2023年7月23日日曜日

使徒12:1~12 勇敢なペテロ

 主イエスの十字架から10年ほどたった頃、ヘロデ・アグリッパ1世は十二弟子の一人ヤコブを処刑しました。ユダヤ当局者の反応が良かったのでペテロも殺すつもりでした。

 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。すると見よ。御使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。(使徒12:6~7)

 ペテロは熟睡していました。処刑を明日に控えた夜、ペテロはどうして眠れたのでしょう。

 第一の理由。痛みがなかった。

 パウロとシラスはピリピで無実の罪で逮捕され、衣服をはがされて鞭打たれました。その後、二人は深夜にもかかわらず賛美し祈っていました。(使徒16:25)それは励まし合うため、怒りに支配されないため、そして、賛美して傷の痛みに負けないためという意味合いもあったのでしょう。
 ペテロの場合は、傷の痛みが無かったので眠れました。

 第二の理由。助けられた経験。

ユダヤ当局がクリスチャンの増加をねたみ、ペテロら使徒たちを逮捕投獄したことがありました。けれども、主の使いの助けによって救出されました。(使徒5:19、22~23)主がお望みになられたら、どんな状況からでも助け出して下さるとペテロは考えていたでしょう。  
 あなたも何度か危機を乗り越えて来たはずです。その時助けて下さった主は、今度も助けて下さいます。

 第三の理由。祈られている安心。

 今もみんなが祈ってくれているとペテロは知っていました。「教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」(使徒12:5)おそらく、ヤコブが逮捕された時も皆で祈り、ペテロもその祈りの輪に参加していたことでしょう。牢から解放されてペテロが最初に向かった先は祈り会の開かれていた家でした。
 12~17節は本筋から離れた逸話ですが、女中ロデと祈っていた人々とのユーモラスな会話はみんなの思い出に残っていました。
 あなたが大きな悩みを抱えている時は、誰か信頼できる人に祈ってもらいましょう。

 第四の理由。主イエスの言葉。

 復活されたイエスさまはガリラヤ湖で、ペテロの将来を予告されていました。若い時は自分の望むところを歩くけれども、ペテロは年をとると望まないところに連れて行かれる、というのです。(ヨハネ21:18~19)つまり、死ぬときは神の栄光をあらわす、殉教の死を遂げると予告されたのです。

ですからペテロは、主が望まれるなら脱出できるし、天命を全うしたと主がお考えになるのなら主の栄光を現せる死が待っていると考えていました。死の覚悟ができていたのですべてを主におゆだねして眠ることができたのです。

 あなたは眠れないほどの悩みの中にいますか、過労のために眠れませんか、明日の事を考えると目が覚めてしまいますか。

 ペテロはまばゆい光に照らされても目が覚めないほど熟睡していました。私たちもペテロの安らかな寝顔をイメージして、主にゆだねて目を閉じてみましょう。

もし生きるなら主の助けが必ずある、もし死ぬなら主の栄光をあらわす死になる。

 □あなたのために祈ってくれる人がいます
 □眠っている間に主は助けて下さいます
 □死でさえも神の栄光をあらわせる

2023年7月16日日曜日

使徒2:37~42 聖霊とペテロ 

 「使徒の働き」におけるペテロは福音書に描かれたペテロとは別人のように見えます。
 その秘訣は聖霊でした。

 使徒たちは主イエスが約束された聖霊(使徒1:4)が下るのを祈りながら待っていました。ペンテコステの日に聖霊が下りました。激しい風が吹く音によって使徒たちは聖霊が下ったことを悟りました。周囲の人にもその激しい響きが聞こえたので大勢の人が何が起きたのかと自然に集まってきました。

聖霊は炎となり弟子たちに下り、文字通り彼らの心に福音宣教の炎を灯し、中東、トルコ、アフリカなどの言葉で神のすばらしさを語り出したのです。

 「みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:4)

ペテロは何の準備もなく、歴史的な説教をしました。聖霊に満たされ、押し出されて語ったのです。使徒2章のペテロのメッセージは三部構成でできています。まず、目の前で起きた出来事は預言者ヨエルの預言が実現したのだと説明しました。第二に、旧約聖書は救い主の預言をしているが、死んでも墓を見せないお方が真の救い主だとダビデも預言していたと語りました。第三に、イエスさまは数々の奇跡を行っただけでなく、無実の罪により十字架で処刑されたが復活された。ここにいる私たちはその証人ですと語りました。

