2026年3月28日土曜日

第一サムエル17:1~30 神の陣営をそしる

ペリシテ人は新しい戦い方を提案しました。代表戦士の一騎打ちで戦争の勝敗を決めようというのです。身長2m50㎝以上の巨漢ゴリヤテ(4~7節)が出て来たのでイスラエルは到底勝ち目がありません。

ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て来て、戦いの備えをするのか。おれはペリシテ人、おまえらはサウルの奴隷どもではないか。一人を選んで、おれのところによこせ。」(8節)

戦闘は始まっていませんが、心理戦、情報戦がすでに始まっていました。何のために戦うのか、無意味だとゴリヤテは訴え、戦意喪失を図っています。サウルの奴隷がペリシテの奴隷に代わるだけだから降伏すればよいと迫りました。この言葉は、エルサレムを包囲したアッシリア軍のラブ・シャケの言い方とそっくりです。(第二列王18:30)

あなたの前にゴリヤテがいますか。心理戦ですでに敗北していませんか。敵が実体以上に大きく見えていませんか。

 

16節によると40日間、ゴリヤテは朝と夕に同じことを言い続けたので、イスラエル人は逃げ腰になり恐れが深まりました。(24節)

そんな場面にダビデが陣営にやって来ました。戦場の兄たちに食料を届けるためです。

ダビデは、そばに立っている人たちに言った。「このペリシテ人を討ち取って、イスラエルの恥辱を取り除く者には、どうされるのですか。この無割礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。」(26節)

イスラエル兵とサウル王は「気をくじかれて非常に恐れた」(11節)状態でした。神が罵倒されているのに、誰も立ち上がりません。ダビデは一人、義憤で燃えました。この恥辱は取り去られるべきだ。生ける神をののしることは許されないと考えたのです。

私たちの前にも現代のゴリヤテがいます。そのため私たちは、毎朝、敗北感と共に起き上がり、希望のないまま家を出るのです。

あなたのゴリヤテの前で、戦わないうちに戦意喪失、敗北の白旗を上げていませんか。ダビデのように、たとえ一人であっても、主を固く信頼して立ち上がりましょう。

「大いなる力強い神、その名は万軍の主」(エレミヤ32:18)
「わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか」(32:27)
「私が弱い時こそ、私は強いからです」(第二コリント12:10)

 

ヘミングウェイの小説「老人と海」は、年寄の漁師サンチャゴが84日も不漁が続き3日3晩かけて大きなカジキを釣るという物語です。

命がけで捕えたカジキに襲い掛かかる巨大なサメを撃退した後に、老漁師は、Man is not made for defeat. (人は負けるようには造られていない)と独り言を言いました。

私もあなたもそうです。私たちは負けるようには造られていないのです。主イエスを信頼して勝利者として歩みましょう。

□あなたのゴリヤテ、敵の実像をしっかり見極めよう
□仕掛けられた心理戦で負けるな
□あなたの神は万軍の主、力強い神です。

2026年3月22日日曜日

第一サムエル16:1~23 ダビデ   

主は、ダビデを選ばれました。新たな王として。
 人も、ダビデを選びました。心を癒す演奏者として。

主は、もはやサウルを王とは認めていません。(1、14節)「わたしのために王を見出したから」(第一サムエル16:1)とありますが、それは神の声に聞き従う人を見つけたという意味です。ダビデはベツレヘムの人(4節)でしたが、後にキリスト(救い主)がベツレヘムで生まれ、ダビデの子と呼ばれる流れが始まったのです。

 あなたも、仕事、家庭、教会において、主の選んだ後継者を見つけましょう。

 

「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(7節)

たしかにダビデは美しい目をした若者(12節)でしたが、主はダビデの内面をご覧になって選ばれました。頼もしい7人の兄たちが一人一人サムエルの前に出るプロセスは、ダビデがいかに若く小さく人目に軽んじられていたかが強調されているのです。

 サウルが選ばれた際の葛藤や言葉が9章にありましたが、今日の箇所ではダビデの戸惑いや肉声が一切ありません。
 兄たちの視線を浴びながらも主の招きを断らず、突然の主の選びに対して従順なダビデの信仰が際立ちます。少年サムエルの主への従順にも重なります。

 

「主の霊はサウルを離れ去り」(14節)とあります。サウルの家来が「わざわいをもたらす、神の霊」(15節)だと見抜けるほど、サウル王はひどい状態でした。
 音楽がサウルを癒すと考えた家来たちは、琴の名手として国中に聞こえるダビデを連れてきました。
 主に選ばれたダビデは、人にも認められました。

  
家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。主が彼とともにおられます。」(18節)

