「イエスは死人の中からよみがえられました。」(マタイ28:7)
復活の主イエスに出会えたのは女性たちでした。
男たち十二弟子は、主イエスを見捨てて逃げた自分を責めていたことでしょう。そしてドアをしめ切ってユダヤ当局者に逮捕されないように隠れていました。(ヨハネ20:19)エマオに向かっていた二人の信者の男も、主イエスが救ってくれるはずだったという失望感でつぶれていました。(ルカ24:21)男たちは全滅だったのです。
最後まで主イエスへの忠誠を示したのは女性の弟子たちでした。主イエスが十字架で処刑された時、「ガリラヤからイエスについて来て仕えていた人たち」(マタイ27:55)はそばで見守っていました。自分が逮捕される事など気にしていません。「その中にはマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母」(マタイ27:56)がいました。
この女性たちは主イエスが新しい墓に納められる様子を注意深く見守り、安息日が明けた朝に来て、きちんと香油をぬって最後のお別れをするつもりでした。その結果、イースターの朝、墓で御使いに会い、復活の主イエスに会ったのです。
マグダラのマリアはどんな人だったのでしょう。マタイ、マルコ、ヨハネの福音書では一切説明がないという事は(例外はルカ8:2~3)、マグダラのマリアが当時のクリスチャンたちに良く知られた女性の弟子であり、その信仰と献身は傑出していたという証拠だと私は考えます。
マリアは当時よくある女性の名前でした。それで、ガリラヤ湖西岸の町、マグダラ出身なのでそう呼ばれたのです。ヨハネの福音書11章に出て来るマリアは、ベタニヤのマリアとなります。
御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」(マタイ28:5~6)
マリアたちは遺体に会いに来たのですが、主の御使いに出会い、主イエスの復活を知らされました。御使いが墓の蓋をころがしたのは、中が空っぽであることを示すためです。「イエスは死人の中からよみがえられました。」(7節)この言葉は、マリアたちの心に光を灯しました。女性たちは恐れと喜びの入り混じった心で墓を去り、走り出しました。
すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。(マタイ28:9)
おはようと言われた主イエスのお顔は笑顔に決まっています。マリアは悲しみの涙を喜びの涙に変えて、主イエスを拝したことでしょう。
最も悲しんだ人が最も大きな喜びに包まれるのです。香油を塗ってお別れするという、自分に今できることをする奉仕の姿勢が、復活の主イエスに出会う道を開きました。
今あなたは大きな悲しみの中にいますか。主イエスの喜びがあなたにありますように。大きな壁が目の前にありますか。主イエスを信頼し、あきらめずに自分にできることをしていきましょう。びくともしない重い墓石は主がどかして下さいます。
イースターおめでとうございます。主イエスは死人の中からよみがえられました。笑顔で私たちに「おはよう」と声をかけて下さいます。
□最も悲しんでいる人にイースターが来る
□死を打ち破る復活の力がある
□笑顔のイエスさまと会いましょう