2026年7月12日日曜日

第一サムエル29:1~11 穏やかに帰れ

ペリシテ人はイスラエルを徹底的にたたくと決め、大軍を北部の平原に集めました。アキシュ王はダビデに警護を依頼しました。(第一サムエル28:1~2)

 ダビデには以下の3つの選択肢があり、決めかねていたようです。①イスラエル人と戦い殺害する。②親切にしてくれたアキシュ王の首をはねる。③戦場から逃げ出す。戦いの前日、ペリシテの領主たちがダビデに気づき、アキシュに抗議しました。

 
「この男を帰らせてほしい。あなたが指定した場所に帰し、私たちと一緒に戦いに行かせないでほしい。戦いの最中に、われわれに敵対する者となってはいけない。この男は、どのようにして自分の主君の好意を得るだろうか。ここにいる人たちの首を使わないだろうか。」(第一サムエル29:4)

 アキシュは3節のようにダビデを弁護しましたが領主たちは納得しません。アキシュが渋々了承すると、ダビデは怒った上で承諾、決戦の日の早朝、部下を連れて帰還しました。(8~11節)アキシュはダビデの機嫌を取るようにして言いました。「穏やかに帰ってくれ」(7節)ダビデは内心ほっとしたはずです。

 第4の道があったのです。神のあわれみが鮮やかに注がれたのです。「彼はわれわれと一緒に戦いに行ってはならない」(9節)はペリシテ領主たちの言葉ですが、神がダビデに直接警告しているかのように聞こえます。ダビデよ、あなたはペリシテ側で戦う者ではない、主の戦いを戦うのだと。ダビデは神のあわれみに気づいていたでしょうか。

 嘘をつき、残虐な行為を隠れてしていたダビデでしたが、そんなダビデにも主のあわれみが現わされました。

 罪深いあなた、信仰レベルが下がっているあなた、弱り果てているあなた、そんな人にこそ神のあわれみが降り注ぐのです。「主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」(哀歌3:22~23)

 そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。あなたは真っ直ぐな人だ。あなたには陣営で、私と行動をともにしてもらいたかった」(6節)

 3、6、9節でアキシュはダビデの正しさを繰り返し述べています。ダゴンの神の礼拝者アキシュ王が「主は生きておられる」と主の名をたたえ、ダビデを「真っ直ぐな人だ」と言いました。残虐行為を繰り返し、アキシュを騙していたダビデなのにアキシュはダビデが正しいと認めたのです。

 罪人を正しいと宣言する。これは新約聖書における「義認」の構図にそっくりです。神は、私たち罪人をキリストの十字架でおおって正しいと認めて下さいます。ダビデはアキシュの言葉を聞き、恥じ入り、心を痛めたことでしょう。

 「主が私に救いの衣を着せ、正義の外套を着せ」(イザヤ61:10)

 神のあわれみは、私たち罪人に注がれています。

□神のあわれみは罪びとの上に
□正しいと神が宣言して下さる
□神のあわれみに感謝しよう


2026年7月5日日曜日

第一サムエル28:1~25 サムエルを呼び出す

ペリシテ人は集まって、シュネムに来て陣を敷いた。サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。(第一サムエル28:4~5)

 ペリシテ軍は海岸沿いを北上、イスラエルの背後を突く形でイズレエル平原に現れました。南北を貫く山脈の中で唯一の平原に大軍を結集し、一気に攻める作戦だったようです。慌てたサウルとイスラエル軍は防戦のためギルボア山を背にして陣を敷きました。サウルがギルボア山から敵陣を見下ろすと、その圧倒的な兵力差に愕然となりました。心が激しく震えるほど自分の死を恐れたのです。

 サウルは神の助けを求め、何らかのアドバイスを聞こうとして色々な方法を尽くしましたがダメでした。「主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。」(6節)主は既にサウルから去っておられたのです。(16節)サウルはその事実すら気づていなかったのです。

 サウルは霊媒を使って死んだサムエルの声を聞こうとしました。サムエルなら神のアドバイスを伝えてくれるだろうと考えたのでしょう。そもそも霊媒や口寄せを使うことは律法で禁じられた行為でした。(申命記18:10~12)サウルのしたことは神の口を無理やり開けさせるようなやり口で、無礼、不信仰、自己中心の極みでした。

 サウルは、夜中に、変装し、敵陣近くのエン・ドルに、危険を犯して、二人の部下だけ連れて出かけました。(7~8節)王服を脱ぐ行為はとても象徴的です。「主に油注がれた者」の立場を自ら捨てたからです。

 霊媒の女は、「サムエルを見て大声で叫んだ」(12節)とあります。いつもと勝手が違いとても狼狽しました。サウルが「何を見たのか」と言っているので、サウルにはサムエルは見えず、霊媒の女からは「神々しい方が上って来る」(13節)のが見えたようです。
 
