「私の人生は」という言葉があったら、あなたはその後に何と書きますか。
また、「幸せな人とは」という文章の後には何を書きますか。
あなたの書いた文章には、あなたの人生観、幸せ観が表れています。伝道者はその事をどうとらえているのでしょう。
「すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいは多い。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない。」(6~7節)
神を信じているなら災いに遭うことはない。それは間違いです。
洪水や地震や火事などの災害、骨折、交通事故、盗難、入院や手術を経験している人がいます。大事な日に電車が止まったり、車が故障したりして困った人もいます。どんな災いが起こるか、いつ起こるか、人は予測できません。そういう可能性があることを心のノートの隅にメモしておきましょう。
伝道者の持つ人生観は悲観的でありながら、光が感じられるものです。
「悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。悪しき者には幸せがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らが神の御前で恐れないからだ。」(12~13節)
人が作る社会を見ていると悪者が目立ちます。悪者が長生きし(12節)、悪者が正しい人が受ける称賛を奪っています。(14節)これは腹立たしい事柄です。ただし、こうした悪者がいる社会を見て自分が不幸になる必要はありません。カニが横に歩いている姿を見て自分が不幸せになる必要がないのと同じです。カニにまっすぐに歩けと言っても無駄なことです。私たちの幸せは周囲の人の歩み方によって決まるわけではないのです。
伝道者の書のキーワードは、<神を恐れる>ことです。
不平等で問題の多い社会ですが、幸せな人が目に留まります。神を恐れる人です。神を敬い、神を信頼し、神の御心を受け入れ、神を礼拝し、神の主権を認め、神と共に歩んでいる人は、そのような社会に生きていても幸せでいられるのです。長生き、人の称賛、豊かな富、快楽などと無縁であっても、幸せでいられるのです。
「私が昼も夜も眠らずに知恵を知り、地上で行われる人の営みを見ようと心に決めたとき、すべては神のみわざであることが分かった。人は日の下で行われるみわざを見極めることはできない。」(16~17節)
人が作る社会では虐げが横行し不条理で混乱しています。解決の糸口や改善方法を簡単に見つけることはできません。人の営みを見極めようとして来た結果、人の作る社会を越えた大きなものに気がづきました。人生とは人間の罪や悪意や戦争や災いや死などの不幸のすべてを網羅したものですが、それを大きく包む<神のみわざ>があることが見えてきたのです。神の主権が分かってきたのです。ですから、人は、どんな環境であっても、神を恐れて生きることがとても大切なのです。
有名な「病者の祈り」を聞いたことがあるかもしれません。成功を神に願い、健康や富や称賛を求めて祈りましたが、むしろ、病気や貧しさや弱さを経験したという祈りです。多くの祈りはかなえられませんでしたが、すべての事を感謝する心が与えられていました。そして、謙虚にされ、神を信頼する心が与えられ、本当に願っていた事はすべてかなえられていたことに気づいて、私は最も祝福された者にされたと感謝する祈りです。
私たちは、ある意味宙ぶらりんな毎日を過ごし完結しない人生を送っています。そして不平等で混乱のある社会に生き、時折、災いも経験しますが、それでも神を恐れて生きるなら、あらゆることの中に神のみわざを見出し、感謝し、幸いな人生を送れるのです。
□人生には災いもある
□神を恐れる者は幸いを見出す
□すべてに神のみわざがある