2025年1月5日日曜日

ヨハネ11:1~16 ラザロ 

 エルサレムの東側3キロにベタニアという村がありました。そこにマリアとマルタとラザロの3人兄弟が住んでいました。主イエスと彼らは親しい関係にありました。ラザロが病気になり、かなり症状が悪化したので姉妹たちは主イエスに使いを遣わして助けを求めました。

 必死に主イエスに助けを求めた姉妹たちでしたが、主イエスはすぐに来てくれませんでした。ラザロは癒されたとか、必ず治るとか、心配いらない、という返事でありません。この病気は死で終わるが、それで終わりではないというのです。神の栄光のためだと主イエスは言われましたがマルタたちには理解不可能な言葉でした。

 しかも、主イエスはすぐに駆け付けずに2日間、その場から動きません。(6節)後に分かりますが、主イエスが到着した時はラザロが墓の中に入れられて4日たっていました。(11:17)主イエスに連絡が来た時点でラザロは亡くなっていたのです。

 今日の箇所で心に留めてほしい点があります。

 第一に、主に愛されていても病気になることがある。

 主イエスがラザロたちをどんなに愛していたか3回も書かれています。「あなたが愛しておられる者が病気です」(3節)「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」(5節)「わたしたちの友ラザロ」(11節)

 主に愛されている者であっても重病になるし、大きな試練を通るし、場合によっては死を経験することがあるのです。

 第二に、納得できなくても、神の言葉は真実です。

「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」(ヨハネ11:4)

 主イエスはラザロが死ぬことを予告されました。それは姉妹たちにとって受け入れがたい言葉です。ただし、死で終わらずに神の栄光があらわれると言われました。人間の理解を越えた言葉ですが、これが神の言葉です。神の言葉は実現するのです。

 第三に、神の栄光は神が為さる事。

主イエスがベタニアに行くと言われた時、不思議な事を言われました。

「わたしは彼を起こしに行きます」(ヨハネ11:11)

これはラザロが寝ているという意味ではなく、死んでいるが、よみがえりを待っている状態だと説明されたのです。ラザロは墓からよみがえるのですが、それはラザロの信仰でもラザロの努力も及ばない話なのです。主イエスがラザロを起こすのです。

神の栄光は、神がなさる事なのです。

あなたが今年、解決を望んでいる事柄とは何ですか。
 新しい年を迎えました、神の栄光を見せて頂きましょう。

□神の栄光を今年、主に願いましょう
□私の人生は、神の栄光をあらわすためにある

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