2026年4月19日日曜日

第一サムエル18:1~30 嫉妬 

サウル王は嫉妬しました。あなたも今、誰かを嫉妬していませんか?

主イエスは人の心から出て来る悪いものリストに「ねたみ」を入れておられます。(マルコ7:22)嫉妬は周囲の人を傷付けるだけでなく、ねたむ本人を汚し歪める罪の一つです。

 女たちが歌い踊りながらサウル王の凱旋行列を迎えました。サウルはその歌詞を聞いて激怒し不機嫌になりました。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(第一サムエル18:7)と歌っていたからです。

 嫉妬したサウルは、ダビデを槍で二度殺そうとしました。(10節)次に、自分の娘メラブと彼を結婚させようとして、「主の戦いを戦ってくれ」(17節)と圧力をかけ戦死を期待しました。ダビデが勝ち残ったので娘を別の男に嫁がせ、最後に、次女ミカルのダビデに対する恋愛感情を利用し、ペリシテ人100人を殺せば花嫁料を免除すると噂させ、敵に殺させようとしました。(25節)これも失敗しました。

 ダビデは強力な助っ人、頼れる部下、忠実な兵士なのに、サウルは彼を喜べません。王位を脅かすと恐れたのです。「サウルはダビデを恐れた」(12)15節でも29節でもサウル王はダビデを恐れたと書いてあります。一方ダビデは王を恐れていません。

 嫉妬を止めましょう。嫉妬の反対の心を養いましょう。
 嫉妬の反対語は、友情です。フレンドシップを作るのです。挨拶を自発的にして、相手の良い点を認め、尊敬し、心のつながりを大切にするのです。職場でも、家庭でも、何歳からでも、新たな友情を築くことができるのです。

 サウル王の息子ヨナタンはダビデと比較される立場で同年代でしたが、ダビデを尊敬し、喜び、自分と同じ信仰姿勢を持つことに好感し、自分と同じように愛しました。

「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。」(第一サムエル18:1)(3節)

 ダビデはヨナタンにも(1、3節)、ミカルにも愛されました。(20、28節)また、兵隊仲間に喜ばれ(5節)、イスラエル国民から愛されました。
 「イスラエルもユダも、皆がダビデを愛した」(16節)

 「主がダビデとともにおられ」(12節。14節、28節)という言葉は、主もダビデを喜び愛しておられたという印です。

 あなたの番です。嫉妬を止めましょう。あなたから友情を築きましょう。

 「ねたみ合ったりしないようにしましょう」(ガラテヤ5:26)
 「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」(ローマ12:10) 

□嫉妬はやめよう
□友情を築こう

2026年4月12日日曜日

第一サムエル17:31~58 ゴリヤテ

 今日は、若いダビデが巨漢ゴリヤテと戦い勝利した場面を見ていきましょう。
 ダビデの心境を考察し、どんな戦い方をしたかを検証し、私たちの生活にどう生かせるかを適用してみましょう。 

さて、あなただったらゴリヤテと戦いますか。

イスラエル兵はゴリヤテを恐れて40日間も身動きできなかったのに、ダビデはゴリヤテを見た日に私が戦いますと申し出ました。生ける神を馬鹿にし、神の陣営をなじるゴリヤテをダビデは放置できないのです。

 「このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います」(第一サムエル17:32)

 難しい人間や壁のようにそそり立つ試練に出会うと、相手の問題でどうにもならないとか、他人頼みになるものです。信仰と祈りとみことばに励まされ受けて立つことが最も大事です。つまり、この戦いは私の戦いだと覚悟を決めましょう。


 サウルはダビデの勇気と信仰に感激し、自分の鎧兜を貸しましたがダビデには重くて使えません。滑らかな石5つを捜し、使い慣れた石投げを手にしました。いつも通りのやり方で戦うことにしました。長年訓練してきた石投げを使って戦うことにしました。

 私たちの武器も同じです。借り物では戦えません。自分が積み重ねてきた経験と鍛錬を最大限に発揮してベストを尽くしましょう。

 

 「剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」(47節)

 この戦いが主の戦いだとダビデは強く認識しました。ここに祈りが生まれます。主に委ね切った信仰がにじみ出るのです。
 あなたの試練も、悩みも、主の戦いです。 

ゴリヤテは、「おれは犬か、杖を持って向かって来るとは」(43節)とあるように杖に気を取られていました。石投げの気配を消す作戦だったのでしょう。「ダビデは、すばやく戦場を走って行き」(48節)とありますが、追い風になるように、太陽を背にできるように、石投げに最適の距離を取れるように、自分のポジションを有利にするため走ったのです。鎧に包まれたゴリヤテの唯一の急所、顔を狙って一撃で仕留めました。

これは私の戦いだと引き受ける姿勢と、この戦いが主の戦いであると認めて主に信頼する信仰と、今まで蓄積した経験と鍛錬を自分らしく用いる。この3つが融合する時、私たちもダビデのように素晴らしい結果を見ることになります。

