2026年5月3日日曜日

第一サムエル20:1~42 ヨナタンの友情 

 ダビデはヨナタンのところに逃げて来て、「私にどんな咎があり、どんな罪があるというのですか」(第一サムエル20:1)と訴えました。ダビデは恐怖と混乱状態にあり、「私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」(第一サムエル20:3)と述べました。

 ダビデはなぜ、ヨナタンのところに逃げてきたのでしょう。どんな愚痴も受け止めてくれる親友だからです。一緒にいると慰めと励ましを受けるからです。王の息子という立場でダビデとサウル王の仲裁者になれるからです。

 あなたが窮地に立った時、友達のところに駆け込みましょう。主が友を置いて下さったのはその時のためです。友が困難な時は、あなたがヨナタンになりましょう。

ヨナタンは「あなたの言われることは、何でもあなたのためにします。」(4節)と、支援の覚悟を宣べ、サウル王の動向を逐一伝えるとヨナタンは約束しました。

新月祭の食事の席で、サウル王の様子をヨナタンが観察し、ダビデ殺害を決めているなら秘密の暗号で3日後に知らせることになりました。

殺されるとしたらヨナタンに殺されたい(8節)とダビデは宣べました。ヨナタンも慈悲を示さずに私を殺してほしい(14節)と語り、ただし子供だけは根絶やしにしないでほしいと伝え、二人は契約を結びました。

 

新月祭の2日目、ダビデの欠席が分かるとサウル王は烈火のように怒り、ダビデを殺害する意図が分かりました。ヨナタンが説得しようとするとサウルは槍を投げつけました。ヨナタンは怒りに燃えその場を去り、翌日の朝、約束の場所で矢を放ち、手伝いの子供の背中に向かって言いました。「矢は、おまえより、もっと向こうではないか」「早く。急げ。立ち止まってはいけない」(38節)安全だと分かるとダビデが姿を現わし、礼をし、抱き合い、泣きました。ダビデのほうが激しく泣きました。

ヨナタンは冷静に「安心して行ってください」(42節)と語り掛けました。二人をつなぐ友情は揺るがない事実だからです。そして、たとえ二人が地上で再会できなくても二人の上には主がおられるという信仰が支えになるからです。

 

ヨナタンは誰かに似ていると思いませんか。
 ヨナタンはダビデに目を留め、自分自身のように愛してくれた。(第一サムエル18:1、3、19:1、20:17)ダビデがヨナタンを愛したという表現は一行もない。ヨナタンは大切なものを与え(18:4)、愚痴を聞いてくれた。(20:1)何でもすると言ってくれた。(20:4)ダビデのために死ぬ覚悟があった。(20:14)ダビデを励ましてくれた。(42節)主イエスの姿とヨナタンは重なります。

「ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していた」(17節)

 □困った時は、友達のところに行って、何でも聞いてもらおう
 □友情の上に主がおられるので、安心して行け
 □主イエスはヨナタンに良く似ているお方


2026年4月26日日曜日

第一サムエル19:1~24 難を逃れて 

 サウル王はダビデを殺すと息子や家来に告げました。(第一サムエル19:1)19章は、ダビデの命を心配した3人が危険を冒してダビデを助けた内容です。ダビデは何度も難を逃れました。(10、12、18節)

1、ヨナタンの助け

 ヨナタンはダビデの親友として助けてくれました。明日の朝は危険なので身を隠せとダビデにアドバイス(2節)しました。ヨナタンはサウル王の息子でありながら、ダビデを弁護して父サウルの考えを変えることに一時的に成功しました。(4~6節)ヨナタンの言動は、あなたは正しい、殺される理由がないとダビデを励ます意味を持っていました。

 

2、ミカルの助け

 ミカルは妻として助けてくれました。情報をつかんだミカルは、今夜、サウルの部下が捕らえに来る前に、今すぐ窓から逃げるように言いました。(11~12節)「そして、ミカルはダビデを窓から降ろし、彼は逃げて難を逃れた。」(12節)

ミカルはサウル王の娘でしたが父親の要求を退け、夫が病気で寝ている状態を演出してダビデが遠くに逃げる時間を稼ぎました。 
 あなたを愛していますという大事なメッセージをミカルは伝えていたのです。

 

3、サムエルの助け

 サムエルは信仰の指導者、祭司としてダビデを支えました。熟練したカウンセラーのようにダビデの話を親身に聞き、目を神に向けるように導いたのでしょう。
 「ダビデは逃げて、難を逃れ、ラマのサムエルのところに来た。そしてサウルが自分にしたこと一切をサムエルに告げた。彼とサムエルは、ナヨテに行って住んだ。」(18節)

 サウルから遣わされた追手の兵士らは、祭司サムエルや預言者たちの祈りと礼拝と神の霊の影響を受けて、神の言葉を預言する者に変えられました。3度も同じことが続き、最後にやって来たサウル王本人すら預言する者になり、裸になって一昼夜横たわってしまったのです。(20~24節)

