伝道者の書6章にはネガティブな雰囲気が漂っています。何をしても人生は空しく(2、9、11、12節)、満足は得られず(3、7節)、何が良いことなのか分からない(12節)と述べています。
私たちの社会、仕事、人生をありのまま観察すると、確かに空しく、不平等です。その現実への対応は、暴力的な革命、体制への迎合、あるいは現実逃避などが考えられます。伝道者は、冷徹に現実を見つめ続けます。おそらく、何かの解決の糸口を見つけたいのでしょう。
<与えられた物を生かせない人>(1~6節)
「もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が良き物に満足することなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う。彼よりも死産の子のほうがましだと。」(伝道者の書6:3)
富と誉れを受けても、それを楽しむことができない人がいます。長生きして多くの子供に恵まれても、その子供たちはその父を葬ることすらしません。こんな事なら、生まれなかった赤ちゃんのほうが安らかだと、述べています。
「人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。」(6:7)
働く理由は何でしょう。割り切って言うと、食べるために働いています。ただし、夕食を食べても次の日には空腹になり、食欲は満たされることがありません。そして、それに対応するように、心の満足も得られません。
働くことを食べるための奴隷労働ととらえるのは止めましょう。多くのスキルや専門知識を獲得できて、人間関係の要を学べる人間成長の場であり、神から頂いた賜物を磨く場所だと考えるなら、お給料はボーナスのように感じられます。
<権力者の圧力>(10~12節)
「存在するようになったものは、すでにその名がつけられ、それが人間であることも知られている。その人は、自分より力のある者と言い争うことはできない。」(6:10)
存在しているものにはすべて名前が付けられています。名前が付けられた世界、すでに権力や秩序が作られた社会に私たちは生まれてきます。ですから力のある者と争っても空しいのです。
夕方、影が長く伸び始めると太陽はあっという間に沈みます。私たちの命は、その影のように早く過ぎ去るのです。
6章を読み終え、静かに考えてみましょう。
「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは人の子が与える食べ物です。」(ヨハネ6:27)
□神から与えられたなら、人生の後半の過ごし方を見直そう
□なくならない食物のために働こう