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2023年2月19日日曜日

創世記50:1~26

 ヨセフ物語は今日で完結します。
 家族は和解し、主の約束は実現しています。

ヨセフ物語の第一のテーマは家族の再生でした。父のえこひいきがヨセフを傲慢にさせ、それをねたんだ兄達がヨセフ殺害を企て、結果的にはヨセフは奴隷としてエジプトに売られました。父も含めてヨセフと兄たちがどう和解するかが語られてきました。
 第二のテーマは、共におられる神です。ヨセフがどんなに苦しんでも主が守りすべての事を益として下さいました。
 第三のテーマは神の祝福です。ヤコブの生き方がどんなに歪んでいても、ヨセフの兄たちが邪悪であっても、すさまじい飢饉が押し寄せて来ても、神の約束は確実に実現していきました。

今日の箇所、創世記50章は、ヤコブの死と埋葬、兄達への保護の約束、ヨセフの死と希望について書かれています。

ヤコブの遺言通りにマクペラの畑地の洞穴に葬りました。「息子たちは彼をカナンの地に運び、マクペラの畑地の洞穴に葬った。」(創世記50:13)

長寿を全うしたように見えるヤコブであっても、ヨセフは父の顔の上に崩れ落ちて泣きました。(1節)70日間の喪の期間が過ぎてから、ヨセフは父の遺言通りの埋葬を行いました。愛する人が亡くなったら、涙が枯れるまで悲しみましょう。葬儀と埋葬を通して新しい歩みを始める区切りとしましょう。

パレスチナの土地をヤコブの子孫に与えるという約束はまだ実現しておらず、アブラハムの買った埋葬のための畑地だけが彼らの土地でした。ヤコブがそこに葬られたいと遺言したのは神の約束の完全な成就を信じた信仰の表明だったのです。

 

ヨセフの兄弟たちは、自分たちの父が死んだのを見たとき、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪に対して、仕返しをするかもしれない」と言った。(創世記50:15)

父ヤコブの死をきっかけにヨセフが復讐するのではと兄達は恐れに捕らわれました。それで、父が兄達を赦すように遺言していたとヨセフに伝えました。(15~17節)

ヨセフはそれを聞いて泣きました。これは複雑な涙なのです。ヨセフが奴隷に売られたのが32年前のこと。兄達との再会して、「心を痛めたり自分を責めたりしないでください」(45:5)と兄達を赦してから17年もたっていました。復讐を恐れた兄達が不憫でした。ヨセフにとっての苦難の日々は過去になっていたのです。

あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。(創世記50:20)

ヨセフの言葉はパウロの手紙を思い出させてくれます。悪を善に変えて下さるお方が私たちの信じている神なのです。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)


この出来事から50年たった頃、今度は、ヨセフが臨終になり遺言を述べました。

ヨセフは兄弟たちに言った。「私は間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたがたを顧みて、あなたがたをこの地から、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」(創世記50:24)

ヤコブの生き方を引き継いだヨセフは、神が約束を実現してくださると希望を持って亡くなりました。神は「必ず」約束の地に上らせて下さる。ユダヤ民族がかの地に移住する時には、私の遺骸も携え上ってほしいと語りました。

約400年後、出エジプトを果たした人々の列に、ヨセフの遺骸が担われていました。(出エジプト13:19)


☐愛する人の死は心ゆくまで悲しみましょう。
 ☐神がおられるので、悪は良い事に変えられます
 ☐神の約束は必ず実現する

 ☐死ぬ時も希望を抱いて死んでいける

2023年2月12日日曜日

創世記49:1~33

 ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に おまえたちに起こることを告げよう。(創世記49:1)

神の祝福とヤコブによる祝福の違いを確認しておきましょう。神の祝福とは将来の幸せを約束したものです。子孫が増える事と約束の地を与えるという希望に満ちた将来を神は保証されました。また、祝福を受ける人物の不完全さに関わらず恵みを実現するのが神の祝福でした。

一方、ヤコブの祝福は、恵みの約束とはだいぶ異なり、息子達の過去の評価に基づくもので、場合によってはネガティブな未来を予測しています。また、ヤコブは人間ですから未来予想図を確約する完全な力はありません。

ただし、息子12人の特徴を良く知っていることは父親として立派で、それぞれにふさわしい祝福を与えたと言えるでしょう。イッサカルはロバ(14節)、ダンは蛇(17節)、ナフタリは雌鹿(21節)、ベニヤミンは狼(27節)という具合に、その人の性格や今後の生き方を的確にとらえています。

3~27節までにヤコブの祝福の祈りが記録されており、長男から末っ子の順になっています。

 

(5~6節)ルベンは「わが初穂」と呼ばれ長男として期待されていましたが、父のそばめビルハと床を共にした破廉恥な罪のため(創世記35:22)、長男の特権を奪われました。シメオンとレビは、妹ディナに関わる虐殺事件を起こしたことで(創世記34:25~28)厳しく責められました。

過去の失敗や罪は、悔い改めと謙虚な生き方によってやり直しは可能です。場合によっては将来の祝福の入り口にさえなります。年長の3人の息子はヤコブから厳しい言葉をもらいましたが、それもまた父の愛の表れです。レビ族はその後、祭司を助け礼拝と神殿のために奉仕する部族になっていきます。

ユダよ、兄弟たちはおまえをたたえる。 おまえの手は敵の首の上にあり、 おまえの父の子らはおまえを伏し拝む。ユダは獅子の子。わが子よ、おまえは獲物によって成長する。 雄獅子のように、雌獅子のように(創世記49:8~9)

(9~10節)ヤコブはユダの将来を明るく祝福しました。12部族で首位の座を与えられ、その力はライオンにたとえられ、王権がとどまり、その繁栄はぶどうの実によって象徴されました。ダビデ王はユダ部族出身であり、救い主イエスさまもユダ族の子孫としてお生まれになりました。ユダがベニヤミンの身代わりになり命を投げ出した勇気と犠牲が祝福のきっかけになったのです。

誰かのために貴重なものを投げ出した人は、失うのではなく祝福を受けることになるのです。「受けるより与えるほうが幸いである」(使徒20:35)とイエスさまが言われたとおりです。あなたにもライオンの心が与えられています。主から勇気を頂いて行動しましょう。

ヨセフは実を結ぶ若枝、 泉のほとりの、
 実を結ぶ若枝。 その枝は垣を越える。(22節)

(22~23節)ヤコブはヨセフを「実を結ぶ若枝」と表現して祝福しました。若枝は実りと希望を象徴した言葉です。ヨセフが奴隷生活に耐えてエジプトの指導者に立てられ、ヤコブの一族の生活を守ってくれたことをヤコブは高く称賛し感謝しているのです。

モーセの後継者ヨシュアはヨセフの子エフライム族(民数記13:8)から出ます。また、ミデヤン人と戦った士師ギデオンはヨセフの子マナセ族(士師記6:15)の出身です。

神は私たちの中にも「実を結ぶ若枝」を見ていて下さり、将来の結実を期待して待っておられます。寒い冬につぼみをふくらます梅の木のように、あなたの中にも将来の祝福がつぼみとなってその日を待っています。あなたも実を結ぶ若枝です。

 

☐子供たちや後輩のため、将来の祝福を祈ろう
 ☐失敗を祝福の入り口にしよう
 ☐私を獅子のように強くし、若枝のように育てて下さい

2023年2月5日日曜日

創世記48:1~22

 今回も祝福について考えてみましょう。

ヤコブは臨終を迎えました。ヨセフは息子のマナセとエフライムを連れて枕元にやって来ました。ヤコブはベッドに座るだけて一苦労で(2節)、目は見えていません。(10節)

ヤコブはヨセフに言った。「全能の神はカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、仰せられた。『見よ、わたしはあなたに多くの子を与える。あなたを増やし、あなたを多くの民の群れとし、この地をあなたの後の子孫に永遠の所有地として与える。』(創世記48:3~4)

 ヤコブは過去に主から受けた祝福についてヨセフに語りました。ヤコブは若い頃、手に負えない自己中心な人間でした。そのため実家から夜逃げ同然で叔父の家に旅立ちました。その途中のルズ(ベテル)で神がヤコブを祝福して、多くの子供を与え、この地を与えると主は言われました。(創世記28章)

若き日のヤコブは独身で、約束の地から逃走している最中でした。約束の実現が不可能と思える状況にいました。けれども、「全能の神」が必ず実現すると確約されたのです。20年後にルズに戻った時には、子供が12人与えられていました。そして、神は同じ言葉を語られ、約束は忘れていない、約束は完全に成就する途中にあることを示されました。(創世記35章)

