2021年12月19日日曜日

闇に輝くクリスマス

 マタイは、クリスマスの記述をする時、主イエスがダビデ王の家系でありユダヤ人の王であることを明らかにしました。ルカは、聖霊によってマリヤが身ごもった事と、預言通りにベツレヘムで生まれた救い主であることを解き明かしました。

ヨハネは、主イエス誕生の出来事を書かずにクリスマスの意味を深く掘り下げました。驚くことに、イエスさまが「生まれた」という表現が一つもありません。それはなぜでしょう。

人が生まれたという時、普通それは命の誕生を意味します。ところが、主イエスの場合は違うのです。はじめからずっとおられたからです。イエスは永遠の神なのです。だから「うまれた」という言葉は厳密には適合しないのです。

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
  この方は、初めに神とともにおられた。」(1~2節)

「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、
  世はこの方を知らなかった。」(10節)

主イエスは目的をもってこの世に来られました。私たちは、生まれる日時も家族も選ぶことができません。何かの目的を持って生まれた人は一人もいません。ところが、主イエスの場合は違います。この世界と私たちの心にある闇を照らすために来られたのです。永遠の命であるイエスが、私たちに永遠の命を与えるために来られたのです。それは十字架でご自分の命を捨てることを意味しました。

このような意味で「生まれた」という言葉を用いず「来られた」とヨハネは書いたのです。

「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」(9節)
 「この方はご自分のところに来られたのに、
  ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」(11節)

 「父のみもとから来られたひとり子」(14節)

 主イエスがクリスマスに私たちの所に来て下さったもう一つの理由がありますが、それはイエスさまの本質に関わることでした。

主イエスの本質は「ことば」です。神が私たちのことをどう思っているかを伝える生きた手紙が主イエスなのです。イエスさまの教え、奇跡、生き方、十字架、復活を見れば、神がどんな方かを読み取れるのです。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、
  神を解き明かされたのである。」(ヨハネ1:18)

父なる神はイエスさまを通して私たちと心の交流をされています。私たちは、ことばであるイエスさまを通じて父なる神を知り、イエスさまの名によって祈ることができるのです。

 こんな流行歌がありましたね。彼がバイクのブレーキを5回点灯させると、それはアイシテルの意味。暗い夜道で彼の後ろ姿を見送る彼女は、そのライトの意味を読み取って心を温かくする。
 イエスさまの誕生と生涯と十字架は、父なる神が私たちをアイシテルと伝えている点灯ランプなのです。

年末のあわただしさでゆとりを失い、経済的な乏しさに直面し、体の不調や衰えを嘆き、他人の幸せに目が奪われ、天涯孤独な自分がみじめに思え、罪の記憶で苦しみ、心に闇を抱える人が多くいます。その闇を照らす光として、主イエスはクリスマスに来られたのです。

メリークリスマス。主イエスはあなたを愛し、あなたを照らすいのちの光です。

 □イエスさまは初めからずっとおられた方
 □イエスさまは私たちのために来られた
 □メリークリスマス。主を賛美しましょう

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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