「神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近くに行って聞くことは、愚かな者たちがいけにえを献げるのにまさる。彼らは自分たちが悪を行っていることを知らないからだ。」(伝道者の書5:1)
「ただ、神を恐れよ。」(7節)
神殿では、人に見せるために立派なささげものをする人がおり、人が驚くような大胆な誓いをするする人がいます。それは神を意識したものではなく、人間に対するものなので無意味です。主イエスも(マタイ5:37)、パウロも(第二コリント1:17~20)、ヤコブも(ヤコブ5:12)同じことを言っています。神殿で最も大切なことは、聞くことです。その姿勢こそが神を恐れ、神を礼拝することです。
8~9節では、正義や権利が踏みにじられている現状を述べています。社会の底辺まで目が届く王の出現が待たれます。
「金銭を愛する者は金銭に満足しない。」(10節)
10~17節では、金持ちの空しさについて語られています。金が最大の関心事になってビジネスをしている人は自分の持っているお金に満足していません。(10節)かえって、持っているお金によって害を受けます。(13節)せっかく貯めたお金も、死んだら手放すしかありません。裸で生まれ、裸で去るのです。(15節)
「働く者は少し食べても多く食べても、心地よく眠る。富む者は満腹しても、安眠を妨げられる。」(5:12)
「見よ。私が良いと見たこと、好ましいこととは、こうだ。神がその人に与えたいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦にあって、良き物を楽しみ、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」(18~19節)
庶民の労働の喜びと心地よい眠りが12節に語られています。18~20節においても、普通の人の幸せについて述べています。
18~19節には「与える」や「受ける」という言葉があるのに注目して下さい。神は私たちに命を与えて下さいました。(18節)神は人に富や財産を与えます。(19節)与えられた人生の中で、一人一人は何らかの仕事をしてその労苦に満足を見出します。これらすべてが「神の賜物」(19節)なのです。英語の聖書では、This is a gift of God. と書かれています。
人を驚かせるような誓いをしても空しいです。株や利息の上下に気を取られ、毎日ギャンブルを続ければ金に滅ぼされます。その逆に、この人生は神に頂いたギフトだと理解し、人生のその時期ごとに与えられた労働を行って満足を得、主が与えて下さった食べ物を感謝して味わうなら、自分の生涯をくよくよ思わず、神が心を満たして下さるのです。
「こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」(20節)
□神に耳を傾け、神を恐れ、礼拝しましょう。
□神はたくさん与えて下さった。①人生、②富、③仕事、④食事、⑤喜び。
□感謝し、味わい、喜びましょう。