 祝福の本質とは何でしょう。神がその実現を保障してくださる約束です。祝福とは、言い換えるなら、神だけが見えている景色なのです。時間を造られた神は時間を超越して、約束が成就した時点を見ることができるのです。

 私たちが子供や孫のために祝福を祈るのは、私たちが受けた祝福を次の世代に継承する行為なのです。

 ヤコブは、ヨセフの二人の息子マナセとエフライムを孫の地位から、息子の地位に引き上げると宣言しました。(5節)ヨセフは二倍の遺産を受けたことになります。ヤコブからヨセフへの感謝の表れなのでしょう。

 ヤコブは手を交差させて右手をヨセフの次男の頭に乗せて祝福の祈りをしました。(14節)将来、弟が兄をしのぐとヤコブは予測していました。(9節)

 彼はヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。」(15節)

 ヤコブは、二人の孫のために、祖父アブラハムと父イサクの神が祝福して下さるように心を込めて祈りました。また、ヤコブが今まで生きて来て、体験的に知っていた神を一言で言い表して、その神が祝福して下さるようにと祈りました。ヤコブにとって、神とは羊飼いのような存在です。

 20年間、叔父の家で羊飼いをしてきたヤコブは、羊飼いの仕事を熟知していました。羊を危険から守るのが羊飼いであり、適切な場所に導くことも大事な任務であり、何より、どんな時も羊と共にいて羊を愛す存在が羊飼いでした。ヤコブにとって神とは羊飼いなのです。神に守られ、神に導かれてきたのです。聖書で初めて、神を羊飼いと述べたのはヤコブでした。

 ヤコブが、神の下さった祝福の約束を固く信じ通したという記述は聖書にありません。むしろ、神の約束を忘れて、人生の波に翻弄されていただけの人生でしたが、気づけば、子供や孫が70人に増え、エジプトで落ち着いた老後を迎えていました。羊飼いである神にずっと導かれて来たのです。

 神は、あなたにとっても羊飼いです。そのことを感謝しましょう。ずっと離れずにいましょう。神の祝福を、子供、孫、後輩たちに継承しましょう。心を込めて、声を出して、祝福を祈ってあげましょう。

 

☐神の祝福を子供たちや若い世代にあかししよう。
☐子供たちが祝福されるように祈りましょう。
☐神は私の羊飼いです。

2023年1月29日日曜日

創世記47:1~31

 47章には、ヤコブがエジプトで受けた3種の祝福が描かれています。そして、ヤコブがファラオを祝福した事が記録されています。

それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。(創世記47:7)

創世記47章で印象的な言葉は7節の「祝福」です。ひとりの老人ヤコブがエジプトの最高権力者ファラオを祝福しています。10節にも「ヤコブはファラオを祝福し」とあります。本来、高位の人が下位の人を祝福するものですが(ヘブル7:7)、一介の羊飼いが王を祝福しています。今日は、「祝福」をキーワードにして読み解いていきましょう。

          

 まず創世記47章を要約します。1~12節には、ヤコブと息子たち家族が無事にエジプトに到着し、ファラオに挨拶した事が書かれています。主がエジプトに下ることを恐れるなと言われたように、確かにヤコブの一族はエジプトの最良の地、ゴシェンに移住できました。ファラオはヤコブたちを歓迎し正式に移住を認めてくれました。これが第一の祝福です。外国人がエジプトに居住することを保証されたということは素晴らしい待遇です。安全な住まいと環境は祝福なのです。

 13~26節には、エジプトの社会環境の推移が書かれています。飢饉は激しさを増し、エジプトの人々は銀で穀物を買っていましたが、銀が尽きると家畜で食料を購入しました。家畜も尽きると、最後の手段、自分たちの土地をファラオに売り、自分自身をファラオの奴隷として差し出しました。
 自然災害が社会の構造を大きく変えたのです。コロナとウクライナ戦争の影響を受けた私たちも社会の変化を感じています。

またヨセフは、父と兄弟たちとその一族全員を、扶養すべき者の数に応じて、食物を与えて養った。(12節)

 ヤコブ一族の生活はヨセフによって守られていたので、社会の影響を受けず、奴隷にならずに生活できたのでしょう。これが第二の祝福です。

 27~31節にはヤコブの晩年が描かれています。ヤコブはエジプトで平安な17年間を過ごし147歳になりました。彼は自分の死期を悟って、カナンの地に葬ってくれるようヨセフに依頼しました。穏やかな長寿、これが第三の祝福です。

ヤコブはエジプトで素晴らしい祝福を主から頂きました。平和、自由、やすらぎ、健康、繁栄、喜び、愛情、調和などは神から頂いた目に見える祝福です。あなたも、主から祝福を頂いています。数えてみて下さい。

 

ところで、創世記には「祝福」という言葉が60回以上も登場します。神は、世界を創造された初めから世界と人々を祝福されました。まことの神は祝福の神なのです。主はアブラハムを選び、彼を通じて世界を祝福しようとされました。

 「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族はあなたによって祝福される。」(創世記12:3)

周囲の人々を祝福するという役割は、アブラハムからその子イサクへ、そしてヤコブに引き継がれました。だから、ヤコブはエジプト王を祝福したのです。ヤコブの息子ヨセフも彼の周囲の人を祝福しました。

 主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が家や野にある全財産の上にあった。(創世記39:5)

 私たちにもアブラハムやヤコブと同じ使命が与えられています。あなたも私も、周囲の人を祝福するために生まれたのです。身近な人に福音を伝えましょう。笑顔を広げ慰めや励ましを届けましょう。

 「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(第一ペテロ3:9)

☐主から与えられた祝福を数え、感謝しよう。
☐私たちは周囲を祝福するために生きている

2023年1月22日日曜日

創世記46:1~34

 人は大きな決断をする時不安になります。
 あなたは今、何かの決断をしようとしていますか。

イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。(創世記46:1)

ヤコブ(イスラエル)は、息子11人と多くの孫を引き連れて旅立ちました。(8~25)男だけでも70人になる大家族でした。(27節)

ヤコブはベエル・シェバで立ち止まり、神を礼拝しました。ベエル・シェバを地図で確認しましょう。ここはパレスチナ最南端の町で、目の前にはエジプトにつながる街道が通っています。

ベエル・シェバとは、ヤコブの父イサクにとって大事な場所でした。創世記26:23~25を見て下さい。神がイサクに子孫を与える、この土地を与えると約束された場所だったのです。

それだけでなく、ヤコブにとっても意味ある場所でした。創世記28:10によると、ヤコブが兄エサウに殺されそうになって逃げ出した時の実家がベエル・シェバだったのです。ですからヤコブにとって懐かしさと恥が入り混じった人生の原点でもありました。

 

神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。」(創世記46:2~3)

 ヤコブは責任者として自分の決断が正しかったのか不安になっていました。そんな時、いけにえをささげ、家族みんなで主を礼拝したのは正しい行動でした。神は夜、ヤコブの名を呼んで語りかけ、不安を解消してくれました。

 第一に、神はご自分の存在をヤコブに示されました。あなたの父を良く知っているし、あなたにもしっかり目を注いでいると言われたのです。全能の神であるわたしがここにいると言って下さいました。

 第二に、励ましの言葉を下さいました。エジプトに下ることを恐れるな、あなたと共に行くと言葉をかけて下さいました。

 第三に、約束を与えて下さいました。子孫を増やし大いなる国民とし、必ずこの地に連れ帰る。死ぬ時はヨセフがまぶたを閉じてくれるというのです。

ヤコブは神の言葉を聞き、大きな慰めと確証を得ることができました。
 あなたにも主は同じことをして下さいます。

☐大きな決断をする時は、主を礼拝しよう。
 ☐神は私たちと共にいて、励まして下さるお方。
 ☐神の約束を信じて前に進みましょう。

2023年1月15日日曜日

創世記45:16~28

 今日のテーマは、新しい環境に飛び込むことです。 
 最初に今日の聖書箇所を要約します。

ヨセフは兄達を完全に赦し、父と兄たち家族をエジプトに呼び寄せると決めました。ファラオも今回の出来事を聞いて喜び、ヨセフの家族をエジプトに招待する事に賛同してくれました。(創世記45:16~20)ヨセフは兄達に晴れ着を渡し、父ヤコブにはエジプトの豪華な品々、20頭のロバと車を送りました。(21~24節)実家に戻った兄達はエジプトで見聞きしたことを父に伝えましたが、ヨセフが生きている事をヤコブは信じられませんでした。外に出て、エジプトから贈られた車や品々を見てヤコブは納得し、エジプト移住を決めました。(25~28節)


「家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」(創世記45:20)

私たちの人生において大きな節目がいくつかあります。就職、転職、結婚、引っ越し。未来は誰も分からないので決断には不安が伴います。これらは誰かに代わってもらえず、自分で決める必要があります。