□あなたの人生です、逃げずにあなたが引き受けましょう
□あなたらしいやり方で石を投げましょう
□あなた一人が戦うのではありません、主が戦うのです

 「私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。」(詩篇16:8)

2026年4月5日日曜日

第一コリント15:1~8 最も大切なこと  

今日はイースターです。主イエスの復活をお祝いします。主は生きておられます。
 
 コリント教会は、未熟なクリスチャンばかりの教会で、仲間割れ、性的罪、教会員同士の告訴、礼拝の混乱、互いの違いを尊重できない状態でした。

 「あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。」(第一コリント15:1)

パウロはそうした個別の問題に対処しながら、解決の糸口は土台となる福音理解にあると着目していました。それで、自分たちの立っている足元に目を向けさせたのです。 

「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(3~5節)

最も大切なものは福音です。では福音とは何でしょう。
 キリストの十字架と復活です。
 十字架は哲学やイデオロギーではありません。歴史の教科書にも記述されているように歴史的事実なのです。

当然のことですが、すべての歴史的事実が私たちを救うわけではありません。桶狭間の戦いがあったと知っただけでは歴史知識が増えただけで人生に何の変化も与えません。

 

「聖書に書いてあるとおりに」と二度も書いてあります。
 神が私たちのために十字架と復活を準備され、預言者たちによって知らせていたということが聖書の記述から分かるのです。福音は神が備えて下さった人生の最適解であり、私たちにとって最も大切なものなのです。

 「私たちの罪のために死なれたこと」と書かれています。
 ここが大事なポイントです。主イエスが十字架で死なれたのは、単なる歴史的事実ではないからです。

あなたや私のような罪人を主イエスが見捨てることなく、そのまま愛し、救おうとして主イエスの命を捨てて下さったのです。現代に生きる私たちは遅まきながらも主イエスの愛を知り、イエスさまごめんなさい、イエスさまあなたに感謝します、主イエスは私の救い主ですと自然に言うことになります。 

すると、どうなるでしょう。十字架で死んで終わらず3日目によみがえられた主イエスは今も生きておられるので、私たちの言葉、祈り、心を聞いて、それを受け止めることが可能なのです。主イエスと私たちの間に人格的交流が始まります。主イエスの命が私たちの内に注がれるようになり、神の救い、罪の赦しが私たちに適用されていくのです。

 

5~8節でパウロは、たくさんの証人の名を連ねて主イエスの復活が紛れもない事実であると説明しています。
 ペテロをはじめ十二弟子は復活されたイエスさまに会いました。しかも何度も。エルサレムで祈りながら聖霊が降るのを待っていたクリスチャンたちが120名いましたが、主イエスの復活に出会った証人はさらに多くて500人を超えており、しかも同時刻に会っています。(6節)復活から20年たってパウロはこの手紙を書いていますが、そのほとんどの人が生き残っていました。主イエスの弟で最後まで主イエスを拒んでいたヤコブにも主イエスは姿を現わされ(7節)、ヤコブはエルサレム教会の指導者になりました。そして、主イエスと信仰者たちを憎んでいたパウロも主イエスは現れて下さいました。主イエスはよみがえられたのです。主イエスが十字架で死なれたことは無駄死にではなく、復活によって私たちの罪の贖いは完了したのです。そして、主イエスは今も生きておられ、私たちに新しい命、永遠の命を与えて下さるのです。ハレルヤ!

 「この福音によって救われます」(2節)と書いてある通り、福音によって人は救われることができるのです。 

□福音は生活と人生の土台となる
□十字架と復活、それが福音
□福音を受け入れる時に救われる
□良き知らせ(福音)は宣べ伝えるもの


2026年3月28日土曜日

第一サムエル17:1~30 神の陣営をそしる

ペリシテ人は新しい戦い方を提案しました。代表戦士の一騎打ちで戦争の勝敗を決めようというのです。身長2m50㎝以上の巨漢ゴリヤテ(4~7節)が出て来たのでイスラエルは到底勝ち目がありません。

ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て来て、戦いの備えをするのか。おれはペリシテ人、おまえらはサウルの奴隷どもではないか。一人を選んで、おれのところによこせ。」(8節)

戦闘は始まっていませんが、心理戦、情報戦がすでに始まっていました。何のために戦うのか、無意味だとゴリヤテは訴え、戦意喪失を図っています。サウルの奴隷がペリシテの奴隷に代わるだけだから降伏すればよいと迫りました。この言葉は、エルサレムを包囲したアッシリア軍のラブ・シャケの言い方とそっくりです。(第二列王18:30)

あなたの前にゴリヤテがいますか。心理戦ですでに敗北していませんか。敵が実体以上に大きく見えていませんか。

 

16節によると40日間、ゴリヤテは朝と夕に同じことを言い続けたので、イスラエル人は逃げ腰になり恐れが深まりました。(24節)