ここにダビデの内面が詳しく書かれています。①音楽で人を癒すことができる人、②戦いにおいて勇気と力のある人、③物事の本質を見極めることができる人物、④主を信頼して主に祈り主と共に歩む信仰者(18節)。ダビデが最初にした仕事は人を癒すことでした。

 「神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。」(23節) 

 あなたも誰かを癒すために生まれてきました。誰を癒しますか。何をして癒しますか。
 あなたの耳、あなたの存在、あなたの涙、あなたの温かい手が人を癒します。

  疲れた人、不安な人、苛立つ人の心を聞き取り、その人に寄り添うようにして、音楽を用いてダビデはサウル王の心を癒しました。人を癒す王は、国民の心に共感できる人です。また、神の心にも敏感で従順に従える信仰の人です。

 □主に選ばれ、人に認められ、主の働きが始まる
 □主の招きを受け入れ、油注ぎの力を受けて主に仕えよう
 □あなたは誰かを癒すために生まれてきた

2026年3月15日日曜日

第一サムエル15:1~35 最良のものを惜しむ

主はサウルに、アマレク人を徹底的に滅ぼしなさい、聖絶しなさいと命じました。 

それは、約束の地に入る際、アマレク人がイスラエルの民に甚大な被害を与え、特に、子供や弱い人々を殺害したからです。「あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない」(申命記25:19)主の裁きの執行をサウルは委ねられたのです。それでサウルは兵を集めて出撃しました。

これは、主がサウルに与えた出直しのチャンスです。主はサウルへの期待をまだ捨てておられなかったのです。

 ところが、サウル王と兵士らはアマレクの王アガグと羊や牛の最良のものを惜しみました。(9節)サウルはサムエルに「主のことばを守りました」(13節)と報告しましたが、サムエルに羊と牛の声を指摘されて、兵たちのせいにしました。(15節)サウルの認識としては、主の御声に聞き従ったと強弁し(20節)、悪いのは兵士らだと弁解しました。(21節)

サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(第一サムエル15:22~23)

 サムエルは主のお心を以下のように説明しました。主はささげものの高価さを喜ぶ方ではない。主の御声に従うことを望んでおられる。サウルは主の言葉に従わず、主のことばを退けたので、主もサウルを王位から退ける。(22~23節)

 とたんにサウルは罪を悔いる姿勢を見せましたが表面的なものでした。(24節)見逃してほしい(25節)、民の代表たちの前で体面を取り繕ってほしいと懇願しました。(30節)

 

 主は悔やまないお方だとサムエルはサウルに伝えました。(29節)
 けれども「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ」(11節)、「主も、サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた」(35節)と二度も主の悔やむ姿が書かれています。
 悔やまないはずのお方が、サウルの事に関してだけは、悲しみ、やるせなさと切なさを感じておられたのです。サウルに対する主の深いご愛、サウルを期待されていた思いが悔やむお姿ににじみ出ています。

聞く耳を持たないサウルを見て、サムエルは主の深い悲しみを伝える意欲を失ったのでしょう。サムエルもサウルに期待し、支援し、指導して来たので無念さは人一倍だったのです。

 

主は今日の箇所を通して何を語られたのでしょう。
 主が一番望んでおられることは、主の言葉を聞く心です。自分の願望をひとまず横に置き、空っぽの手を差し出して、主の言葉を受け取ることです。そして、あなたに対する主のみこころをしっかり聞き取り理解したならそれを実行することです。その一連の流れを私たちが身に付けるなら、私たちは主の弟子です。主に喜ばれるささげものをする者になれるのです。主は、今日、あなたに何を語っておられますか。

主よ、お語り下さい。しもべは聞いております。

 

□主は私たちを期待しておられる。主を悲しませてはいけない
 □空っぽの心にして主の声を聞きましょう
 □私たちの「聞き従う心」を主におささげしましょう

2026年3月8日日曜日

第一サムエル14:24~52 疲れた兵士

ひとりよがり、ひとり合点、ひとり相撲、ひとり占め。自分中心に動く人は周囲の人を悩ませます。 

さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。(24節)

サウル王がこんな禁止命令を出した理由は何でしょう。

24節によれば、サウル王の個人的な復讐心から出たことのようです。
 それに加えて、息子ヨナタンだけが英雄になるのは父親であり王としてのプライドが許せないと考えたようです。39節では、ヨナタンの言動をすでに察知し憤っていたようです。
 そして、強い姿勢で兵士らを鼓舞し大勝利に導いたは自分だと誇示したかったようです。王は国民を虐げてはならないと祭司サムエルから教えられたことを(12章)破っています。

ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。(第一サムエル14:28~29) 

