今日の箇所を含むヨハネ13~17章は山上の垂訓以上に長い主イエスのまとまった言葉になります。それは、主イエスが地上からいなくなった世界で十二弟子がどう生きていけば良いかという内容です。
パウロの言葉でいうなら”In Christ”、キリストにあって生きるとはどういう事かが解説されています。さらに、聖霊についても多く言及されているので、三位一体の神と共に歩む秘訣と言ってもよいでしょう。
ですが十二弟子が恐れと不安の中にいたので、まず彼らを落ち着かせようとされました。
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)
思い煩いは、いくつかの選択肢や可能性について逡巡することです。心を騒がすことは、突然の恐怖で自分を失うことでパニック状態に近いです。
弟子たちにとっては、主イエスの逮捕や死刑、そして自分たちの逮捕の可能性が高まったことで恐怖にかられていました。弟子の誰かが主イエスを裏切ることも分かり、男気のあるペテロですら朝方までに主イエスを置いて逃げる可能性が出て来て、弟子たちは浮足立っていたのです。
あなたは今、思い煩っていますか、心騒ぐ状態にいますか。
主イエスの忠告はシンプルでした。ストップとゴーを分かりやすく示されました。心騒ぐことを止める。そして、信じる。それだけです。
問題ばかりに目を留めるとそれに支配されます。焦点を当てるべきは神です。否定的な人生の天気予報を止めて、今、足を地面につけて信仰を働かせましょう。
神を信じ、わたしを信じなさい、と二つの事を同時に言われました。それはなぜでしょう。
父なる神と子なる神イエスの間には力強い信頼と愛のぬくもりがありますが、その隙間に弟子たちは招かれたのです。仲の良い両親に挟まれた幼児は、お父さんの手とお母さんの手を握り、いや、握られて歩く姿は安心と喜びに満ちています。それと同じように、私たちも父なる神と子なる神主イエスに囲まれて歩むなら、パニックから解放されます。あなたの両手を神と主イエスに向かって上げましょう。
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。(ヨハネ14:2~3)
自分を失い行き詰った人は近視眼的になります。ですから主イエスは大きな地図を見せて人生を俯瞰できるようにされました。
あなたの家を用意しておく、最終的なことは心配いらないと主イエスが言われたのです。場所が用意できたら迎えに来る、その後、ずっと共にいると約束されました。
主イエスはどんな旅行会社より信頼できる人生旅行プランナーです。私たちの接する小さなコミュニティーで行き詰っても、神の国には素晴らしい部屋が用意されているのです。そういえば、からだを殺しても魂を殺せない人間を恐れるな(マタイ10:28)と主イエスは言っておられました。
心騒ぐ者たちに言え……神は来て、あなたがたを救われる(イザヤ35:4)
□心騒いでいるなら、まずストップです
□父なる神と主イエスの間に入れてもらう
□あなたの終の棲家は主イエスが用意しておられます