2024年3月11日月曜日

伝道者の書9章  生きていくこと 

「日の下で行われることすべてのうちで最も悪いことは、同じ結末がすべての人に臨むということ。」(3節)

金持ちにも貧乏人にも、良い人にも悪い人にも、「同じ結末」が来ます。つまり誰にでも死が来るのです。考え方によっては、これはとても平等なことでもあります。

アレキサンダー大王は、20歳の若さで王となり、32歳になるまでの短期間にギリシアからインド、そしてエジプロに至る大帝国を作り上げました。まさに大王と呼ばれるにふさわしい偉人、ライオンのような人物です。けれども、すでに死んでしまっているので今では教科書の中の文字でしかありません。「生きている犬は死んだ獅子にまさるのだ。」(4節)という言葉は本当です。生きていることは、それだけで大きな価値があるのです。
 伝道者の書は、死について何度も考察しています。それは、日の下の世界において、命がとても尊いと考え、命を大切にすべきだという考えがあるからです。

「さあ、あなたのパンを楽しんで食べ、陽気にあなたのぶどう酒を飲め。神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。」(7節)

7節の言葉は、伝道者の書で何度も繰り返された内容です。2:25、3:13、5:18、9:7などを見ると、食べて飲むことは神の賜物であり、その中に幸せを感じられると述べています。

今回は一歩進んで、命令形になっています。神に感謝する心を持ちながら、食べて飲みそれを味わおうというのです。

7〜10節では四つのことが勧められています。①食べることを楽しむ(7節)、②身だしなみを楽しむ(8節)、③夫婦であることを楽しむ(9節)、④仕事を楽しむ(10節)。なぜ、そうするのかというと、7節にあるように、神があなたを受け入れ、あなたを喜んでおられるからです。あなたも私も神の喜びになっているのです。

私たちはつい自分にバツ印をつけがちですが、神は丸をつけて下さいます。二重丸、花丸をつけて下さって、神は私たちを喜んでおられるのです。だから、私たちも人生を肯定し、自分を受け入れ、他人を受け入れて歩めるのです。

 

「その町に、貧しい一人の知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を救った。しかし、だれもその貧しい人を記憶にとどめなかった。」(15節)

 14〜15節の話は唐突で、短く、あっという間に終わってしまいますが、妙に心に残る話です。大国の王が攻めて来て、ある町を包囲しました。貧しいが賢い人物が一人いて、彼は知恵を用いて町を救い出しました。しばらくは英雄のように評価されたでしょうが、残念なことにその人は忘れられてしまいます。

 私は、この小さな話を読んで、主イエスの十字架の死を連想しました。イエスさまの本来のイメージはイザヤ53章のしもべの姿です。誰にも目を留められず、正当な裁判も受けられず、むごたらしく十字架で死なれたお方です。そのお方の尊い犠牲によって私たちは罪から、滅びから救い出されました。

 立派なことが何一つできなくても、一人一人は生きているだけで尊いのです。あなたは死んだ獅子にまさるのです。私たちの全部を肯定してくださる神がおられるので、食事もおいしいし、仕事にも意味を感じられます。そして、私やあなたのためにイエスさまが十字架で死んで下さったので、罪と滅びの問題は解決しています。生かされていることを感謝しましょう。

 □生きている犬には価値がある
 □神に喜ばれているので、人生をエンジョイできる

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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