「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」(ヨハネ16:16)
主イエスの謎のようなこの言葉は、十二弟子が十字架の死の悲しみに耐え抜くヒントを与えるためでした。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(ヨハネ16:20)
十字架の死を目の当たりにしたら弟子たちは立ち上がれそうにありません。でも、悲しみは喜びに変わる、と主イエスは断言されました。人生で誰しもが苦しみと悲しみを経験します。復活の主イエスが共におられるなら、悲しみさえ喜びに変わるというのです。誰もその喜びを奪い去れないのです。
十二弟子たちは主イエスと過ごした3年間、困ったことに出会ったら父なる神に直接祈ることはしませんでした。ペテロの姑が熱病にかかっていたら主イエスに癒しを願いました。嵐のガリラヤ湖で舟が沈みそうになったら寝ていた主イエスを起こして助けを求めました。
主イエスが地上を去り、弟子たちの手の届かないところに行かれた時、困難に出会ったらどうしたらよいのでしょう。主イエスは、わたしの名によって父なる神に祈ればいいと教えられたのです。(私たちはクリスチャンは既にずっとそう祈ってきました)
「今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。」(ヨハネ16:24)
神は若きソロモン王に「あなたに何を与えよう。願え」(第一列王記3:5)と言われましたが、あなたは主イエスに今、願いますか。
たとえや謎ではなく主イエスが直接説明して下さったので、弟子たちは信仰理解が深まり、喜びが高まりました。(25~30節)
そして主イエスは十字架の苦難を前にした心境を語られました。それは、弟子たちに勇気を与えるための言葉でもありました。
「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33)
今日の箇所は、主イエスの逮捕を間近にひかえた十二弟子に対して心を強くせよと主イエスが励まされた箇所でした。
主イエスは十二弟子に見捨てられ一人で十字架につかれましたが敗北ではありません。十字架の上で極悪人の友となり彼をパラダイスに導かれました。
主イエスはこの後逮捕され拷問を受け辱められましたが敗北ではありません。十字架の上でその彼らを赦す祈りをされました。
主イエスは自由を奪われ十字架に釘付けにされ命を取られますが敗北ではありません。すべての人々の罪を身代わりに負い贖いを完成され罪と滅びから人々を自由にされました。
死からよみがえられた主イエスこそ真の勝利者なのです。
□悲しみは喜びに変わる
□主イエスの名で求めよう
□主イエスは勝利者