二つの問を手掛かりにヨセフの心を紐解いていきましょう。
1、なぜ侍従長はヨセフを指名したのか?
侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。(創世記40:4)
ファラオの側近中の側近である献酌官と、これもまた要職である料理官が牢屋に入れられました。何かのミスを犯し、ファラオの逆鱗に触れたのだと思われます。その牢屋は侍従長ポティファルの敷地内にある施設で、ヨセフが収監され、今では管理のすべてを監獄長から任された同じ場所でした。
ポティファルは別な翻訳では親衛隊長とされているように、ファラオの護衛の中心人物だったのでしょう。
二人の囚人は非常に地位の高い重要人物だったので丁重に扱う必要がありました。かつ、自死されても、脱獄されても大問題になります。それで監獄の総責任者ポティファルは、獄中にいたヨセフを名指して身の回りの世話を命じました。
そもそもポティファルは、ヨセフがポティファルの妻を乱暴しかけたという嫌疑で処罰を下したのですが、監獄内でのヨセフを様子を報告で聞いていたのでしょう、やはりヨセフは誠実な男だと再認識したようです。二人の囚人を任せられるのはヨセフしかいないと確信を持ったのです。見ている人は見ています。信頼は取り戻せます。
2、あなたならヨセフのせりふを言いますか?
ヨセフは囚人の健康状態や精神状態に絶えず気を配っていました。ある朝、二人に会うと顔色が極端に悪いのです。どうしましたとヨセフは尋ねました。すると二人は夢を見たというのです。
二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」(創世記40:8)
「私たちは夢を見た」と言っています。二人の夢は今まで見た夢とは明らかに違っていたようです。見たこともないほど鮮やかな特別な夢でした。ふたりとも同じ夜に見て、朝起きたら、互いに夢を語り合っていました。何かの意味を持つ夢のはずですが、その意味が分からない。それで心が落ち着きません。
ヨセフという人は、自分の手にあるものを最大限に生かす管理の賜物を持っていました。ですが今回、発揮されたのは管理の賜物ではなく、リスクを取る大胆さが発揮されました。一言で言えば勇気です。「さあ、私に話してください」と力強く言いました。
神はこの二人に夢を用いて何かを語られたのだとヨセフは確信しました。夢を見させたのが神ならば、同じ神が夢の意味を必ず解き明かして下さるはずだと思いました。
神よ助けて下さい、夢の意味を解き明かせるように私を用いて下さいとヨセフは瞬時に祈ったのかもしれません。
あなたがヨセフなら、ヨセフのようにしますか。
さあ、私に話して下さいと言えたら素晴らしいですね。こうした自発性は、周囲の人に祝福をもたらすことになります。
あなたも思い切ってジャンプしてみましょう。神が共におられるので道は開けます。信仰という助走があればジャンプできます。
「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」
☐信頼回復の時はきっと来る。牢獄でくさらず、誠実に歩もう。
☐勇気を出し、神を信頼し、思い切ってジャンプしよう。