ファラオは、家財に未練を残さずにエジプトに来なさい、エジプトの最良のものを与えると約束してくれました。これは、神がアブラハムやイサクやヤコブに約束された言い方にそっくりです。この土地を与えよう。子孫を与えよう。神が祝福を約束されているなら、「家財」に未練を残さずに新しい未来に飛び込みましょう。何かを捨てなければ飛び立てません。

海外旅行する時は大きなスーツケースを持って出かけます。最初から荷物を詰め込み過ぎると、帰りにおみやけを入れるスペースがなくなるので、ちょっと隙間があるくらいが丁度良いのです。人生も同じです。忙しさや付き合いや習慣であなたの人生のスーツケースがパンパンになっていたら、神さまのための新たな奉仕もできませんし、成長の機会を逃してしまいます。

 私たち夫婦は結婚以来12回転居し、国際引越も2回経験しました。たくさんのものを捨てて辛い思いをしました。けれども、新たなものを得、新しい人と出会い、新しいことを学び、主の大きな恵みを体験することができました。三人の子供をかかえ、42歳でアメリカに移住したことは思いもかけない祝福の入り口になりました。

彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」(創世記45:27~28)

 ヤコブは、非現実的な望みを持っていました。死んだヨセフにもう一度会いたい。ところが、ヨセフが生きていると分かったので、希望がヤコブを後押しして遠いエジプトに旅立つ決心ができたのです。

 私たちにも、ファラオの約束があり、送り届けられた車があります。

エレミヤ29:11~12にあるように、神は私たちのために平安と将来と希望を与える計画を持っておられます。新約聖書の視点に立てば、エペソ人への手紙1章の霊的祝福が「エジプトの最良のもの」であり、聖霊が御国を受け継ぐ保証、つまり届けられた車なのです。

 私たちがこの世を去る時もこの世に未練を残す必要はありません。主イエスさまが私たちのために備えて下さった家があるからです。(ヨハネ14:2~3)

 ☐最良の物が用意されている
 ☐家財に未練を残さない
 ☐新しい環境と出会いに飛び込もう

2023年1月8日日曜日

創世記45:1〜15

 ヨセフはなぜ兄たちを赦すことができたのでしょう。

 ヨセフは自分が誰かを明らかにするつもりはありませんでした。自分を隠して兄たちに恐怖を与え、復讐し、ベニヤミンを残して兄たちを帰宅させるつもりでした。 

 兄たちを赦すつもりは毛頭ありません。赦せない事を悩んでもいません。赦そうと努力したこともありません。復讐することは当然の権利だと考えていたようです。


 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「皆を私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。ヨセフは声をあげて泣いた。エジプト人はその声を聞き、ファラオの家の者もそれを聞いた。(創世記45:1~2)


 ヨセフは家来を部屋から出し、突然泣き出しました。自分を制することができません。自分がヨセフであるとユダヤ人の言葉で兄たちに明かしました。


 ヨセフが態度を変えたきっかけはユダの言葉と態度でした。父ヤコブに愛されていないユダが、ベニヤミンの身代わりになり奴隷になると申し出た姿を見て、激しく心が動かされたのです。


 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。(5節)


 ヨセフは兄たちを一瞬で赦しました。自分を責めないでください、あなた達が私を奴隷に売ったのではなく神が私を先にエジプトに遣わしたのであり、神の計画だったのです、と述べました。

 遣わされたという言葉が5、7、8節で使われています。ヨセフは自分の使命をはっきり認識したのです。今、ここにいる意味を知った人は、誰かを赦すことができます。神の視点で物事が見えてくるので、赦せるのです。自分のプライドや過去の記憶や傷などがどうでも良い事だと感じられるのです。


 世間一般の赦しは天秤で二つのものを測るようなものです。自分が傷を負ったとします。相手が土下座し、弁償し、期待通りの方法で頭を下げて、自分のプライドが回復できた場合に赦します。自分の受けた傷と相手の謝罪姿勢を比較して合格なら赦してやるという態度です。


 ヨセフの場合はどうでしょう。今日の箇所に、兄たちの謝罪の言葉が事前にありましたか。いいえ。何らかの弁償をしましたか。いいえ。ヨセフの気持ちが晴れるような何かをしましたか。全てノーです。ヨセフは天秤にかけてオーケーを出したのではありません。赦すとはこういうことです。


 「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)


 赦す側の人は、自分が受けた傷も名誉も苦悩も損害も全部水に流します。そんなことはなかなかできるものではありません。主によってきよめられていく人は、神の姿に似てくるのです。


 

 彼はまた、兄弟みなに口づけし、彼らを抱いて泣いた。それから兄弟たちは彼と語り合った。(15節)


 飢饉はまだ5年続くので、父も家族も全員連れてエジプトに来てくださいとヨセフは語りました。そして、兄たち全員を一人一人抱きしめました。


 本物の赦しは、過去の問題を清算するだけではありません。自分を傷つけた人を大切にしながら、将来にわたってその人と共に生きていきたいという姿勢です。赦しは、過去、現在、未来を整え、未来の新しいページを開く扉なのです。その扉を開けられるのはあなただけです。


□あなたは、誰を赦しますか
□赦す人は神に似た者になる
□一瞬で、人を赦せる

2023年1月2日月曜日

創世記44:18~34

 「ユダが彼に近づいて言った」(19節)

11人の兄弟たちの前に巨大な崖のように立ちはだかったのがエジプトの最高権力者ヨセフでした。銀の杯が盗まれた事をヨセフは怒り、犯人のベニヤミンだけを残して立ち去れと命じました。誰がその言葉に逆らえるでしょうか。皆がうつむき諦めかけました。
 そんな時、四男ユダがヨセフの前に進み出てヨセフに語りました。心にはある決断を秘めていました。

 「彼に近づいて言った」ここにユダの自発性が表れています。自発性とは、船の舳先が波を切り裂いて前進するような勇気です。義務ではなく、強いられず、自分の意思で人生を切り拓いていくことにとても大きな価値があります。あなたの人生にもこのような瞬間が訪れます。主を信頼して、思い切って前に出てみましょう。あなたの一歩を自分で決めて進み出ましょう。

 ベニヤミンの証言や表情を見れば彼の無実はすぐに分かりますが、ユダは憤ったり強圧的にヨセフに対処しません。支払った銀が自分たちの袋に戻った時に神の御手を感じたように(創世記42:28)、銀の杯が発見された事は摂理として受け入れ、怒り狂うヨセフに穏やかに話しかけ、今までの経緯を順々と説明しました。

 ベニヤミンに会いたいと言われたのはあなた様です。彼を連れて来るのは骨が折れました。父が許さなかったからです。父の心はベニヤミンと結ばれています。もし彼を連れ帰らないなら老いた父は死ぬでしょう。

 私はベニヤミンの保証人になるとの約束をして来ました。ですからお願いです。私をベニヤミンの身代わりにエジプトに残して下さい。私が一生あなたの奴隷として働きこの地で死にます。ベニヤミンを解放し父を救って下さい。

 ところで、父親のヤコブは無意識に残酷な事を言ったことがありました。

あなた様のしもべ、私の父がこう申しました。『おまえたちもよく知っているように、私の妻は二人の子を産んだ。』(創世記44:27)

 ヤコブは実質4人の妻を持ち、十二人の息子がいました。けれども、本当の妻はラケルだけで、正式な子供は二人だけだと言ってはばかりませんでした。他の息子たちを無視し、ヨセフとベニヤミンだけを子供とみなしていました。

 これを聞いたユダは悲しかったでしょう。ユダの母親は父親に嫌われたレアでしたが、血のつながった親子に間違いありません。父に愛されず、認められなくても、ユダは父を死なせたくないのです。なんとしてもベニヤミンを救助し、父の命を助けたかったのです。

私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから(30節)

ユダの視点では、父とベニヤミンのいのちは結ばれて見えました。けれども、父とベニヤミンのために身代わりを申し出たユダこそ、父とベニヤミンのいのちと結ばれていたのです。いのちが結ばれた関係でないと身代わりにはなれないのです。

というのは、このしもべは父に、『もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります』と言って、あの子の保証人となっているからです。ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。(32~33節)

 主イエスの姿とユダが重なって見えてきます。

 民数記2:9によると、十二部族が荒野で行進する時はユダ族が先頭に立つように主が命じておられます。リーダーシップが長男から四男ユダに移ったことがみて取れます。救いイエスさまがユダ族の子孫から生まれていることも納得できます。(マタイ1:3)


