47篇を貫くテーマは、王としての神をたたえる内容です。
さらに詳しく内容を見ていくと、賛美と宣教と希望の3つの要素を持った詩編であることが分かります。
「すべての国々の民よ、手をたたけ。喜びの声をもって神に大声で叫べ。まことに、いと高き方主は恐るべき方。全地を治める大いなる王。」(詩編47:1~2)
詩編47篇では、エルサレムの住民が世界の人々に神を王として紹介し、大歓声を上げ、手をたたき神を喜びなさいと呼び掛けています。神への賛美の方法で「手をたたけ」と言われているのは詩編の中でこの箇所だけです。
「すべての国々の民」「全地」に賛美と礼拝を呼び掛けているという点から見て、宣教的な詩編だということが分かります。「恐るべき方」「大いなる王」「いと高き方」「大いにあがめられる方」を世界の人々に知ってもらいたいのです。
近所の人に、「私たちは日曜日の午前中はいつも礼拝に行きます。素晴らしいですよ、ご一緒に行きませんか。」と話すなら、それこそが詩編47篇の目指すことです。
「ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。
ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。」(7節)
聖書の礼拝の特徴は歌うことにあります。今から3000年以上前から聖書の民は声を出して歌ってきました。時代が変わっても新しい歌詞とメロディーが生まれ、礼拝者は歌い続けています。ほめ歌を歌う時、理性的に神についての信念を告白するだけでなく、感情をこめて、明確な意思を伴って全人格で主をたたえています。
残念なことに、現在の世界は不正と戦争と不平等と悲惨さがあふれています。愛の神、きよい神、正義の神、赦しの神、力ある神が世界を完全に治める日が来ることを私たちは節に願っています。
ヘンデルのハレルヤコーラスは黙示録19章の聖句をそのまま歌っています。神が王として世界を治める場面を、「ハレルヤ、私たちの神である主、全能者が王となられた。」(黙示録19:6)王の王、主の主として高らかに歌っています。ヘンデルのメロディーを聞いても心が躍るのですから、神が王となる日の喜びはどんなに素晴らしいことでしょう。
詩編47篇は、神が王として完全に世界を治める日が来ることを予告しています。困難な現実が目の前にありますが、その日が来ることを励みに生きることができます。
「まことに神は全地の王。ことばの限りほめ歌を歌え。」(7節)
「主の祈り」の冒頭部分と詩編47篇の内容を重ね合わせると興味深いことに気づきます。
主の祈りでは、私は天の父をたたえます、私は個人として神の名前をあがめます、とは祈っていません。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように、御国が来ますように」と祈ります。
主の祈りには、神を賛美する思いと共に、世界の多くの人と共に神を礼拝したいという宣教的な思いが内包されています。
「御国が来ますように」との祈りは、神が王座に着き、完全な形で世界を治める日が来ますようにという願いでもあります。
このような観点からも、詩編47篇は主の祈りの精神を先取りしている詩編とも言えます。
最後にもう一言加えます。王としての神は、一番最初に私たちの心を神の国として下さいます。私たちが神を王としほめ歌う生活が始まるなら、小さな御国は開始されました。私たちは神の国の建設員となりました。ですから私たちは、神にほめ歌をうたい、宣教の心を持ち続け、希望ある未来を信じて、神の国を作る一旦を担うのです。
「神は大いにあがめられる方」(9節)
□王である神にほめ歌を歌う
□人々を礼拝にお招きしよう
□神の国を作る者となろう