 サウルは「主に油注がれた者」でした。主の霊が激しく下り、新しい人に変えられ(10章)、ヤベシュ・ギルアデの人々を救うため先頭に立って戦ったのです。(11章)今のサウルには、主の戦いという意識は無く、イスラエルの人々を助けたいという理想もなく、自分だけが助かりたい一心でした。サムエルが、あなたと息子は明日死ぬ(19節)と言ったので、サウルはショックのあまり気絶して棒のようになりました。

 あなたの番です。
 サウルのようにならないために、どうしたらよいでしょうか。
 それは、普段から主のみ声を聞き続けることです。

 少年サムエルは夜中に主のみ声を聞いた時に、お話ください、しもべは聞いておりますと応答しました(第一サムエル3章)。その姿こそサウルに必要な態度であり、サムエル記が私たちに伝えたい中心テーマなのです。

 日常的に主の声を聞く人は、困難な事が迫った時も主のみ声を正しく聞き取ることができるのです。

「人は自分の道を思い巡らす。
  しかし、主が人の歩みを確かにされる。」(箴言16:9)

 □いつも主の声を聞こう
 □間違った方法は選ばない
 □恐れのある時も、主の声を聞き、主の道を進もう


2026年6月28日日曜日

第一サムエル27:1~12 ペリシテ人の地へ 

ダビデは心の中で言った。「私はいつか、今にサウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、イスラエルの全領土内で私を捜すのをあきらめ、こうして私は彼の手から逃れられる。」(第一サムエル27:1)

 私たちが知っているダビデは、信仰に篤く、無欲で、勇敢でした。
 今日のダビデは別人です。

 ダビデは、主がすべての苦難から救い出されると信じていました。ところが、サウルに殺されることは避けられない、ダゴンの神を礼拝する国に逃げ込むのが最良で唯一の策だと考えました。

 6人家族なら100世帯になる仲間を連れて、ダビデはペリシテ人の王アキシュのもとに下り、滞在許可を得て、南部のツィケラグという町に1年4か月住ませてもらいました。
 これでダビデはアキシュに借りができました。その借りを返すために南に住んでいた無実の人々を襲い、皆殺しにし、家畜や金品を奪い、その一部をアキシュ王に貢ぎました。アキシュ王は、ダビデがイスラエルの町を襲ったという報告を聞いて満足していました。

 ダビデは、イスラエルの町を襲ったように見せてゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人の町を襲っていたのです。(8~11節)「主の戦い」を戦っていたダビデは、強盗の戦いをするまでに落ちぶれてしまいました。

 どうしてダビデはペリシテ人の領土に逃げ込んだのでしょう? なぜ、ゲゼル人やアマレク人の町を襲ったのでしょう。

 それは、27章すべての節に登場する単語でわかります。すべての節にあるのは「ダビデ」です。(原文の6節だけは「彼」)ダビデが感じ、ダビデが考え、ダビデが行動しています。中心にいるのはダビデです。

 27章に出てこない言葉は何でしょう。「神」や「主」がありません。神からの語りかけもダビデの祈りもありません。

 ダビデは強い恐れと大きな不安にかられてしまい、祈れなくなり、悲観的に考え、主のみこころを尋ねずに、人間の頭の中で結論を絞り出したのです。そのせいでダビデの部下たちまでも嘘と悪に引きずり込んでしまいました。

 主イエスがガリラヤ湖で弟子たちを招いた場面を思い出しましょう。
 わたしについて来なさいと主イエスはペテロたちに言われました。主イエスの目は弟子たちを見ていました。弟子たちも主イエスの目を見て、従いました。その後の弟子たちは、主イエスの背中を見続けていました。

 あなたの番です。今週、あなたの前に主イエスを置きましょう。決して私が前に出ないように気をつけましょう。

 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩37:5)

 □否定的な考えに支配されそうになったら、神に祈ろう
 □自分を前に出さずに、主の後を進もう


2026年6月21日日曜日

第一サムエル26:1~25 槍と水差し 

 サウルはダビデ殺害のため三千人を連れてやって来ました。(第一サムエル26:2) ダビデは24章と同じ問題に直面しました。試練は繰り返すものです。

 あなたの試練も終わりの見えない延長戦のように感じませんか。

 サウル王は洞穴でダビデに命を救われダビデの行動に感激したはずなのに、またもや襲ってきたのです。ダビデは失望し、怒っていたかもしれません。
 ダビデは夜、部下のアビシャイを伴ってサウル王のテントに忍び込むことにしました。なぜ、そうしたのでしょう。その目的は、きちんと話し合うため、脅すため、怒りをぶつけるため、危害を加えるため、捕虜にするため、殺すため、などの可能性がありました。

 ぐっすり寝ているサウルの顔を見てアビシャイは「あなたの敵」(8節)を殺せますと言いました。おそらくダビデはその言葉を聞いた時に気づいたのでしょう。私の敵ではなく「主に油注がれた方」だと。その後、11節、16節、23節でもダビデはサウルを「主に油注がれた方」として大切にしました。

 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」(9節)