人々は心を揺さぶられて救いを求めて来たので(使徒2:37)、悔い改めて、主イエスの御名によってバプテスマを受けなさいと招きました。

 「彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。」(使徒2:37)

 

ところで、「聖霊」という言葉は新約聖書に約90回あり、使徒の働きには約40回出てきます。また、「聖霊に満たされる」という表現は、使徒の働きに7箇所あります。聖霊に満たされる場合は二つの状況の時だと分かります。第一、福音を伝えようとする時。第二、迫害や試練で窮地に陥った時。いくつかの実例を以下に示します。

使徒4:8「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。『民の指導者たち』」

使徒4:31「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」

使徒7:55「しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て」 

 この原則を私たちに適用しましょう。

 誰かに福音を伝えたいとあなたが願ったとします。口下手だし、話す勇気もない、でも、イエスさまを伝えたいと思っている。そんな時は、聖霊を意識しましょう。聖霊にゆだねましょう。ふさわしい言葉が語れるように助けを求めて、思い切って話してみましょう。聖霊は必ずあなたを助けてくださいます。

 また、信仰者として歩むなかで、困難や試練に出会い、四面楚歌になり、道が見えなくなったなら、聖霊の助けを求めましょう。道を示してもらい、力を与えてもらって、解決の道があると信じて進みましょう。ペテロを助け、ステパノを力づけた聖霊が、あなたを覆って守ってくださいます。

 ペテロは、聖霊に助けられて教会の指導者として用いられたのです。

 あなたの主語は聖霊です。

→あなたの番です

 □聖霊に身をゆだねると、新しい人になる
 □聖霊が助けて下さるから福音を伝えよう
 □困難や試練の時に聖霊があなたを助けてくださる

2023年7月9日日曜日

ヨハネ21:15~17 やり直すペテロ

主イエスの復活後、十二弟子はガリラヤに移動しました。通常十二弟子の名前のリストはだいたいいつも同じ順序ですが、ヨハネ21章2節では違います。主イエスを知らないと三度言ったペテロと復活を信じなかったトマスの名が最初に書いてあって、失敗をした二人もここにいると強調しているのです。

十二弟子はなぜエルサレムを離れてガリラヤにいたのでしょう。それは、主イエスがそこで待っていると約束されたからです。主イエスが復活された後、天使は言いました。

 「さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。イエスは、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。」(マルコ16:7)主イエスは他の弟子たちに仕切り直しの機会を与えるため、特にペテロのために静かなガリラヤで会いたいと思われたのです。やり直しの場面は主イエスが設けて下さったのです。

 弟子たちは、夜通し作業をしましたが一匹も釣れません。朝方、岸辺に立つ人に聞かれました。捕れなかったようだね、舟の右側に網をおろしてごらんと言われました。網を下ろすと大漁になりました。ヨハネは岸に立つ方がイエス様だと瞬時に理解しました。

 それを聞いたペテロは、裸のような姿では失礼とばかりに着物を着こんでから湖に飛び込み、100mくらい泳いで主イエスのところに行きました。ペテロは主イエスに個人的におわびしたかったのだと思います。ごめんなさいと言ったのだと思います。

 主イエスは炭火を起こし、食事を用意して下さっていました。弟子たちは食べながら思い出話に花がさいたことでしょう。有名な名古屋のモーニングサービスより豪華ですねと誰かが言ったかもしれません。

復活された主イエスが今までの三年間と同じように生きておられると分かりました。主イエスを見捨てて逃げた弟子たちに対し前と同じように接して下さいました。

 それが終わると、主イエスは弟子たちの前でペテロに厳しい質問をされました。3回主イエスを知らないと言ったペテロに、「愛しています」と3回言わせて、やり直しのチャンスを与えました。「あなたはわたしを愛していますか」(17節)

