主イエスの復活後、十二弟子はガリラヤに移動しました。通常十二弟子の名前のリストはだいたいいつも同じ順序ですが、ヨハネ21章2節では違います。主イエスを知らないと三度言ったペテロと復活を信じなかったトマスの名が最初に書いてあって、失敗をした二人もここにいると強調しているのです。
十二弟子はなぜエルサレムを離れてガリラヤにいたのでしょう。それは、主イエスがそこで待っていると約束されたからです。主イエスが復活された後、天使は言いました。
「さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。イエスは、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。」(マルコ16:7)主イエスは他の弟子たちに仕切り直しの機会を与えるため、特にペテロのために静かなガリラヤで会いたいと思われたのです。やり直しの場面は主イエスが設けて下さったのです。
弟子たちは、夜通し作業をしましたが一匹も釣れません。朝方、岸辺に立つ人に聞かれました。捕れなかったようだね、舟の右側に網をおろしてごらんと言われました。網を下ろすと大漁になりました。ヨハネは岸に立つ方がイエス様だと瞬時に理解しました。
それを聞いたペテロは、裸のような姿では失礼とばかりに着物を着こんでから湖に飛び込み、100mくらい泳いで主イエスのところに行きました。ペテロは主イエスに個人的におわびしたかったのだと思います。ごめんなさいと言ったのだと思います。
主イエスは炭火を起こし、食事を用意して下さっていました。弟子たちは食べながら思い出話に花がさいたことでしょう。有名な名古屋のモーニングサービスより豪華ですねと誰かが言ったかもしれません。
復活された主イエスが今までの三年間と同じように生きておられると分かりました。主イエスを見捨てて逃げた弟子たちに対し前と同じように接して下さいました。
それが終わると、主イエスは弟子たちの前でペテロに厳しい質問をされました。3回主イエスを知らないと言ったペテロに、「愛しています」と3回言わせて、やり直しのチャンスを与えました。「あなたはわたしを愛していますか」(17節)
他の弟子たちも主イエスを見捨てて逃げ去ったのですから、この質問はペテロだけに向けられたものではありません。皆、同じ気持ちで聞いて、心で応答したはずです。
かつてのペテロなら、ここにいる弟子たち以上にあなたを愛します、ついて行きますと言いそうですが、とても謙虚に、愛しています、ですが、あなたがご存じの私の愛でしか愛せません。
根性とか努力とか死んだ気になってとか、そういうたぐいの決意や献身の思いは何の役にも立たないとペテロは体験していました。主イエスとつながっていることが大事なのです。今もっている愛で主を愛しますと表明することが大事なのです。
私たちはペテロ級の失敗をしてしまうと、もう私はクリスチャンにふさわしくない、辞表を出します、という気持ちになりやすいのですが、主イエスはそんなペテロの辞表など受け取らず、新しい使命を与えました。主イエスが命を捨てて救った主イエスの教会、つまり主イエスの羊をペテロに任せました。「わたしの羊を牧しなさい。」(16節)「私の羊を飼いなさい」(17節)正式に初代教会の牧師に任命されたのです。
あなたは、どうしたらキリストの弟子としてやり直せるでしょう。
□1イエスさまに会いに行く
□2悔い改める
□3主イエスに愛を表明
□4与えられた使命を引き受ける