33篇も結論から始まっています。十弦の琴に合わせて、新しい歌詞と新しいメロディーを作って主に歌おうではないかとダビデが呼びかけています。
「まことに主のことばは真っ直ぐでそのみわざはことごとく真実である。」(4節)
主を賛美をする第一の理由は、神のことばの真実さです。人は約束を破り、嘘をつき、表と裏が違います。けれども主はまっすぐなお方で、主の語られる言葉には慰めと悟りと真実があります。だから主を歌わずにはいられません。
ダビデは若い時から竪琴の演奏者として知られ、サウル王の心を音楽で癒したほどの名手でした。(第一サムエル16:18)現代風にいうなら、ギターやピアノを弾ける人はプレイズソングを自作して高らかに歌いなさいということです。宗教改革者ルターもリュートという弦楽器の奏者で讃美歌を作詞作曲し、人々はその歌を礼拝で歌いました。
「主が仰せられるとそのようになり、主が命じられるとそれは立つ。」(9節)
主を賛美する第二の理由は、神の力のすばらしさです。主は言葉によって世界を創造されました。主が仰せられると、そのようになったのです。今も世界を守り維持しておられます。主はなんと力強く威厳があることでしょう。だから賛美するのです。
「主は天から目を注ぎ、人の子らをすべてご覧になる。」(13節)
主を賛美する第三の理由は、神の愛です。主の目は、星や山や海や物質に向けられるのではなく、人にだけ向けられています。神の関心事は人なのです。私など誰も気にしていないと感じる人がいますが、神はあなたに優しいまなざしを注ぎ、あなたの心を「読み取る方」なのです。だから人は幸せなのです。そして、主を自らの神とする国は幸いなのです。
「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。」(16節)
主を賛美する第四の理由は、神の守りがあることです。人は能力や財力や権力を求め人々の上に立とうとします。国のレベルでいうなら軍事力や経済力を頼りにして敵に勝ち、国々の上に君臨したいと考えます。けれども、軍勢の大きさも軍馬も頼りになりません。人の力は空しく私たちを救えないのです。力に頼らず、主に頼るなら助けをもらえます。たとえ飢饉の時も主は助けて下さいます。だから、主を待ち望みましょう。
「私たちのたましいは主を待ち望む。主は私たちの助け、私たちの盾。」(20節)
□主に目を向け、あなたが新しい歌を歌い始めよう。
□主のことば、主の力、主の愛、主の助けは素晴らしい。
□新しい年を主にゆだね、主を待ち望もう。