 ☐ユダのように、自発的に前に進み出る人になろう。
 ☐誰かと心をつなごう。
 ☐主イエスは、私たちの身代わりになり、永遠の罰を受けて下さった。

2022年12月18日日曜日

創世記44:1~17

 ヨセフは、ベニヤミンとの再会を祝った後、ロバが積める最大量の穀物を兄達の袋に入れさせ、代金として支払った銀も戻させ、ベニヤミンの袋だけ、銀の杯を紛れ込ませるように管理者に指示を与えました。(1~3節)

 「しもべどものうちで、それが見つかった者は殺してください。そして、私たちもまた、ご主人の奴隷になります。」(創世記44:9)

翌朝、兄たちが町を出て遠くに行かないうちに、管理者は兄たちを追跡し、「おまえたちのしたことは悪辣だ」(5節)と非難させました。銀の杯を盗んだという言いがかりを聞いて兄たちは怒り、そんな者がいたら犯人を殺しそれ以外の者は全員が奴隷になりますと述べました。兄たちの態度は正直で真剣で自己犠牲に富んでいました。(7~10節)兄達はいつの間にか良い人になっていました。大きな試練と取り返しのつかない失敗が兄さんたちを変えたようです。

長男から順に袋を調べると末っ子ベニヤミンの袋から銀の杯が出てきました。(11~13節)

ユダが答えた。「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」(16節)

四男ユダはヨセフに何の弁解もしませんでした。神が私たちの咎を暴かれましたと述べました。ベニヤミンだけでなく、全員が奴隷になりますと謝罪の意を表しました。ヨセフを奴隷に売った罪の罰を意識していたのかもしれません。

ヨセフは言った。「そんなことをするなど、とんでもないことだ。その手に杯が見つかった者、その者が私の奴隷となるのだ。おまえたちは安心して父のもとへ帰るがよい。」(17節)

 ヨセフはあわてました。犯人のベニヤミンだけを奴隷にする、他の者は安心して父のもとに帰れと語りました。(17節)安心して帰れるはずはありません。


 さて、今日の箇所では何が問題だったのでしょう。
 ヨセフがベニヤミンの人生を支配したことが問題なのです。

 あなたがベニヤミンならヨセフに何と言いますか。私ならこう言います。

 ヨセフ兄さんは自分勝手だ。自分のことしか考えていない。兄さんは僕を泥棒に仕立てた。嘘をついてだました。どんなに僕が驚き落胆し恐怖を感じたか分からないだろう。事前に別室に呼んで、僕の意向を聞くこともできたはずだ。あなたこそ悪辣だ。

 確かに兄達は意地悪だったが今は違う。正直で、思いやりがあり、過去の失敗を悔い、自己犠牲にあふれた良い人たちで、年老いた頑固な父のことまで心配している。利己的なヨセフ兄さんとご馳走を食べて過ごすより、情け深い兄さんたちと飢饉で死んだほうが何倍も幸せだ。さようならヨセフ兄さん。

 人を自分の支配下に置いてはいけない。
 人の人生に泥足で侵入してはいけない。
 人の話にはきちんと耳を傾けよう。それは家族の中で特に大切な事です。

 まことの神に目を向けましょう。神は、私たちに命を与え、限りない愛を注ぎ、いつも共にいて守って下さるのに、私たちを支配することなく、完全な自由意志を与えて下さいました。それだから、私たちは選ぶ喜び、自発的に行動する生きがい、選択に伴う責任を担えるのです。

 ヨセフは成功して地位と力を持つと悪辣な人間になり、平気で嘘をつき、人の人生を支配する人間に堕ちてしまいました。

 ヨセフを反面教師としましょう。ベニヤミンの苦悩に気づく人になりましょう。家族の一人一人の人生と選択を大切に考え、自由を奪うことなく、支配することなく、皆が笑顔になれるようにしましょう。

 ☐良い人でも悪くなる。悪い人でも良くなる。
 ☐人の人生を支配しないこと。
 ☐私たちの神は、自由意志を与えて下さった神。

2022年12月11日日曜日

創世記43:26~34

兄たちがエジプトに持って来た名産品(創世記43:11)の香りは、ヨセフに苦い過去を思い出させるものでした。きっとヨセフは顔を曇らせたはずです。21年前、ヨセフを奴隷として買い取った商人たちの積み荷も樹香、乳香、没薬(創世記37:25)だったからです。ヨセフは心をコントロールできたので激怒したり動揺しませんでした。

ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これが、おまえたちが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ、神がおまえを恵まれるように。」ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた。(創世記43:29~30)

ヤコブが出発前に、全能の神があわれんで下さるようにと祈りましたが、それが通じたのでしょう。ヨセフは穏やかに、恵み深く接してくれました。ヨセフは、ベニヤミンと生きて再会できたことを深く喜び、万感の思いを込めて「わが子よ、神がおまえを恵まれるように」と述べました。

21年ぶりにベニヤミンを見て、ヨセフは感極まり奥の部屋で泣きました。生かされている恵み、再会できた感激をかみしめ、流れる落ちる涙と共に兄たちへのわだかまりも消え去ったようです。嫌っていた兄たちとも一緒に食事ができそうです。

また、ヨセフの食卓から彼らの分が与えられたが、ベニヤミンの分は、ほかの者より五倍も多かった。彼らはヨセフとともに酒を飲み、酔い心地になった。(創世記43:34)

ヨセフのテーブルに並べられたご馳走が少し離れた所に座っていた兄たちに配られました。この豪華な昼食の目的はヨセフしか知りません。ベニヤミンとの再会を祝う祝宴だったことは、ベニヤミンに5倍の料理がふるまわれたことで分かります。

兄たちは飢饉で苦しんでいたのでこのご馳走は特別な喜びになりました。食べて酔って12人の兄弟はみな幸せな時を過ごしました。

 よく考えてみると、兄たち10人はヨセフから歓迎の食事を頂く資格はありません。ヨセフが兄たちに恵みとあわれみを一方的に注いだのです。この昼食会は、神の愛と恵みがどんなものかを教えてくれます。

 詩篇23:5によると神は敵の前で私たちに食事を用意して下さる方です。放蕩息子を迎えた父は「肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう」(ルカ15:23)と言いました。主イエスご自身が私たちに食事を提供して下さる方だということは福音書全体から知ることができます。五千人の給食でパンと魚をご馳走して下さったのは主イエスです。最後の晩餐で、パンと杯を弟子たちに与え、飲みなさい、食べなさいと言われたのも主イエスです。復活後、ガリラヤ湖の早朝、パンと魚を用意されて「さあ、朝の食事をしなさい」(ヨハネ21:12)と言われたのも主イエスです。私たちの心の扉をたたき、私たちと食事をして下さるのも主イエスです。(黙示録3:20)

 私たちは神の愛と恵みに満ちた祝宴に招かれていたのです。

 あなたの生涯で最も感激した食事はどんな場面でしたか。今度は、私たちが誰かにご馳走しましょう。最も豪華な食事とは、あなたのまごこころが込められたおもてなしです。

☐過去のわだかまりは、涙と共に流し去ろう
☐
私たちもごちそうで示そう、歓迎と愛と喜びと励まし 
☐
神は素晴らしい祝宴を用意される方

2022年12月4日日曜日

創世記43:11~25

 「全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。」(創世記43:14)  

 息子ユダの言葉に心動かされ、頑固だったヤコブの口から祈りが生まれました。「全能の神」(エル・シャッダイ)という神の名は旧約聖書に7回用いられています。
 創世記17:1で初めて神みずからがご自分の特性を明らかにされました。この箇所は99歳のアブラハムに子供が生まれると神が約束された場面でした。
 次に、創世記28:3において、父イサクが青年ヤコブの旅立ちに当たって用いた表現も全能の神でした。パダン・アラムで妻を見つけ、多くの子が与えられるようにという祈りでした。
 創世記35:11では、たくさんの子供を連れてカナンに戻って来たヤコブが将来に不安を覚えていました。そんな時ベテルの地で、あなたの子孫から国が生まれ王たちが現れこの土地を与えると神が約束して下さいました。その時、神ご自身が用いられた神の名が全能の神でした。

 全能の神という神の名は、厳しい困難が横たわっている時に用いられます。今日の箇所でもヤコブは、エジプトで穀物を買い求め、人質のシメオンを取り戻り、ベニヤミンを連れ帰ることがどれほど困難かを深く認識していました。それで、プライドを捨て、全能の神にすべてをお任せすることにしたのです。ヤコブの信仰が復活した瞬間でした。