 主が油注がれた人物が問題を起こしているのだから主が責任を取って下さるはずだとダビデは理解しました。サウルが老衰か病気か怪我で死ぬかもしれないし、戦争の最中に殺されるかもしれませんが、主の時に主の方法で裁いて下さる。自分が手を出すべきではないと冷静になれたのです。

 ダビデは言った。「主は生きておられる。主は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。」(10節)

 ダビデは山上に戻って声をかけ、サウル王の槍と水差しを示しました。サウルは、前回と同じように感激して態度を変えました。(21節)

「今日、私があなたのいのちを大切にしたように、主は私のいのちを大切にして、すべての苦難から私を救い出してくださいます。」(24節)

 あなたの番です。あなたの敵とは誰ですか。本当に敵ですか。
 すぐに答えの出ない悩みや不安定な状態に置かれても留まり続ける力を主に求めましょう。主は、あなたを苦しめる人を主の時に主の方法で打たれます。私たちが信じる神は、すべての苦難から私を救い出して下さいます。


「復讐はわたしのもの、わたしが報復する」(ローマ12:19)
「主の前に静まり耐え忍んで主を待て。」(詩篇37:7)

 □先が見えず繰り返される試練に耐える力を下さい
 □主は必ず「彼」を打たれる
 □主はすべての苦難から救い出して下さる

2026年6月7日日曜日

第一サムエル24:1~22 上着の裾

 洞窟でサウル殺害のチャンスがやってきました。
 でもダビデは殺しませんでした。なぜでしょう。

 サウル王は3000人の精鋭を集めエン・ゲディの荒野に向かいました。ダビデが死海に面した場所にいると情報が入り、恐らくは北、西、南の三方から1000人の部隊で追い詰めれば必ず仕留められると考えたのでしょう。

 大きな戦いを前にして万全を期すため、サウルは用を足そうと洞穴に入りました。なんと、ダビデと部下数名がその洞窟の奥に隠れていたのです。

ダビデの部下は、サウルを殺すチャンスを主が下さったと理解し、ダビデに実行を促しました。けれどもダビデはサウルの上着の一部を切り取って終わりにしました。

ダビデは、剣を手に持っても一時の感情に流されず、復讐の鬼になりませんでした。それは、主の目線で人物を見ていたからです。逃亡の日々の中で主のみこころを思いめぐらし、直面する問題を高所から俯瞰する習慣を身に付けていたのでしょう。

ダビデの部下はサウルのことを「あなたの敵」(第一サムエル24:4)と呼びましたが、ダビデは「主に油注がれた方、私の主君」(6節)(10節)ととらえました。

彼は部下に言った。「私が主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。」(第一サムエル24:6)

サウルが洞穴を出て行くと、ダビデも後を追い、地にひれ伏し礼をしました。謙虚で無防備な姿勢で、「王よ」(8節)、「わが父よ」(11節)と呼びかけました。

ダビデはサウルを殺すことを願わず、心をつなぐ事を求めていました。自分の幸せだけでなく、サウルの幸せを望む態度を持っていました。

ダビデが9~15節で述べた内容は以下の通りです。
 ①ダビデがサウルに害を加えるという噂は事実ではない。(9節)
 ②この上着の裾がサウル殺害の意思のない証拠。(11節)
 ③悪意も背きの心も持っていない。(11節)
 ④ダビデは「死んだ犬」「一匹の蚤」に等しい存在。(14節)
 ⑤主がダビデとサウルの間をさばいてくださいますように。(15節)

 サウル王はダビデの言葉を聞きその態度を見て、声を上げて泣きました。(16節)サウルの部下たちもこの様子を見ていたことでしょう。

 サウルは自分が悪く、ダビデが正しいと認めました。主がサウル殺害のチャンスを与えられたのにダビデは実行しなかったことに感激しています。この一連の流れを見て、ダビデこそ王にふさわしく、ダビデが王国を確立させる器だと述べました。

「人が自分の敵を見つけたとき、その敵を無傷で去らせるだろうか。おまえが今日、私にしてくれたことの報いとして、主がおまえに幸いを与えられるように。おまえが必ず王になり、おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。」(19~20節)

 

あなたの番です。あなたの敵とは本当に敵ですか。
 復讐できたらな、その後に何が残りますか。
 あなたの問題を主の目で俯瞰していますか。

 ラインホルト・ニーバーの「平静の祈り」はこんな時に助けとなる祈りです。
   神よ、私にお与えください
   変えることのできないものを受け入れる平静な心を
   変えることのできるものは変える勇気を
   そしてそれらを見分ける知恵を

□主の目で見ると、敵も、問題も違って見える
 □拒絶でなく、心をつなぐことを求めよう
 □主は、サウルの心さえ変えて下さる方

第一サムエル29:1~11 穏やかに帰れ

ペリシテ人はイスラエルを徹底的にたたくと決め、大軍を北部の平原に集めました。アキシュ王はダビデに警護を依頼しました。(第一サムエル28:1~2)  ダビデには以下の3つの選択肢があり、決めかねていたようです。①イスラエル人と戦い殺害する。②親切にしてくれたアキシュ王の首を...