 他の弟子たちも主イエスを見捨てて逃げ去ったのですから、この質問はペテロだけに向けられたものではありません。皆、同じ気持ちで聞いて、心で応答したはずです。

 かつてのペテロなら、ここにいる弟子たち以上にあなたを愛します、ついて行きますと言いそうですが、とても謙虚に、愛しています、ですが、あなたがご存じの私の愛でしか愛せません。

 根性とか努力とか死んだ気になってとか、そういうたぐいの決意や献身の思いは何の役にも立たないとペテロは体験していました。主イエスとつながっていることが大事なのです。今もっている愛で主を愛しますと表明することが大事なのです。

 私たちはペテロ級の失敗をしてしまうと、もう私はクリスチャンにふさわしくない、辞表を出します、という気持ちになりやすいのですが、主イエスはそんなペテロの辞表など受け取らず、新しい使命を与えました。主イエスが命を捨てて救った主イエスの教会、つまり主イエスの羊をペテロに任せました。「わたしの羊を牧しなさい。」(16節)「私の羊を飼いなさい」(17節)正式に初代教会の牧師に任命されたのです。

 あなたは、どうしたらキリストの弟子としてやり直せるでしょう。

 □1イエスさまに会いに行く
 □2悔い改める
 □3主イエスに愛を表明
 □4与えられた使命を引き受ける

2023年7月2日日曜日

ルカ22:31~34 失敗したペテロ

 本当に大切なことは、失敗を通して学びます。

誰かを深く傷つけ、大切なものを壊し、醜い自分に直面した時、私たちは主イエスの愛に気づきます。

「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31~32)

 最後の晩餐の席で、主イエスがこれらの言葉を言われました。「あなたがたを麦のふるいにかける」と語られているので、信仰の試練に出会うのはペテロだけでなく、十二弟子全員だということが分かります。

修復できないほどのひどい失敗をすると、私たちは自分で祈ることすらできなくなります。そんな時は、主イエスが祈って支えて下さいます。

主イエスはペテロのために祈ると言われました。失敗しても必ずペテロは立ち上がると主イエスは確信しておられたのです。十二弟子全員の回復のために、ペテロの回復が鍵になると分かっておられたのです。

イエスはあなたが失敗した時に祈っていて下さいます。あなたが立ち上がると、あなたの周囲の人が希望を持てるのです。

「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(33節)

 ペテロは水の上を歩き、主イエスの逮捕の際には剣を振り回して抵抗し、主イエス逮捕後に大祭司の庭に入り込んで救出の機会をねらうほど勇気のある人物でした。焚火にあたっていた時に弟子だと指摘され、やり過ごすための小さな嘘を3回ついた後に鶏が鳴いたのでした。ペテロの強い信仰や徹底した献身から来る傲慢さが失敗を引き寄せたのです。

主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。そして、外に出て行って、激しく泣いた。(ルカ22:61~62)

ペテロはこの時の主イエスの眼差しを生涯忘れないでしょう。不甲斐ない自分に失望して泣きました。

 あなたの人生で一番の失敗は何ですか。誰かを深く傷つけたことがありますか。修復できないものを壊したことがありますか。今まで築いた信頼をすべて失うような事をしましたか。

ペテロは他の十二弟子に自分の失敗を包み隠さず話したはずです。他の弟子たちは、ペテロの失敗を非難せず、むしろ、自分も同じ失敗をする者だと認識し、悔い改めと賛美が生まれてきたことでしょう。

 ペテロにとっての最悪の失敗は、多くの人の慰めとなったのです。

だから、主イエスの十字架とともに、ペテロの失敗がすべての福音書に記録されているのです。こんなひどい失敗をしたペテロを主イエスは見捨てず、愛し祈って、回復を信じて下さり、指導者としてお立てになりました。ペテロの失敗によって、私たちは主イエスの愛の深さを知ることになったのです。

□主イエスは失敗したあなたのために祈っておられる
□あなたの回復は、誰かを立ち上がらせる
□大きな失敗は神の愛を知るきっかけになる

ヨハネ20:1~18 ラボニ

 「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」(ヨハネ20:2)   マグダラとはガリラヤ湖西岸の町の名で、ティベリアの北にあります。マグダラのマリアは、ルカ8:2によると7つの悪霊を追い出して病気を癒してもらった人で、マタイ27...