 あなたの目の前に大きな困難がありますか。全能の神に信頼しましょう。


 ヤコブの息子達は末っ子ベニヤミンを連れてエジプトに出発しました。袋に戻っていた銀について、ヤコブは「あれは間違いだったのだろう。」(創世記43:12)と考え、二倍の銀を持たせました。ヨセフがベニヤミンを認めると、兄たち全員を自宅に招き入れ、昼食を共にすると決めました。
 兄たちは全体像が見えないので不安に陥りました。袋の銀の件であらぬ疑いをかけられ、奴隷にされ、ロバまで奪われると勘繰ったので怖くて震えました。それで兄たちは、ヨセフ宅の門前で管理者に必死に弁解しました。誰かが袋の中に銀を入れたのです。(43:22)それは返します、今回の代金は別に持ってきましたと。
 
 兄たちにとって銀といえば、ヨセフを売った代金の銀20枚(創世記37:28)についての苦い思い出があります。もちろん父ヤコブには銀のことは話していません。今回の銀について兄たちは正直に話しました。

 ヨセフが兄たちの袋に銀を戻させたのは、その銀を用いて兄たちの正直さを試したのかもしれません。銀について何も言わないなら、昔の兄たちのままだ。銀が戻っていたと説明し、銀を持って来たなら兄たちは信頼できると考えたのかもしれません。

 正直さはあまりスマートには見えません。嘘をついたり、覆い隠したりすれば、近道を楽に進めます。正直に告白し、自分の失敗を認めることは格好悪いです。けれども、正直な人は最終的には信頼される人になります。今週、正直さを大切にしましょう。

 彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのです。あなたがたの銀は、私が受け取りました。」それから、彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。(43:23)

 ヨセフの家の管理者は、穀物の代金は受け取っていますと明言しました。「あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れて下さったのです」という言葉に、兄たちはどんなに安堵したことでしょう。
 シメオンが釈放されました。みんな喜んだことでしょう。水が与えられ、ろばの餌が支給され、兄たちの心は落ち着いてきました。ヤコブの祈りはきかれ、全能の神のあわれみが確かに注がれました。

 
☐全能の神にお任せしよう
 
☐正直さを大切にしよう

2022年11月27日日曜日

創世記43:1~10

 飢饉は2年目に入りました。(創世記45:11)買い付けた穀物をほとんど食べ尽くしたことに気づき、父ヤコブは息子達にエジプに行って再び穀物を買い求めるように命じました。

すると、ユダが父に言った。「あの方は私たちを厳しく戒めて、『おまえたちの弟と一緒でなければ、私の顔を見てはならない』と言いました。」(創世記43:3)

 父の言葉に反応したのは四男のユダでした。なぜ、ここでユダが登場したのでしょう。エジプトから帰還した時に、長男ルベンが一生懸命に父を説得しようと試みましたが(42:37)ヤコブは態度を硬化させてしまいました。それで今回、ルベンは何も言い出しませんでした。

 順番でいけば次男の出番ですが、シメオンはエジプトで人質にされています。その次は三男のレビですが声は聞かれません。シメオンとレビは残虐な事件を起こした過去があり(34:25)、父ヤコブの頑迷さと我がままに怒っていたのかもしれません。そんな流れで、四男ユダが父と交渉を始めたのでしょう。(43:3~5)

 問題を前にした時の対応は三つあります。第一、どうにもならないと無気力になり諦める。第二、他人に解決してもらおうと漠然と時を待ったり、誰かの背中を押す。第三、「私がやります」と手を上げる。ユダは第三のタイプでした。

ベニヤミンを連れて行かないと穀物を買えないので、ユダは自分が責任を負うと決意し、父を説得しようとしました。人の後ろに隠れていた普通の人に使命感が与えられ、前に出てリーダーシップを取ることがあるのです。

 ヤコブは、ベニヤミンのことをエジプト人に話した過失を責めました。(43:6)兄弟たちは必至になって事情を話しました。(7節)ここで、ユダは、過去の責任のなすり合いを避け、未来志向の提案をしました。

私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。もしも、お父さんのもとに連れ帰らず、あなたの前にあの子を立たせなかったら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。(創世記43:9)

 ユダが、末っ子ベニヤミンの命を守り全責任を負う覚悟を示しました。死ぬ覚悟を見せたと言ってもよいでしょう。ユダがそこまで言えた背景は何でしょう。父ヤコブや自分たちの妻や子供たち全員に食料を与えたい。人質のシメオン兄さんを救出したい。つまり動機は愛なのです。

また、過去の自分たちの行動に対する深い反省がありました。二度と同じような失敗をしたくない。人を殺害するのでなく人を生かしたいという強い思いがありました。

 「ユダと兄弟たち」(44:14)という記述が次の章にありますが、この後、ユダは兄弟たちの中で自然にリーダーシップを取るようになります。ヤコブが臨終のとき、ユダは獅子の子と呼ばれ、兄弟たちの上に君臨し、王権は離れないと預言しました。(49:9~10)主イエスもユダの子孫としてお生まれになっています。(マタイ1:1~3)

 あなたはユダです。今まで後ろに隠れてその他大勢の一人だったかもしれません。祈りと御言葉に押し出されて手をあげて「私がやります」という人になりましょう。

 ☐主に励まされて「私がやります」と言ってみましょう
☐全力で誰かを背負ってみましょう

2022年11月20日日曜日

創世記42:29~38

 質問1:ルベンたちは、なぜ、ありのままを話せたのでしょう?
質問2:ヤコブはどんな反応をしましたか?
質問3:ルベンの言葉をどう思いますか?
質問4:あなたがヤコブだったら、どう応答しましたか?

ヨセフ物語を貫くテーマは家族です。特に、親子関係、兄弟関係が取り扱われています。心安らぐはずの家庭が、えこひいき、ねたみ、憎しみ、嘘、誤解、頑固さによって地獄のように変わりました。どうしたら温かい家庭になれるのでしょう。ヨセフ物語はそのヒントを与えてくれます。

 今日のあらすじはシンプルです。ルベン達9人の兄弟がエジプトで買った穀物を持ち帰り、父ヤコブに何が起きたかを報告し、ヤコブはそれを聞いて憤り態度を硬化させたと言う内容です。

 兄たちはエジプトで起きたことを詳細に伝えました。(29~34節)エジプト高官にスパイの嫌疑をかけられ、身の潔白を証明するために家族構成を話すと、その場にいない末の弟を連れて来れば信用しようと言われたのです。末っ子ベニヤミンを連れ戻れば人質のシメオンを解放してくれるので、彼を連れて行かせて下さいとルベンは父に話しました。

 ルベンたち兄弟は21年前、ヨセフを奴隷に売ったのに野獣に殺されたと口裏を合わせ嘘をつきましたが、今回、シメオンが人質に取られた事を含めてありのままを父に知らせました。

 嘘で取り繕わず、不都合な真実まで語れるようになりました。それは、エジプトの投獄経験で自分たちの悪を深く反省した結果なのでしょう。

父ヤコブは言った。「おまえたちは、すでに私に子を失わせた。ヨセフはいなくなり、シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンまで取ろうとしている。こんなことがみな、私に降りかかってきたのだ。」(創世記:36)

 ヤコブの反応は残念です。ヨセフ、シメオン、そしてベニヤミンと私の息子たちを失わせたのはおまえたちのせいだとヤコブは息子たちを責めました。42:1~2から分かるように、エジプトに行って穀物を買いに行きなさいと命じたのは父ヤコブでした。父親が自分の発言を忘れて責任転嫁したのです。

 また、悲劇のヒーローは自分だけだと自己憐憫に陥っています。ルベンをはじめ兄弟全員が同じ悲しみを負っていることを忘れています。

 38節では、意固地になり、ぜったいベニヤミンは行かせないと述べました。さらに、白髪で年老いた者の願いを聞け、私を死なせる気かと脅迫めいたことまで言いました。

 あなたがヤコブの立場だったら、帰って来た息子達に何と言いますか。

 ご苦労だったな。穀物を買って来てくれてありがとう。これでしばらく家族全員が生きながらえる。お前たちのせいではない。私がエジプトに行けと言ったのがいけないのだ。しばらく休んだら出かけよう。私も行く。ベニヤミンをその高官の前に立たせて潔白を証明しよう。何かが起きたら、私が人質になる。私が一番の高齢で、ここで死ぬか、あちらで死ぬかだ。

 ルベンは父に言った。「もし私がこの弟をあなたのもとに連れ帰らなかったら、私の二人の子を殺してもかまいません。彼を私に任せてください。この私が彼をあなたのもとに連れ戻します。」(42:37)

