ペテロの手紙第一。
ペテロはこの手紙を紀元60~64年頃に書いたと思われます。イエスさまの十字架と復活から30年過ぎたペテロはどのように生活していたのでしょうか。彼の手紙を手掛かりにペテロの晩年に焦点を当てようと思います。
ペテロの手紙第一1:1で手紙の宛先の地域が示されていますが、現在のトルコ全地域を網羅しています。ペテロはその地域に住むクリスチャンを良く知っていました。ペテロがエルサレム教会ばかりでなく、異邦人教会の指導者としても認められていたことが分かります。ペテロは主イエスさまに命じられたように、主の羊を立派に導いていました。
1:2から、ペテロは神を賛美しています。主を礼拝することが生活の第一になっている印です。主イエスの十字架と復活が救いの土台だと説明しています。新生、希望、朽ちない霊的資産、神による守り、完全な救いについても言及しています。主イエスの救いに関するペテロの説明は、高学歴のパウロの理解と寸分たがいません。
「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。」(第一ペテロ1:6~7)
ペテロは試練について触れました。試練を通ることは悲しく辛いことだが金より価値があると述べ、主イエスからの称賛を受ける経験だと人々を励ましました。るつぼで金属を高温で熱し不純物を取り出す苛烈な過程を試練にたとえ、試練の苦しさに共感を示しています。こうした箇所を読むと、ペテロが情の厚い人、痛みに寄り添う人だということが分かります。
「キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたは、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」(1:8~9)
ペテロは救われた人の心に特別な喜びがあることを体験的に知っていました。それで、各地に住むクリスチャンの信仰が本物だと認定し、試練の中でもその喜びを維持していることを称賛しました。ペテロは主イエスと離れて30年たっても、同じ喜びを持っていたのが分かります。
この手紙は迫害を受け苦しむ人々を励ますために書かれたものでした。それで、永遠に変わらないみことばを慕い求めるようにとアドバイスしました。(1:23~2:2)あなたたちは地域の人々に捨てられ村八分にされたかもしれないけれども、主イエスも人に捨てられたことを思い出してほしいと語りました。(2:4~8)不当な苦しみを受けている人は主イエスの十字架に目を向けるようにと語りました。(2:21~25)
「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(第一ペテロ3:9)
このような言葉が手紙のあちこちに書かれていますが、主イエスが語られた山上の垂訓を彷彿させます。いつのまにか、ペテロの発想や感覚が主イエスそっくりになっています。主イエスの姿に変えられたペテロがこの手紙に投影されています。
ペテロの生涯を8回に分けて見て来ました。ペテロとは、あなたであり私です。私たちが主エスによって変えられて行くという励ましとしてペテロの姿が記録されているのでしょう。私たちも主イエスの姿に変えられて行きます。
30年以上前の主イエスとの共同生活は、この頃のペテロにとって遠い思い出に風化する危険もありました。けれども、主イエスへの信仰は色あせたアルバム写真にはならず、今も生きておられる主イエスとの生活が瑞々しく力強く続いています。
晩年のペテロは、神学的理解が深められ、礼拝が生活の中心となり、ユダヤ人にも異邦人にも福音を伝え続け、キリストの教会を牧し守り導き、試練の中にいる人を励まし、救われた喜びを心に持ち続け、キリストをいつも指し示し、愛に富み情に厚く、みことばを大切にしていました。
□ペテロの生涯は私の鏡
□生涯イエスさまについて行こう
□主イエスの姿にきっと変えられる