2025年4月6日日曜日

ヨハネ13:31~35 新しい戒め 

ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。(ヨハネ13:31)

 裏切られたイエスに神の栄光が現れました。輝かしい栄光、喜ばしい輝きではありません。子も父も心に傷を受け、悲しみを共有され、子も父も栄光を受けました。

あなたが失意の中にある時、神の栄光があなたを優しく包んでいるかもしれません。

 

 主イエスはこれから弟子たちを離れ、弟子たちがついていけない場所に行くと言われました。(ヨハネ13:33)

それを聞いてペテロは決して離れまいと思いました。ユダが裏切る時には主イエスを守ると心に決め、「あなたのためなら、いのちも捨てます。」(ヨハネ13:37)と述べました。この後、ペテロはいつの間にか剣を手に入れ、逮捕の場面で戦いました。

イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」(ヨハネ13:38)

主イエスはペテロの弱さもご存じでした。ペテロが失敗しても、わたしのところに帰ってくるのだと暗に諭されています。

 

わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)

互いに愛し合いなさい。これは、主イエスが十二弟子に残した遺言の中でとても大事な言葉でした。 

主イエスが捕らえられ十字架で死なれる。弟子たちが困難や恐れで苦しめられ、仲間割れや権力争いが危惧される。そんな時に大事なのは互いに愛し合うことなのです。

すでにレビ記19:18で「隣人を自分自身のように愛しなさい」と命じられています。主イエスが十二弟子に新たに意識させたことは二つ。イエスさまが愛されたように愛すこと、そして、「互いに」です。

互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(ヨハネ13:35)

34節は動詞の形で愛し合いなさいと言われており、35節では名詞形で同じことが書かれています。

愛は見えませんが、愛は「互いの間」にあらわれます。互いに愛すなら、穏やかさと平和がその二人を覆います。ある人がそこにいてくれること自体を喜びます。自由や自然さや笑顔や楽しい雰囲気が愛し合う人々を包みます。違いを喜び、お互いへの尊敬がにじみ出ます。赦しがあり、助け合いがあり、とりなしの祈りが張り巡らされ、力を合わせて前に進む勢いも生まれます。 
 それを見て人々はこの人達がキリストの弟子なのだと分かるのです。

□裏切られた時、神の栄光があなたを包む
□失敗し悔い改めて主イエスに戻る時に栄光が覆う

□愛し合うお互いの間に栄光が生まれる

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