 ルベンは父の言葉や態度に胸を痛めながらも、ベニヤミンの命を守ると必死に説得しました。もしもの場合は、自分の二人の息子の命を取っても良いとまでいいました。

ルベンはすぐ下の弟シメオンを大切に思っていました。たとえ、ヨセフ殺害の首謀者で粗暴な人物だったとしても、かけがいのない兄弟として愛していたのです。

家族の一人を救うために大きな犠牲を払うことがあります。父なる神は、ご自分の一人子の命を差し出して私たちの命を救って下さいました。

父ヤコブと息子達は、温かい家族を取り戻すプロセスに入っています。自分たちの行った悪を悔い改め始めた兄たちは正直に話す者になり、誰かのために犠牲を払う覚悟ができてきました。父は、えこひいきで自己憐憫で意固地なままですが、息子達の誠実さや熱意や神を見上げる姿勢に触れているので、今後が期待できます。

 あなたの家族をもっと温かいものにしましょう。ヤコブのような態度はやめましょう。あなたに何ができるか考えてみましょう。

☐不都合な真実を話せるのが家族。
☐苦労したり失敗した者をねぎらうのが家族。
☐いざという時は犠牲を惜しまないのが家族。

2022年11月13日日曜日

創世記42:18~28 

 ヨセフは三日目に彼らに言った。「次のようにして、生き延びよ。私も神を恐れる者だから。」(創世記42:18~19)

 ヨセフは突然兄たちと再会したため憎しみと怒りが燃え上がり自分を制することができなくなり、兄たち10人にスパイの嫌疑をかけて牢屋に投げ込みました。

それから3日が過ぎ、ヨセフはやっと自分を取り戻せました。冷静になるために3日という時間が必要でした。「私も神を恐れる者だから」という言葉にヨセフの柔らかな心があらわれています。

9人を人質に取り一人を帰らせたらわずかな食料しか持って帰れません。父、そして、兄たちの妻や子供たちを助けることができないと気づいたのです。それで、最初の命令を取り下げ、一人を人質にし9人を帰らすことにしました。これは、自分の役割を自覚し、心が穏やかになった印です。神を恐れる者にもどれたのです。

ただし、弟ベニヤミンと再会したい、兄たちにいじめられていたなら助け出してエジプトで一緒に暮らしたいという願いは変わりませんでした。

怒りや憎しみが燃え上がる時、私たちは自分にだけ目が向いています。自分の視点からしか物事を見られません。けれども、時間を置いたり、主の前で祈ったり、みことばを読んだりすると心を冷却させることができます。そして、相手の立場に立って考えたり、自分を客観視できるようになります。

 あなたにも3日間の冷却期間が必要かもしれません。物事を自分の立場からだけではなく、相手の立場、客観的視点、神の目から見つめ直しましょう。

 

彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」(42:21)

 兄たちは、突然スパイの嫌疑をかけられ、投獄され、大きな不安を抱え、処刑される恐怖を味わいました。ヨセフもきっと同じような苦しみを味わったのだと兄たちは思い至りました。

 3日後にヨセフの前に立った兄たちは、口々に同じことを語りました。今、我々は罰を受けている。ヨセフを殺そうとしたり、奴隷に売ったことの罰を受けている。21年前、ヨセフがあわれみを求めた時、我々はそれを無視した。「その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。」

ルベンは、ヨセフに手を出すなと言ったじゃないかと長男らしい事を語り、「血の報い」という言葉を使ってヨセフは死んだという認識を述べ、責任を痛感していました。おそらくヨセフは、ルベン兄さんがヨセフの命を救ったことを初めて知ったのでしょう。

兄たちは、通訳を介していたので、会話がヨセフに伝わっていたとは思いませんでした。

 ヨセフは彼らから離れて、泣いた。それから彼らのところに戻って来て、彼らに語った。そして彼らの中からシメオンを捕らえて、彼らの目の前で彼を縛った。(42:24)

ヨセフは、その場を離れ、一人で涙を流しました。兄たちの反省の言葉が心に迫りまったからです。強く反省している気持ちが伝わってきました。ルベンの配慮に感謝しました。色々な感情がヨセフの中で巡ったので、席を外して泣いたのです。

兄たちがヨセフの存在に気づいたら謝罪の動機が複雑になったはずです。殺されないために謝るとか、穀物を手に入れるために謝罪するとか、不純な感情が混ざってしまいます。けれでも、今、兄たちはヨセフの存在を知りません。ヨセフと気づかない時に、当事者のいない所で、自分が悪かったと声に出して言える行為は、真実な悔い改めに至る大切な第一歩になるのです。

ヨセフは兄たち9人のロバに積めるだけの穀物を持たせました。代金の銀は受け取らず、そっと袋に入れて返しました。

☐怒り過ぎたら、冷却期間を置いて神を恐れる者に戻ろう。  
 ☐罰を受けていると気づいたら、悔い改めよう。

2022年11月6日日曜日

創世記42:1~17

  ときに、ヨセフはこの地の権力者であり、この地のすべての人に穀物を売る者であった。ヨセフの兄弟たちはやって来て、顔を地に付けて彼を伏し拝んだ。(創世記42:6)

 ヨセフは、なぜ意地悪になったのでしょう。
 人は、どんなきっかけがあると、悪い人になるのでしょうか。

 ヨセフは富も名誉も生きがいも手にして満ち足りた生活をしてきました。7年間の豊作が続き、結婚して二人の子供を与えられ、やりがいのある仕事があったからです。

 ヨセフは人格者でもありました。忍耐強く、誠実で、学ぶ姿勢があり、人に希望を与え、周囲から信頼される人でした。

 けれども、兄たち10人の顔を見た途端、憎しみと復讐の炎が燃え上がりました。「見知らぬ者」(7節)として「荒々しいことば」(7節)で対応し、「この国の隙をうかがいに来たのだろう」(9節)と根も葉もない疑いをかけて、兄たちを恐怖に突き落としました。人格者が一瞬にして悪者になりました。17歳の時に受けたあの苦しみは絶対にゆるせないとばかりに、兄たちを苦しめました。(創世記42:6~9)

 兄たちは必死になって弁明しました。家族構成を紹介する時に、一人の兄弟が自然にいなくなったという説明をしました。ヨセフはそれを聞いて堪忍袋の尾が切れたのでしょう。お前たちが奴隷に売ったのではないかと腹を立てたのです。それで兄たち全員を三日間、監獄に投げ込んでしまいました。(42:10~17)

 優しい人もきっかけがあると悪い人に変わります。憎しみ、怒り、復讐心などの否定的な感情に身を任せてしまうと意地悪になってしまいます。

 あなたは、最近激怒しましたか。冷静になってその時の自分を振り返って下さい。

 かつて彼らについて見た夢を思い出して、ヨセフは言った。「おまえたちは回し者だ。この国の隙をうかがいに来たのだろう。」(9節)

 ヨセフは、人の夢については冷静に解き明かせました。三日で監獄を出られますと献酌官に解説したり、7年の豊作の後に7年の凶作が来ると王に説明しましたが、自分の夢となると別問題でした。

兄たちが自分にひれ伏す夢を見たことは思い出せたのですが、夢の意味は分かりませんでした。夢についての考察をせずに怒りに身をゆだねてしまいました。

ヨセフの見た夢を解き明かすとこうなります。ヨセフがエジプトに派遣されたのは、ヨセフが家族全員を助けるためだった。それが、神の計画であることを明確に教えるため、あらかじめ夢を通して予告されたのです。

その場で夢の意味が理解できなくても、兄たちに別室で待機してもらい、仕事を早めに終わらせ、一人で祈り、一人で夢について熟考すればよかったのです。

怒りが強すぎると自分の役割をとらえられません。今までの道のりや、現在置かれている立場を冷静に見直す機会があれば、神が与えて下さった使命を理解できます。自分の役割が分かると、怒りや復讐心が溶けていきます。

あなたが今ここにいる意味を考え直してみましょう。

☐怒りや復讐心はマイナスに働く
 ☐神が示して下さったみこころを静かに思い巡らそう

 ☐与えられた使命を見つけよう

 

2022年10月23日日曜日

創世記41:46~57

 エジプトの王ファラオに仕えるようになったとき、ヨセフは三十歳であった。ヨセフはファラオのもとから出発して、エジプト全土を巡った。さて、豊作の七年間に、地は豊かに実らせた。(創世記41:46~47)

 ヨセフは30歳になりました。彼が王の夢を解き明かした通りに7年間の豊作が始まりました。ヨセフはファラオから任命された仕事に全力で取り組みました。

今までの苦労が報いられ、すべての経験が生かされ、神から与えられた賜物がみごとに開花しました。ヨセフはまさに働き盛りで、人生で最良の時期を迎えました。

48~49節にあるように、ヨセフは各地に食料備蓄用の巨大な倉庫を次々に建設していきました。多くの穀物が集まったので最後には量りきれなくなったほどです。

 ヨセフの凄さは、期待されたことを、期待通りに行えることです。今、仕事に携わっている人はヨセフを手本にしましょう。

働き盛りのみなさん。自分の仕事に集中しましょう。仕事を通して社会の人々に貢献できます。神の栄光を表すことができます。どんどん新しい事にチャレンジしましょう。たくさん吸収しましょう。後輩も育てることができます。仕事でのスキルを上げていきましょう。