あなたの番です。あなたは追われていますか、万策尽きましたか、恐怖を感じていますか、出口がないですか。自分の力で絶対に乗り切れない事態に遭遇したら、躊躇せずに誰かに話しを聞いてもらい、助けを求めましょう。

 友達、配偶者や家族、恩師がいますか。医者、弁護士、警察にも頼りましょう。転校、引っ越し、転職、自己破産、シェルター、自助グループ、海外移住、どんな道でもあります。

 3人は、それぞれの役割を果たし、自分にできる分だけ助けました。あなたが誰かを助ける時も同じです、あなたにできるワンポイントで助ければよいのです。

 「私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方はまどろむこともない。」
 (詩篇121:1~3)

□逃げましょう
□ワンポイントで助けましょう
□主はあなたを守る方


2026年4月19日日曜日

第一サムエル18:1~30 嫉妬 

サウル王は嫉妬しました。あなたも今、誰かを嫉妬していませんか?

主イエスは人の心から出て来る悪いものリストに「ねたみ」を入れておられます。(マルコ7:22)嫉妬は周囲の人を傷付けるだけでなく、ねたむ本人を汚し歪める罪の一つです。

 女たちが歌い踊りながらサウル王の凱旋行列を迎えました。サウルはその歌詞を聞いて激怒し不機嫌になりました。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(第一サムエル18:7)と歌っていたからです。

 嫉妬したサウルは、ダビデを槍で二度殺そうとしました。(10節)次に、自分の娘メラブと彼を結婚させようとして、「主の戦いを戦ってくれ」(17節)と圧力をかけ戦死を期待しました。ダビデが勝ち残ったので娘を別の男に嫁がせ、最後に、次女ミカルのダビデに対する恋愛感情を利用し、ペリシテ人100人を殺せば花嫁料を免除すると噂させ、敵に殺させようとしました。(25節)これも失敗しました。

 ダビデは強力な助っ人、頼れる部下、忠実な兵士なのに、サウルは彼を喜べません。王位を脅かすと恐れたのです。「サウルはダビデを恐れた」(12)15節でも29節でもサウル王はダビデを恐れたと書いてあります。一方ダビデは王を恐れていません。

 嫉妬を止めましょう。嫉妬の反対の心を養いましょう。
 嫉妬の反対語は、友情です。フレンドシップを作るのです。挨拶を自発的にして、相手の良い点を認め、尊敬し、心のつながりを大切にするのです。職場でも、家庭でも、何歳からでも、新たな友情を築くことができるのです。

 サウル王の息子ヨナタンはダビデと比較される立場で同年代でしたが、ダビデを尊敬し、喜び、自分と同じ信仰姿勢を持つことに好感し、自分と同じように愛しました。

「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。」(第一サムエル18:1)(3節)

 ダビデはヨナタンにも(1、3節)、ミカルにも愛されました。(20、28節)また、兵隊仲間に喜ばれ(5節)、イスラエル国民から愛されました。
 「イスラエルもユダも、皆がダビデを愛した」(16節)

 「主がダビデとともにおられ」(12節。14節、28節)という言葉は、主もダビデを喜び愛しておられたという印です。

 あなたの番です。嫉妬を止めましょう。あなたから友情を築きましょう。

 「ねたみ合ったりしないようにしましょう」(ガラテヤ5:26)
 「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」(ローマ12:10) 

□嫉妬はやめよう
□友情を築こう

2026年4月12日日曜日

第一サムエル17:31~58 ゴリヤテ

 今日は、若いダビデが巨漢ゴリヤテと戦い勝利した場面を見ていきましょう。
 ダビデの心境を考察し、どんな戦い方をしたかを検証し、私たちの生活にどう生かせるかを適用してみましょう。 

さて、あなただったらゴリヤテと戦いますか。

イスラエル兵はゴリヤテを恐れて40日間も身動きできなかったのに、ダビデはゴリヤテを見た日に私が戦いますと申し出ました。生ける神を馬鹿にし、神の陣営をなじるゴリヤテをダビデは放置できないのです。

 「このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います」(第一サムエル17:32)

 難しい人間や壁のようにそそり立つ試練に出会うと、相手の問題でどうにもならないとか、他人頼みになるものです。信仰と祈りとみことばに励まされ受けて立つことが最も大事です。つまり、この戦いは私の戦いだと覚悟を決めましょう。


 サウルはダビデの勇気と信仰に感激し、自分の鎧兜を貸しましたがダビデには重くて使えません。滑らかな石5つを捜し、使い慣れた石投げを手にしました。いつも通りのやり方で戦うことにしました。長年訓練してきた石投げを使って戦うことにしました。

 私たちの武器も同じです。借り物では戦えません。自分が積み重ねてきた経験と鍛錬を最大限に発揮してベストを尽くしましょう。

 

 「剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」(47節)