ヨナタンは父の命令を知らなかったので森で蜜を口に入れ元気を取り戻しました。そして父の命令は間違っていると批判しました。

兵士たちはやがて空腹に耐えられず、律法で命じられた方法を省略して牛や羊を血のついたまま食べました。その知らせを聞いたサウル王はやむなく禁止命令を解きました。

 

なおも徹夜でペリシテ人を追撃すべきだとサウル王は考えましたが、祭司の忠告に従い主の導きを求めました。すると主の答えがありません。(37節)サウルはこの原因が誰かの罪だと推測しました。追求されたヨナタンは死刑を受け入れました。

最初サウル王が何も食べるなと命じた時に兵士らは無言で従いました。(24節)徹夜で戦えと言うと兵士らは「あなたが良いと思うようにしてください」(36節)と返事をしました。主の導きを求めると、主は無言でした。(37節)誰が悪いかを見つけるとサウルが言えば兵士らは「あなたが良いと思うようにしてください」(40節)と答えました。ヨナタンは死刑だとサウルが言うと兵士らは初めて強く反発しました。(45節)

強圧的な人の周囲では普通の意見が言えなくなるのです。

民はサウルに言った。「この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。(第一サムエル1445

沈黙しておられた神は、人々の口を通してみこころを語られたように見えます。 
 今日でも、主の言葉を聞ける平常心を失った強圧的な人に対しては、小さな人や弱い人の涙ながらの叫びを通して主はみこころを語られます。その声が聞こえますか。

 

サウル王は、ペリシテ人をどこまで追い出せば国民が平和に暮らせるかの境界線を定めて戦うべきでした。そして、皆を集めて今回のヒーローはヨナタンだと称賛すれば、人々は「王様ばんざい」と言ってくれたはずです。

□恐怖や圧力で人を動かすことは止めよう
 □神の細い声を聞く平常心を持とう
 □自分の過ちを訂正する低い心を持とう 

2026年3月1日日曜日

第一サムエル14:1~30 ヨナタン

ヨナタンはサウル王の息子ですが、偉ぶるところがありません。千人隊長(第一サムエル13:2)に任命されていて、勇気と知恵と広い視野を持っていました。

 本来は海岸近くに住むペリシテ人ですが、山岳地帯のミクマスまで兵を進め、イスラエルを圧迫していました。(13:23)ヨナタンは父の反対を見越していたので従者一人だけを連れて戦いに挑みました。(14:1)

 数量的に劣勢で、味方のイスラエル人が逃げ腰の場面では正攻法では勝ち目はありません。予想を超えたゲリラ攻撃を行うなら、敵に驚きと動揺をもたらし、味方を勇気づけるとヨナタンは考えたのでしょう。ヨナタンは勇者であり、主を信頼する信仰者でした。兵力が多いか少ないかなどは救って下さる主にとって問題にならないと考えました。

「おそらく主は我々に味方してくださるであろう。 
 主が救いをもたらすのに人数の大小は問題ではない」
 (第一サムエル14:6共同訳聖書)

 先陣の者たちは、ヨナタンと道具持ちに呼びかけて言った。「おれたちのところに上って来い。思い知らせてやる。」ヨナタンは道具持ちに言った。「私について上って来なさい。主がイスラエルの手に彼らを渡されたのだ。」(12節)

 上って来いと言うほど敵はヨナタンを侮っていました。ヨナタンは、手と足を使って崖をよじ登り、渾身の力を振り絞って戦い、20人を倒しました。

 あなたの前にも切り立った崖のような問題、ペリシテの強大な軍隊のような難しい人々が立ちはだかっていますか。

 少数だから弱いから無理だと考えて座り込む人と、困難な道だからこそ主の御力が鮮やかに働くと信じるヨナタンのような人がいます。あなたはどちらになりたいですか。

ヨナタンの襲撃は噂となって広がり、ペリシテ人は恐怖に包まれました。ヨナタンが現れたと勘違いして同士討ちになりました。(20節)ペリシテ側に鞍替えしていたイスラエル人が隊列に戻り、逃げ隠れしていたイスラエル兵が戦力に戻りました。(21~22節)

 ヨナタンたった一人の勇気と信仰により、多くの人が励まされ希望を持ち、ペリシテ人を追撃する原動力になりました。

 一人で何ができると考えるのは止めましょう。一人の祈りと勇気が主の奇跡を引き出すきっかけになるのです。

 □弱くても小さくても主の助けを信じて前に進もう
 □あなたの行動が周囲の人の信仰と勇気を励ます 

2026年2月22日日曜日

第一サムエル13:1~23 待ちきれずに

サウルはなぜ7日間待てと言われたのでしょう。
 
 なぜ待てなかったのでしょう。

 サウル王は、祭司サムエルからギルガルで7日間待てと命じられていました。「私があなたのところに着くまで、そこで7日間待たなければなりません。それからあなたがたがなすべきことを教えます。」(第一サムエル10:8)