 

ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった」からである。また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が、私の苦しみの地で、私を実り多い者としてくださった」からである。(創世記41:51~52)

 ヨセフは家庭面でも祝福を受けました。身分の高い女性と結婚し、子供も二人与えられました。長男はマナセ、次男はエフライムと名付けました。

マナセは、忘れる、という意味です。神が過去の苦労と実家のことを忘れさせてくれたのです。苦い過去を引きずることがなくなりました。憎しみも忘れ、復讐も忘れることができました。

エフライムという名は、豊かな実り、を意味します。現在の豊作がヨセフの人生を象徴しています。苦しみの地にいても、神が実りを与えて下さったと理解し始めました。実りを発見できるようになったのです。つまり、ヨセフは積極的に感謝する人になったのです。

子供の名前はヨセフの心境であり、人生の指針でもありました。過去にとらわれず、感謝を見出す人は、幸いな人生をおくれます。

 

エジプトの地での豊作の七年が終わると、ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々に臨んだが、エジプト全土には食物があった。(創世記41:53~54)

 豊作の7年が終わると飢饉が始まりました。穀物を備蓄していたので国に混乱は起きませんでした。

 私たちの人生にも、豊作と凶作の時期があります。ヨセフの例にならって、凶作の時期に備えた人生設計をするなら、苦しみが来ても耐えることができます。あなたにとっての穀物の備蓄とは何でしょう。

 55節で、ファラオは食物を求める国民に対して、ヨセフのもとに行け、と言っています。57節では、人々が「ヨセフのところに来た」と書いてあります。

 いざという時に、あの人のところに行けば助けてくれる、という評判ができたら、その人は信頼できる人です。そういう人になれたら良いですね。

 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)

 ヨセフは主に信頼し自分の人生を主にゆだねました。それで、主の助けを頂いて過去を忘れ実りを発見して感謝する人となり、働き盛りの時に精一杯働いて多くの人の役にたつことができました。あなたはヨセフから何を学びますか。

☐人々と主のために、精一杯働きましょう。
 ☐マナセとエフライム。過去を忘れ、実りを感謝しましょう。
 ☐ヨセフから学びましょう。

2022年10月16日日曜日

創世記41:33~45

 1、対策を立てる人、ヨセフ

ですから、今、ファラオは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの地の上に置かれますように。(創世記41:33)

 ヨセフはファラオの夢を聞いてその意味を適格に解き明かし、7年の豊作が来た後に7年間の凶作が続くと述べました。

ヨセフは33~36節でとても具体的な対応策を提案しました。将来の傾向が分かったら、対策を練り実行に移す。それがヨセフの優れた点です。

 ヨセフの提案をまとめるとこうなります。最高責任者を置く。(33節)各地に監督者を配置する。(34節)豊作の7年間に収穫の五分の一を税金として民から徴収する。(34節)これは通常の二倍の税金になりますが、凶作の7年間を生き抜くための国家備蓄になります。

 食料貯蔵の専任者が全国規模のビジョンと計画を作り、組織系統で直結した地方担当者が実行する行政システムはとても効果的です。また、五分の一と税率を固定することで事務手続きが簡略化されます。地域ごとに穀物がが備蓄されるので、凶作の時は地域ごとに配布できます。

 ご存じのように虫歯は放置すれば必ず悪化します。あなたの歯が痛んだら、痛み止めを飲みますか、歯医者の予約を入れますか。対策と実行は未来を変えます。

今見えているあなたの未来はどんな未来ですか。雨が降りそうな未来なら、あなたなりの傘を用意しましょう。晴れそうならテントを持ってキャンプに行きましょう。

対策を立てて実行するヨセフを模範にしましょう。あなたは将来に対して何を備えますか。

 

2、神の霊が宿る人、ヨセフ

 そこで、ファラオは家臣たちに言った。「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか。」(41:38)

 ファラオは、ヨセフの夢の解き明かしと対策を聞いて、「賢い人物だ」「切れ者だ」と言わずに、「神の霊が宿っている」(38~39節)人物だと評しました。なぜでしょう。

 ヨセフから醸し出される雰囲気は、頭脳明晰で冷徹なコンサルタントという感じではなく、商機到来として私利私欲に走る商人気質でもなく、公正無私で国民の利益を最優先する公僕の模範と見えたのでしょう。また、きよさ、謙虚さ、穏やかさという品格が自然とただよっていたのでしょう。ファラオはヨセフを見て、神に信頼し神に守られている人だと直感したのでしょう。それで、神の霊の宿った人と述べたのでしょう。

 46節を見ると、ヨセフはこの時30歳。奴隷に売られたのが17歳(37:2)。つまり、ポティファルの家で11年間働き、直近の2年間は牢獄にいたのです。13年間の下積み生活は、一つも無駄ではなかったのです。

ポティファルの家では、お金、穀物、家畜、売り買い、建物などのすべての管理の仕事に携わりました。牢獄の2年間では、人に仕える仕事、つまりサービス業に従事し、クレーム処理、食事の改善、人を幸せにするスキルを身に着けました。

ポティファルの妻の誘惑事件で無実の罪で投獄されましたが、現代風に言えばコンプライアンスへの注意喚起となり、スキャンダルの隙を作らない姿勢が身に付きました。

こうした体験の蓄積と、神がヨセフと共におられて彼を祝福し、ヨセフも神に感謝して生きた態度が、現在の彼の賢さと品格の輝きを与えたのでしょう。

ファラオは、ヨセフに指輪を与え、役職にふさわしい衣服を与え、高貴な人の娘を妻として与え、ツァフェナテ・パネアハという名を与え、国家的プロジェクトの総責任者に任命しました。(41~45節)

☐主が未来を見せて下さったら、対策を立て、実行しよう
☐抜擢されたら、やってみよう
☐無駄な過去は一つもない

2022年10月8日土曜日

創世記41:14~24

1、二人の夢

40:9~13をご覧ください。献酌官長の見た夢はぶどうの木が育ち実を結ぶ夢でした。ヨセフは、3日後に元の職にもどれるとその意味を解き明かしました。
 一方、料理官の見た夢は不吉な夢で、頭上の籠の食べ物を鳥に食べられる内容でした。(16~19節)ヨセフはその意味を解説し、3日後にファラオの前に出されて処刑され、遺体を鳥がついばむと述べました。
 献酌官長と料理官が、三日後はファラオの誕生日だと気づいた時に驚愕したはずです。(20節)

 牢屋とは本来どんな場所でしょう。やり直せるか、死刑になるか、そのどちらかを待つ場所です。
 釈放が決まったならば、あなたは何を考えますか? 同じ失敗を繰り返すまいと心に決めるでしょう。仕事に一層熱意を傾けることでしょう。
 死刑が決まったら、どうしますか? その場合でも、なすべきことがあります。妻や子供との面会させてもらい、感謝の言葉を伝えるでしょう。お金や所有物に関する重要事項をもらさず家族に話すことでしょう。

やり直すことも、閉ざされることも、どちらも人生です。やり直して正解だったという場合もあい、奇跡の再起ということも起こります。一方、プロポーズが拒絶されることもあるし、受験に失敗することもあります。

今でも、主は、私たちに対して将来の予告編を見せてくれる場合があります。未来を知らせるのは、準備をさせるためなのです。

 

2、ファラオが見た夢

ファラオは不思議な夢を見ました。(創世記41:1~8、同じ内容が17~24節にも再録されています)

7頭の肥えた雌牛がナイル川から上がって来て草を食べ、醜く痩せた7頭の雌牛に食い尽くされる夢です。もう一つの夢は、7つの良い穂が7つの貧弱でしなびた穂に呑み込みまれる夢です。非常に不吉で、ファラオは心が激しく騒ぎました。

誰も夢を解き明かせない時に、献酌官長は2年前の出来事を思い出し(41:1)、王にヨセフを紹介しました。(41:12)ヨセフが侍従長のしもべであって、献酌官長の夢を解き明かし、その通りになった事を告げたのです。ヨセフは牢獄から急遽呼び出されファラオの夢を聞き、その解説をしました。

これから7年間豊作が続くが、その後の7年は悲惨な凶作になると夢の意味を解き明かしました。ヨセフは解き明かしと共に、ファラオの夢の特徴を語りました。王様個人の未来を知らせる夢ではなかったのです。エジプト全体の将来に関わる重要な夢であり、王がリーダーシップを発揮するために神が告げられた性格を持つ夢だと語りました。