 この戦いが主の戦いだとダビデは強く認識しました。ここに祈りが生まれます。主に委ね切った信仰がにじみ出るのです。
 あなたの試練も、悩みも、主の戦いです。 

ゴリヤテは、「おれは犬か、杖を持って向かって来るとは」(43節)とあるように杖に気を取られていました。石投げの気配を消す作戦だったのでしょう。「ダビデは、すばやく戦場を走って行き」(48節)とありますが、追い風になるように、太陽を背にできるように、石投げに最適の距離を取れるように、自分のポジションを有利にするため走ったのです。鎧に包まれたゴリヤテの唯一の急所、顔を狙って一撃で仕留めました。

これは私の戦いだと引き受ける姿勢と、この戦いが主の戦いであると認めて主に信頼する信仰と、今まで蓄積した経験と鍛錬を自分らしく用いる。この3つが融合する時、私たちもダビデのように素晴らしい結果を見ることになります。

□あなたの人生です、逃げずにあなたが引き受けましょう
□あなたらしいやり方で石を投げましょう
□あなた一人が戦うのではありません、主が戦うのです

 「私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。」(詩篇16:8)

2026年4月5日日曜日

第一コリント15:1~8 最も大切なこと  

今日はイースターです。主イエスの復活をお祝いします。主は生きておられます。
 
 コリント教会は、未熟なクリスチャンばかりの教会で、仲間割れ、性的罪、教会員同士の告訴、礼拝の混乱、互いの違いを尊重できない状態でした。

 「あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。」(第一コリント15:1)

パウロはそうした個別の問題に対処しながら、解決の糸口は土台となる福音理解にあると着目していました。それで、自分たちの立っている足元に目を向けさせたのです。 

「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(3~5節)

最も大切なものは福音です。では福音とは何でしょう。
 キリストの十字架と復活です。
 十字架は哲学やイデオロギーではありません。歴史の教科書にも記述されているように歴史的事実なのです。

当然のことですが、すべての歴史的事実が私たちを救うわけではありません。桶狭間の戦いがあったと知っただけでは歴史知識が増えただけで人生に何の変化も与えません。

 

「聖書に書いてあるとおりに」と二度も書いてあります。
 神が私たちのために十字架と復活を準備され、預言者たちによって知らせていたということが聖書の記述から分かるのです。福音は神が備えて下さった人生の最適解であり、私たちにとって最も大切なものなのです。

 「私たちの罪のために死なれたこと」と書かれています。
 ここが大事なポイントです。主イエスが十字架で死なれたのは、単なる歴史的事実ではないからです。

あなたや私のような罪人を主イエスが見捨てることなく、そのまま愛し、救おうとして主イエスの命を捨てて下さったのです。現代に生きる私たちは遅まきながらも主イエスの愛を知り、イエスさまごめんなさい、イエスさまあなたに感謝します、主イエスは私の救い主ですと自然に言うことになります。 

すると、どうなるでしょう。十字架で死んで終わらず3日目によみがえられた主イエスは今も生きておられるので、私たちの言葉、祈り、心を聞いて、それを受け止めることが可能なのです。主イエスと私たちの間に人格的交流が始まります。主イエスの命が私たちの内に注がれるようになり、神の救い、罪の赦しが私たちに適用されていくのです。

 

5~8節でパウロは、たくさんの証人の名を連ねて主イエスの復活が紛れもない事実であると説明しています。
 ペテロをはじめ十二弟子は復活されたイエスさまに会いました。しかも何度も。エルサレムで祈りながら聖霊が降るのを待っていたクリスチャンたちが120名いましたが、主イエスの復活に出会った証人はさらに多くて500人を超えており、しかも同時刻に会っています。(6節)復活から20年たってパウロはこの手紙を書いていますが、そのほとんどの人が生き残っていました。主イエスの弟で最後まで主イエスを拒んでいたヤコブにも主イエスは姿を現わされ(7節)、ヤコブはエルサレム教会の指導者になりました。そして、主イエスと信仰者たちを憎んでいたパウロも主イエスは現れて下さいました。主イエスはよみがえられたのです。主イエスが十字架で死なれたことは無駄死にではなく、復活によって私たちの罪の贖いは完了したのです。そして、主イエスは今も生きておられ、私たちに新しい命、永遠の命を与えて下さるのです。ハレルヤ!

 「この福音によって救われます」(2節)と書いてある通り、福音によって人は救われることができるのです。 

□福音は生活と人生の土台となる
□十字架と復活、それが福音
□福音を受け入れる時に救われる
□良き知らせ(福音)は宣べ伝えるもの


第一サムエル20:1~42 ヨナタンの友情 

 ダビデはヨナタンのところに逃げて来て、「私にどんな咎があり、どんな罪があるというのですか」(第一サムエル20:1)と訴えました。ダビデは恐怖と混乱状態にあり、「私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」(第一サムエル20:3)と述べました。  ダビデはなぜ、ヨナタ...