そんな場面にダビデが陣営にやって来ました。戦場の兄たちに食料を届けるためです。

ダビデは、そばに立っている人たちに言った。「このペリシテ人を討ち取って、イスラエルの恥辱を取り除く者には、どうされるのですか。この無割礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。」(26節)

イスラエル兵とサウル王は「気をくじかれて非常に恐れた」(11節)状態でした。神が罵倒されているのに、誰も立ち上がりません。ダビデは一人、義憤で燃えました。この恥辱は取り去られるべきだ。生ける神をののしることは許されないと考えたのです。

私たちの前にも現代のゴリヤテがいます。そのため私たちは、毎朝、敗北感と共に起き上がり、希望のないまま家を出るのです。

あなたのゴリヤテの前で、戦わないうちに戦意喪失、敗北の白旗を上げていませんか。ダビデのように、たとえ一人であっても、主を固く信頼して立ち上がりましょう。

「大いなる力強い神、その名は万軍の主」(エレミヤ32:18)
「わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか」(32:27)
「私が弱い時こそ、私は強いからです」(第二コリント12:10)

 

ヘミングウェイの小説「老人と海」は、年寄の漁師サンチャゴが84日も不漁が続き3日3晩かけて大きなカジキを釣るという物語です。

命がけで捕えたカジキに襲い掛かかる巨大なサメを撃退した後に、老漁師は、Man is not made for defeat. (人は負けるようには造られていない)と独り言を言いました。

私もあなたもそうです。私たちは負けるようには造られていないのです。主イエスを信頼して勝利者として歩みましょう。

□あなたのゴリヤテ、敵の実像をしっかり見極めよう
□仕掛けられた心理戦で負けるな
□あなたの神は万軍の主、力強い神です。

2026年3月22日日曜日

第一サムエル16:1~23 ダビデ   

主は、ダビデを選ばれました。新たな王として。
 人も、ダビデを選びました。心を癒す演奏者として。

主は、もはやサウルを王とは認めていません。(1、14節)「わたしのために王を見出したから」(第一サムエル16:1)とありますが、それは神の声に聞き従う人を見つけたという意味です。ダビデはベツレヘムの人(4節)でしたが、後にキリスト(救い主)がベツレヘムで生まれ、ダビデの子と呼ばれる流れが始まったのです。

 あなたも、仕事、家庭、教会において、主の選んだ後継者を見つけましょう。

 

「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(7節)

たしかにダビデは美しい目をした若者(12節)でしたが、主はダビデの内面をご覧になって選ばれました。頼もしい7人の兄たちが一人一人サムエルの前に出るプロセスは、ダビデがいかに若く小さく人目に軽んじられていたかが強調されているのです。

 サウルが選ばれた際の葛藤や言葉が9章にありましたが、今日の箇所ではダビデの戸惑いや肉声が一切ありません。
 兄たちの視線を浴びながらも主の招きを断らず、突然の主の選びに対して従順なダビデの信仰が際立ちます。少年サムエルの主への従順にも重なります。

 

「主の霊はサウルを離れ去り」(14節)とあります。サウルの家来が「わざわいをもたらす、神の霊」(15節)だと見抜けるほど、サウル王はひどい状態でした。
 音楽がサウルを癒すと考えた家来たちは、琴の名手として国中に聞こえるダビデを連れてきました。
 主に選ばれたダビデは、人にも認められました。

  
家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。主が彼とともにおられます。」(18節)

ここにダビデの内面が詳しく書かれています。①音楽で人を癒すことができる人、②戦いにおいて勇気と力のある人、③物事の本質を見極めることができる人物、④主を信頼して主に祈り主と共に歩む信仰者(18節)。ダビデが最初にした仕事は人を癒すことでした。

 「神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。」(23節) 

 あなたも誰かを癒すために生まれてきました。誰を癒しますか。何をして癒しますか。
 あなたの耳、あなたの存在、あなたの涙、あなたの温かい手が人を癒します。

  疲れた人、不安な人、苛立つ人の心を聞き取り、その人に寄り添うようにして、音楽を用いてダビデはサウル王の心を癒しました。人を癒す王は、国民の心に共感できる人です。また、神の心にも敏感で従順に従える信仰の人です。

 □主に選ばれ、人に認められ、主の働きが始まる
 □主の招きを受け入れ、油注ぎの力を受けて主に仕えよう
 □あなたは誰かを癒すために生まれてきた

第一サムエル18:1~30 嫉妬 

サウル王は嫉妬しました。あなたも今、誰かを嫉妬していませんか? 主イエスは人の心から出て来る悪いものリストに「ねたみ」を入れておられます。(マルコ7:22)嫉妬は周囲の人を傷付けるだけでなく、ねたむ本人を汚し歪める罪の一つです。  女たちが歌い踊りながらサウル王の凱旋行列...