「ファラオの夢は一つです。神が、なさろうとしていることをファラオにお告げになったのです。」(41:25)
 同じ説明が28節と32節でも繰り返されています。

私は大型フェリーに乗って佐渡島まで行ったことがあります。船の後ろを見ると白波が長く続いていました。また、目的地の島がいつ見えるかと船の進む先も見ました。あなたは、どちらを見るのが好きですか。さて、その船の船長はどちらを見ているのでしょう。もちろん船の進行方向を見ています。私たちも自分の人生の船長ですから、後ろでなくて前を向かなけばいけないのです。

宗教哲学者のキルケゴールは次のように語りました。人生というものは、後ろを振り返れば意味を理解できるが、人生は前向きに進まなければならない。 

神はファラオに将来の姿を見せ、決断を促しました。
 神は私たちにも何らかの方法で将来を垣間見せてくれる場合があります。みことばで直接教えてくれる場合もあります。あるいは、環境を通して、医師の診断、合格結果、自分の心境の変化、なども将来を知るヒントになります。
 主が示して下さった事に基づいて、私たちは決断できます。その決断が、周囲の人を幸せにしたり祝福する場合もあります。

  ☐やり直せる、あるいは、道が閉ざされる。どちらの場合も、未来に備えよう。
  ☐みこころが示されたら、行動しよう。あなたの周囲に祝福をもたらすかもしれない。

2022年10月2日日曜日

創世記40:1~8

 二つの問を手掛かりにヨセフの心を紐解いていきましょう。

1、なぜ侍従長はヨセフを指名したのか?

侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。(創世記40:4)

ファラオの側近中の側近である献酌官と、これもまた要職である料理官が牢屋に入れられました。何かのミスを犯し、ファラオの逆鱗に触れたのだと思われます。その牢屋は侍従長ポティファルの敷地内にある施設で、ヨセフが収監され、今では管理のすべてを監獄長から任された同じ場所でした。
 ポティファルは別な翻訳では親衛隊長とされているように、ファラオの護衛の中心人物だったのでしょう。

二人の囚人は非常に地位の高い重要人物だったので丁重に扱う必要がありました。かつ、自死されても、脱獄されても大問題になります。それで監獄の総責任者ポティファルは、獄中にいたヨセフを名指して身の回りの世話を命じました。

そもそもポティファルは、ヨセフがポティファルの妻を乱暴しかけたという嫌疑で処罰を下したのですが、監獄内でのヨセフを様子を報告で聞いていたのでしょう、やはりヨセフは誠実な男だと再認識したようです。二人の囚人を任せられるのはヨセフしかいないと確信を持ったのです。見ている人は見ています。信頼は取り戻せます。

 

2、あなたならヨセフのせりふを言いますか?

 ヨセフは囚人の健康状態や精神状態に絶えず気を配っていました。ある朝、二人に会うと顔色が極端に悪いのです。どうしましたとヨセフは尋ねました。すると二人は夢を見たというのです。

二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」(創世記40:8)

「私たちは夢を見た」と言っています。二人の夢は今まで見た夢とは明らかに違っていたようです。見たこともないほど鮮やかな特別な夢でした。ふたりとも同じ夜に見て、朝起きたら、互いに夢を語り合っていました。何かの意味を持つ夢のはずですが、その意味が分からない。それで心が落ち着きません。

ヨセフという人は、自分の手にあるものを最大限に生かす管理の賜物を持っていました。ですが今回、発揮されたのは管理の賜物ではなく、リスクを取る大胆さが発揮されました。一言で言えば勇気です。「さあ、私に話してください」と力強く言いました。

神はこの二人に夢を用いて何かを語られたのだとヨセフは確信しました。夢を見させたのが神ならば、同じ神が夢の意味を必ず解き明かして下さるはずだと思いました。

神よ助けて下さい、夢の意味を解き明かせるように私を用いて下さいとヨセフは瞬時に祈ったのかもしれません。

あなたがヨセフなら、ヨセフのようにしますか。

さあ、私に話して下さいと言えたら素晴らしいですね。こうした自発性は、周囲の人に祝福をもたらすことになります。
 あなたも思い切ってジャンプしてみましょう。神が共におられるので道は開けます。信仰という助走があればジャンプできます。


「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」

☐信頼回復の時はきっと来る。牢獄でくさらず、誠実に歩もう。
 ☐
勇気を出し、神を信頼し、思い切ってジャンプしよう。

2022年9月25日日曜日

創世記39:19~23

 牢獄に入れられた時、ヨセフはどんなに落胆したことでしょう。
 ヨセフは奴隷に売られても一生懸命働きました。その結果、ポティファルの家で出世し、筆頭管理者に上り詰めたのです。ですが、主人の妻からのパワハラとセクハラで苦しめられ、誘いを断って逃げた結果、奥さんを襲った犯人に仕立てられました。

 ヨセフはこの苦境にどう立ち向かったのでしょう。

1、負けても道はある

 「妻のことばを聞いて」(19節)とあるように、ポティファルは奥さんの話だけを聞いて怒ったようです。ヨセフの弁明は一切記録されていません。

もしも、奥さんがどのように言い寄ったかをヨセフが具体的に克明に話したら、奥さんに恥をかかせ、主人の面目をつぶすことになったでしょう。その結果、さらに激高した主人がその場でヨセフを殺したかもしれません。ヨセフは奴隷であり、奴隷は主人の所有物なのです。ヨセフは賢い人なので、そこまで考えて弁明を避けたのかもしれません。

 「ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。」(創世記39:20)

負けて勝つ道があります。人生は一度きりの試合ではありません。敗北が決まったとしても、逃げ延びる道を探しましょう。倒れたら立ち上がればよいのです。

 

2、主の恵み

「しかし主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(創世記39:21)

ヨセフの嫌疑は即刻殺害されてもおかしくない大罪でした。けれども、命は助けられ牢獄に入れられました。「しかし」とあるように、こんな不遇に見える時でも主がともにいて下さったのです。それで命は助かりました。

主の恵みはそれだけではありません。ヨセフの入られらた監獄は普通の強盗や人殺しなど粗暴な犯罪人のためではなく、王の囚人だけが監禁される特殊な牢屋でした。監視は特に厳重でしたが、重要人物や身分の高い人などが政治上の理由で収監されることもあるので、施設の作りや待遇が通常とは違ったようです。

 

3、気持ちを切り替える

 もしもヨセフが、無実の罪で牢に入れられた事を根に持って、怒り散らし、捨て鉢になり、反抗的な態度に終始したら、看守から暴行を受けて最悪の状態になったでしょう。ヨセフは、気持ちを早く切り替えたようです。

あなたは過去を引きずって歩いていますか。過ぎた過去は変えられません。まだ見ぬ未来は変えられます。こうした姿勢がヨセフの態度に現れました。

「監獄の長の心にかなうようにされた。」(21節)とあります。不思議なことに、ヨセフは監獄の長に気に入られました。ヨセフが奴隷だったので、監獄長はヨセフに用事を命じたのでしょう。ヨセフは牢獄の中でもきちんと働き、期待以上に仕事をしたようです。色々な工夫をして監獄長に喜ばれました。

誠実で、賢くて、人柄が良く、働き者のヨセフなので、牢屋の管理を全部任せられるほどに信頼されました。果たしてヨセフは囚人なのでしょうか、看守の一人なのでしょうか。

 「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことは何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」(創世記39:23)

主から与えられた管理の賜物をヨセフはここでも用いました。管理とは、今、手の中にあるものを有効に使うことです。ヨセフは牢屋の中でも自発的に働き、生きがいを見つけ、看守長から絶体な信頼を受けました。

あなたもできます。置かれている場所が監獄のようであっても、あなたの意識次第で大きく変わります。物置を書斎に、古民家を別荘に、病院をリゾートに、牢獄を帝国ホテルに。

2節でも、3節でも、21節でも「しかし、主はヨセフとともにおられ」、23節でも「それは、主が彼とともにおられ」とあるように、主がともにおられると繰り返されています。それがヨセフの人生の特徴です。

主はヨセフとだけ一緒におられるのですか。違います。あなたと共におられます。それに気づかない人が多いのです。

☐倒れても、生き延びる道があります。
 ☐過去は過ぎ去りました、気分を切り替え、今手にあるものを生かそう。

 ☐どんな場所にも、主は共におられる。

第二サムエル10:1~19 アンモン人 

 ヨルダン川東側に住むアンモン人のナハシュ王が死にました。ダビデは今までのいきさつで「私に真実を尽くしてくれた」(10:2)と感じていたので弔意を表すため代表を遣わしました。  第一サムエル11章によると、ナハシュはヤベシュ・ギルアデの人々の右目をえぐり出せば命は助けると迫った人...