今日の箇所は、主イエスとサマリアの女の会話の続編です。主イエスはサマリアの女と3つのテーマについて語り合っています。①彼女の人生、②礼拝場所、③メシアについて。
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」(16節)
これは、女性が生ける水が欲しいと述べたのを受け、主イエスが語り掛けた言葉でした。自分の今までの人生を正直に見つめ直すことが、生ける水を手に入れるために必要な道筋なのです。
「私には夫がいません」(17節)と彼女は答えました。見ず知らずの人に自分のプライバシーを言う必要はないし、はぐらかすのが自然な成り行きでしょう。けれども、彼女は主イエスとの会話を通して、心が変えられていたので正直に答えたのです。
「あなたは本当のことを言いました。」(18節)主イエスは、彼女の物言いをほめました。5回結婚して5回離婚し、今は正式な結婚をせずに同棲状態だったので、世間は彼女の生活を責めるはずです。主イエスはむしろ、彼女の心の姿勢を評価してくれました。女性はどんなに慰められたことでしょう。彼女は、自分の過去の傷、失敗、罪、そして現在のすさんだ生活を認めました。生ける水を得るためには、生きて来た道を振り返り、悔い改めが必要なのです。
19~24節のテーマは礼拝です。サマリアの女は神の前に出て悔い改め、礼拝をささげたいと思ったのでしょう。ですが、礼拝場所が二つあったので、彼女は困惑していました。主イエスはこう言われました。「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」(21節)
サマリア人が大切にしていたゲリジム山でも、ユダヤ人が大切にしているエルサレムでもなく、世界のどこでも礼拝できる。大事な事は、「どこで」ではなく、「どのように」という心の姿勢なのだ、と言われたのです。
「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。」(23節)
「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」(24節)
伝統と場所を頼りに礼拝をすると、とても形式的な礼拝になりやすいのです。エルサレムでも良いし、ゲリジム山でも良いし、世界のどこでも良い、しきたりと場所ではなく、御霊と真理による礼拝が父なる神の求める礼拝なのです。
ヨハネ7:38~39によると、生ける水とは御霊のことだと書かれています。また、ヨハネ14:17によると、約束の助け主とは「真理の御霊」だと言われています。御霊は、霊そのものであり、私たちの心に宿って下さる人格を持たれた神です。そして、私たちに真理を教え、真理に導いて下さいます。
サマリアの女性にとってみれば、主イエスが彼女を差別しなかったという中に神の愛が見えてきます。また、彼女の罪が赦される道が分かり、神の赦しの深さも見えてきます。このような事が彼女にとっての真理になります。神の真理を土台にした礼拝へと聖霊が導いて下さるのです。神の愛を知り、神の赦しを知り、それを土台に神をたたえるという一連の心の流れが礼拝を生き生きしたものへと高めてくれます。
彼女の人生をすべて知っていて、しかも彼女を受け入れ、礼拝の本質を教えて下さる目の前にいる方は、メシアなのではないかという思いが心にやって来たので、遠慮がちに救い主の話を取り上げました。すると主イエスは躊躇なく、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(26節)とご自分の事を明かされました。
□人生を見直し、悔い改め、生ける水を頂こう。
□聖霊はあなたに必要な真理を明らかにして下さる。
□父なる神を心から礼拝しよう。