てることなく、そのまま愛し、救おうとして主イエスの命を捨てて下さったのです。現代に生きる私たちは遅まきながらも主イエスの愛を知り、イエスさまごめんなさい、イエスさまあなたに感謝します、主イエスは私の救い主ですと自然に言うことになります。
すると、どうなるでしょう。十字架で死んで終わらず3日目によみがえられた主イエスは今も生きておられるので、私たちの言葉、祈り、心を聞いて、それを受け止めることが可能なのです。主イエスと私たちの間に人格的交流が始まります。主イエスの命が私たちの内に注がれるようになり、神の救い、罪の赦しが私たちに適用されていくのです。
5~8節でパウロは、たくさんの証人の名を連ねて主イエスの復活が紛れもない事実であると説明しています。
ペテロをはじめ十二弟子は復活されたイエスさまに会いました。しかも何度も。エルサレムで祈りながら聖霊が降るのを待っていたクリスチャンたちが120名いましたが、主イエスの復活に出会った証人はさらに多くて500人を超えており、しかも同時刻に会っています。(6節)復活から20年たってパウロはこの手紙を書いていますが、そのほとんどの人が生き残っていました。主イエスの弟で最後まで主イエスを拒んでいたヤコブにも主イエスは姿を現わされ(7節)、ヤコブはエルサレム教会の指導者になりました。そして、主イエスと信仰者たちを憎んでいたパウロも主イエスは現れて下さいました。主イエスはよみがえられたのです。主イエスが十字架で死なれたことは無駄死にではなく、復活によって私たちの罪の贖いは完了したのです。そして、主イエスは今も生きておられ、私たちに新しい命、永遠の命を与えて下さるのです。ハレルヤ!
「この福音によって救われます」(2節)と書いてある通り、福音によって人は救われることができるのです。
□福音は生活と人生の土台となる
□十字架と復活、それが福音
□福音を受け入れる時に救われる
□良き知らせ(福音)は宣べ伝えるもの