主イエスは律法学者からの攻撃を正面から受け止め、鮮やかに切り返しました。ご自分は父なる神から遣わされた者であり、その証拠が3つあると説明されました。
第一は、バプテスマのヨハネによる証言です。
ヨハネは燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で大いに喜ぼうとしました。(ヨハネ5:35)
第二の証しは、主イエスが行った奇跡、「わたしが行っているわざ」です。
しかし、わたしにはヨハネの証しよりもすぐれた証しがあります。わたしが成し遂げるようにと父が与えてくださったわざが、すなわち、わたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わされたことを証ししているのです。(ヨハネ5:36)
律法学者たちは主イエスを盛んに批判しましたが、主イエスの奇跡自体を否定することは一度もできなかったのです。これは、とてつもなく強い証しです。安息日に驚嘆すべき癒しを行ったゆえに、大騒動になっているのです。
第三は聖書です。聖書が主イエスのことを預言しています。
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。(39節)
もしも、あなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことなのですから。(46節)
歩けない者が飛び跳ね、盲人が見えるようになる、という預言は主イエスの奇跡によって実現しました。(イザヤ35:3~6)モーセは、自分によく似た者が現れるのでその人物に従うようにと予告しました。(申命記18:15)
律法学者らは殺意と憎しみと偏見を抱えて主イエスに抗議し、議論をしかけてきました。権威をかさにかけた彼らの圧迫に主イエスは屈せず、冷静に、論理的な説明をされました。この説明は、聖書の記述や主イエスについて懐疑的な現代人に対しても強いインパクトを与えます。主イエスは、確かに父なる神から遣わされた救い主です。3つの証しがその証拠です。
その他にも、主イエスは父なる神の声を直接聞いていた(37節)ことを暗に語られました。またユダヤ人が神への愛を失って(42節)いても、父なる神は彼らを愛しその証しとして子なる神イエスさまを地上に送られたことはヨハネ3:16で述べられています
あなたは誰かの攻撃を受けて辛い立場にいますか、あるいは、大きな試練や病気や困難の前で立ち往生していますか、主イエスの戦い方をヒントにしてください。主イエスはユダヤ人たちが降り降ろした剣をしっかりと受け止めてから、冷静に攻撃に移って完膚なきまでに撃破しました。<受けて、返す>。防御したら次は私たちの攻撃の番です。主イエスを信じる信仰こそが勝利の秘訣です。(第一ヨハネ5:4)
□主イエスは父に遣わされた救い主
□奇跡と聖書が証言している
□<受けて、返す>が信仰者の秘訣