2025年10月19日日曜日

第一サムエル1:9~19 ハンナの祈り

  「ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。」(第一サムエル1:10)

「このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」(1:16)

 

ハンナは最初、神への不平やペニンナへの呪いや復讐を祈ったかもしれません。

ところが、10節「主に祈った」、12節「主の前で」、15節「主の前に」とあります。ハンナの祈りは、主の前に出て主の臨在を感じる祈りでした。主と自分の間に誰もいません。

「私は主の前に、心を注ぎ出していたのです」(15節)とあるように祈りが結晶化していきました。

ハンナは自分のことを4回も「はしため」(11、11、16、18節)つまり奴隷女と言いました。自分が弱く小さく取るに足らない者と自覚していました。奴隷の役割は主人に仕えることでから、ハンナは主に仕える意識を強く持っていました。

16節で「今まで祈っていたのです」とありますが、原文では<今までお話していました>となっています。主に話しかけ、主の言葉に耳を傾け、会話のキャッチボールをしていたのです。

ハンナは、赤ちゃんを産めない事の中に主のお考えがある(5節)と考え至った可能性があります。

 

ハンナが、与えられた男の子を生涯おささげしますという祈りと提案は唐突に見えます。

ですが第一歴代誌6:33~38に書かれている系図を良く読むと、エルカナはレビ人の流れを汲んでいることが分かります。何かの理由でエルカナはレビ人の働きから外れ、エルカナの心の中に後悔と復帰したい望みがあったのかもしれません。妻のハンナはそれを知り、自分にできる事に気づいたのかもしれません。

 

北アルプスに降った雪や雨が地中に染みこみ、長い年月をかけてろ過され、湧き水となって安曇野のワサビ農場に流れ込んでいます。その農園だけで12万トンの清らかな水が毎日流れています。

そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」(第一サムエル1:11)

ハンナの心の中を汚れた言葉が通過してきましたが、ついに透明な湧き水となって純化され溢れ出ました。主にお仕えしたい。生まれて来る子をおささげしたい。私とこの子をお用い下さいと祈れたのです。

 

□神への文句でなく、誰かへの復讐や呪いでない祈りがある

□主の前に出て、主のしもべとして心を注ぎ出そう

□祈りを純化し、結晶化し、あなたの本当の願いに気づこう

□生きるにしても死ぬにしても主の栄光を願い求めよう

第一サムエル1:9~19 ハンナの祈り

   「ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。」(第一サムエル1:10) 「このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」(1:16)   ハンナは最初、神への不平やペニンナへの呪いや復讐を...