さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。(ヨハネ3:1)
ニコデモは純粋な求道者でした。彼は年配(4節)のパリサイ人で議員でした(1節)。夜ひそかに主イエスを訪ねて長年求めて来た魂の課題を打ち明けました。
主イエスの宮きよめにより、神殿の庭に静寂が戻った事に驚き喜び、主イエスが神から遣わされた教師だと確信しました。また、その後に主イエスが行った奇跡の数々を目撃し、神が共におられる特別な方だと分かり、2節でその事を伝えました。これは信仰告白に近い内容です。ニコデモ自身も主イエスのように神を深く知り、神のみこころを行って人々に貢献したいと願ったようです。
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)
ニコデモが求めている事は<神の国に生きる人の姿>だと主イエスは解説されました。そのためには、新しく生まれることが必要だと言われました。
あなたは新しくなりたいと思いますか。もう一度、高校生に戻れたら何をしますか。結婚をやり直したいですか。仕事を変えたいですか。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(3:6)
母の胎に戻って生まれるのは難しい事だとニコデモは真剣に考えました。(4節)そんなニコデモを見て主イエスは言葉を変えて説明されました。肉とは、人間的努力を表す言葉です。新しく生まれるために、もっと勉強し、もっと苦行に耐えても無駄で、聖霊に身を委ねることが必要なのです。
風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。(3:8)
風は目に見えません。でも、木の葉が揺れれば風が吹いていると分かります。聖霊の働きも同じです。聖霊が心の底から新しくして下さるとその人の生活態度や雰囲気や人柄までもが変えられていきます。聖霊は救われた人の心を変え続け、きよめ続けて下さいます。
こうした説明を聞いてもニコデモは良く分かりません。そこで主イエスは律法学者ならすぐに理解できる旧約聖書の民数記21:8~9を例にして説明されました。
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(3:14~15)
新しく生まれるきっかけは、信じることです。モーセが作った青銅の蛇を見上げるならイスラエルの民は救われました。同じように、ニコデモも竿の先に上げられた主イエスを信じれば救われ、永遠の命を受けるのです。
ヨハネ19:39を見ると分かりますが、主イエスの死なれた後、ニコデモは主イエスの埋葬を手伝っています。主イエスの十字架を見た時に主イエスの言葉を思い出し、<私の罪を赦すための子羊として死んで下さった>と分かり、主イエスを救い主と信じたと思われます。
□人は新しく生まれることができる
□聖霊に身をゆだねよう
□主イエスを仰ぎ見て信じよう