「私はあらゆるときに主をほめたたえる。
私の口にはいつも主への賛美がある。」(1節)
あらゆるときに主をほめたたえるとダビデは言いました。これはダビデの決意であり、生涯を貫くダビデの信仰姿勢なのです。そうでなければ、あらゆるときに賛美することは不可能だからです。
ダビデは、サウル王に追われて敵地ペリシテの町に紛れ込んだところを捕らえられ絶体絶命の危機に陥りました。(第一サムエル21:14〜16)ダビデはとっさに狂人のように振る舞い、髭によだれまで垂らしました。釈放されて一人になった時、おそらく人生で最もみじめに感じたでしょう。その時ダビデの口に生まれたのが今日の詩篇です。
賛美は、選び取るものです。生涯、私は主をたたえて生きると心に決めることがいちばん大事なのです。
4節以降に、主をたたえる理由が書かれてあります。主がすべての苦しみから救い出して下さったからダビデは賛美するのです。これからも助けて下さると確信を持っているので賛美するのです。
「すべて」という言葉が4回使われています。4、6、17、19節。主は、あらゆる恐怖、あらゆる悩み、あらゆる問題からあなたを救って下さいます。今、あなたの直面している悩みからも主は救って下さいます。
「私が主を求めると主は答え、すべての恐怖から私を救い出してくださった。」(4節)
「この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれ、すべての苦難から救ってくださった。」(6節)
「苦しむ者が叫ぶと主は聞かれ、そのすべての苦難から救い出してくださる。」(17節)
「正しい人には苦しみが多い。しかし主はそのすべてから救い出してくださる」(19節)
有名な第一コリント10章13節は、こうした旧約聖書の言葉に通じていたパウロだからこそ言えた言葉だろうと私は考えています。耐えられない試練はない、必ず脱出の道がある、というパウロの言葉にダビデも賛同するはずです。
賛美してノリノリになるから賛美が素晴らしいのではありません。主を仰ぎ見て、主から輝きをもらっているから素晴らしいのです。人が輝く瞬間とは主を見上げる時なのです。「主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。」(5節)
主を味わいなさい、とダビデは皆に勧めました。主の慈しみ深さを思い起こし、何度も感謝し、主をたたえる作業は、まるで、美味しかった料理を思い出すことに似ています。あなたも主の恵みを思い出し、味わってみましょう。讃美歌は、主の慈しみ深さを味わうことを助けてくれるものです。
あなたが主を一番身近に感じたのはどんな時でしたか。それは、別れや喪失の悲しみを背負った時、途方に暮れた時、あなたの心が粉々に砕かれた時ではありませんか。
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる。」(18節)
あなたも、主を賛美する人生を選ぶと心に決めて下さい。
□あらゆる時に主を賛美すると心に決める
□主はすべての苦しみから助けて下さる
□主の慈しみを思い起こし、味わおう