 サウル王は最終日まで待ちましたが、自分でいけにえをささげてしました。ちょうどその後にサムエルがやって来て、「あなたは、なんということをしたのか」(13:11)と責めました。「あなたの王国は立たない。」(14節)そして別の王が立てられると言われました。

 「あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。」(13節)

 サウルには誠実な悔い改めが欠如していました。以下のように見苦しい言い訳を連ねて行動を正当化しました。(11~12節)①イスラエル人が逃げ出し始めた。②ペリシテ人は大兵力でやってきた。③サムエルが時間に間に合わなかった。④神から力をもらうために、いけにえをささげる必要があった。⑤あえていけにえをささげたが、王として当然である。

 サムエルはなぜ、7日間待てと言ったのでしょう。

 何月何日にギルガルで会おうと言えば済んだ話でした。そもそもサウルは神への信仰が強い人ではなく、霊的な部分が未発達な人でした。それで、この7日間という期間を通じて、サウルの信仰を強める目的があったのでしょう。危機的な場面で、7日間祈りを深め、神を待ち望み、主のみこころを求めるなら、サウルは信仰の王として整えられたはずです。

それに加えて、この7日間はサウルが霊的リーダーシップを発揮する機会となり得ました。不安で心が騒ぐイスラエルの民に対して、心配するな、祈ろう、主は共におられる、主に信頼しようとサウルが人々に語り掛けることもできたのです。

あなたは今、何を待っていますか。あなたが7日間待つ事はとても意義があることです。性急な手段に走らず、忍耐して主を待ちましょう。

 「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」(詩篇37:7)
 「私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く。」(イザヤ8:17) 
 「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」(ハバクク2:3)


□待つとは、主に信頼し、主に祈り、主のみこころを求める大切な備えの時
□目の前の出来事と神とをつなげて考えられる人になろう
□周囲の人に、主を信頼して主を待とうと声をかける人になろう

 

2026年2月15日日曜日

第一サムエル12:1~25 雷と雨 

 サウル王が先頭に立って戦い、アンモン人に勝利し、ヤベシュの人々を救い出した後なのに、なぜか祭司サムエルは怒っています。なぜでしょう。

  さあ今、主と主に油注がれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。(第一サムエル12:3) 

 年を重ねて白髪になったサムエルは、若いサウル王の前にできた落とし穴に気づきました。勝利した王は傲慢になり権力を振りかざす危険があるのです。  

 サムエルは今まで、人々の土地やお金を奪わず、暴力をふるわず、賄賂を取って正義を曲げなかったと証言し、王に気を付けよと勧告したのです。

 あなたは何かの権力を持っていますか。それを用いて誰かを苦しめていませんか。

 

 サムエルの怒りの第二の理由は、イスラエル人の先祖が繰り返して来た失敗パターンが出てきたからです。イスラエルの先祖は、勝利して生活が落ち着くと神を忘れ、偶像の神に流れていました。(9~11節)

 先祖たちは主に叫んで、「私たちは主を捨て、バアルやアシュタロテの神々に仕えて罪を犯しました。今、私たちがあなたに仕えるため、敵の手から救い出してください」と言った。(10節)

 イスラエルの民が王を求めたプロセス自体が、先祖たちの失敗したパターンそのものなのです。偶像の部分が王に入れ替わっただけでした。

 私たちにも同じ危険があります。神の代わりに、優先順位の一位に置いているものがありませんか。

 サムエルは、神も同じ考えであることを示すために、雷と雨を求めました。(17節)季節外れの大雨と雷鳴にイスラエルの民は神を恐れました。そして自分達の愚かさに気づいたのです。

 「私たちは、王を求めることによって、私たちのあらゆる罪の上に悪を加えてしまったからです。」(19節)

 祭司サムエルは、サウル王とイスラエルの民の双方に強く警告しました。王であっても、民の一人であっても、神を忘れて偶像の神を求めるな、主を恐れて主の道から逸れず誠実に主に仕えなさいと語りました。

 「あなたがたも、あなたがたを治める王も、自分たちの神、主の後に従うなら、それでよい。」(14節) 

 あなたにとって、主に仕えるとは何をすることでしょう。

  「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」(24節)

□権力を振りかざすな
□神を忘れて偶像を求めるな
□誠実に主に仕えよう

第一サムエル17:1~30 神の陣営をそしる

ペリシテ人は新しい戦い方を提案しました。代表戦士の一騎打ちで戦争の勝敗を決めようというのです。身長 2m50 ㎝以上の巨漢ゴリヤテ(4~7節)が出て来たのでイスラエルは到底勝ち目がありません。 ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て...