弟子のひとり、トマスは空気を読まない変わり者です。
十二弟子全員が復活の主イエスに会った場面にトマスは不在で、彼らの証言を聞いても主イエスの手の釘の跡に指を入れなければ信じないと言う人でした。(ヨハネ20章)
他の3つの福音書にトマスの話題は無く、完全に無視されています。おそらくヨハネはトマスの良き理解者だったのでしょう。3度も彼の言動を書いています。
11章でトマスは「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか」(ヨハネ11:16)と言っています。ラザロが死んだので主イエスは死ぬおつもりだとトマスは早合点したのです。後を追って十二弟子みんなで死のうと悲壮な覚悟を示しました。トマスは人一倍主イエスを愛し尊敬していたのです。どこまでもついて行きますという従順さを持っていたのです。
今日の箇所においてもトマスは空気を読んでいません。イエスさまが、わたしの行く所は分かっているだろう、そこに至る道も知っているはずと言われました。(ヨハネ14:4)それを聞いて、分かりませんと平然と言ってのけるのがトマスです。十二弟子全員も自分と同じ意見だと思ったので「私たち」という主語で話しています。
トマスは主イエスの行かれる場所を確実に知りたかったのです。ついて行きたかったのです。そこに至る道を自分も通りたかったのです。
あなたはどうですか。主イエスの行くところに行きたいですか。同じ道を進みたいですか。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)
主イエスの行き先は、父のみもとです。そこに至る道とは、主イエスご自身です。
イエスさまは「真理について証しするために生まれ」た(ヨハネ18:37)と言われました。主イエスは物理の定理のような冷たい真理ではなく、私たちに生きる力を与える「いのち」としての真理です。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」(14:7)
私たちは、父のもとに行くまで父なる神のことが分からないのでしょうか。いいえ、違います。主イエスを知ることが父を知ることなのです。さらに今後は、父をもっと知ることになるのです。でも実を言うと、父をすでに見ているのです。この件は次回またお話しします。
「今から父を知るのです」(7節)という新改訳独自の訳はインスピレーションを与えてくれる言葉です。
ヨハネはトマスの良き理解者だと述べましたが、実はもう一人います。主イエスこそ、空気を読まないトマスの最良の理解者でした。トマスの表面的な欠点に左右されず、主イエスはトマスの真剣さや信仰を受け止めておられたのです。トマスの質問が主イエスの本質を明らかにしたのです。
□主イエスは変わり者トマスを愛された
□イエスは、道、真理、いのちです
□主イエスを通して、今からもっと父を知るのです