2025年5月11日日曜日

ヨハネ14:8~14 父と子 

 イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。(ヨハネ14:9)

主イエスとトマスとの会話を聞いて刺激を受けたピリポはこう尋ねました。イエスさまの父を見せて下さい。そうすれば満足します。(8節)

有限で罪人の人間は神を見ることはできないと普通はお答えになるところですが、主イエスは意外なことを言われました。あなたは既に父を見ている。私を見た者は父を見たことになるのだと。

わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。(ヨハネ14:10)

主イエスは父なる神が言われたことを語っておられました。(ヨハネ12:50)また、主イエスのなさる奇跡は父のわざでした。(ヨハネ9:3~4)だから主イエスを見ているなら父なる神の言葉も行動も分かるのです。イエスさまが父のうちにおられ、父もイエスさまのうちにおられるという事はまさにそのような事なのです。

あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。(ヨハネ14:14)

14節はここだけ見ると唐突に思えますが、ここに至る流れがあります。

主イエスはピリポの質問を聞いて、少しがっかりされています。父なる神のお姿を見ることができたならしばらくの間は感激するでしょうが、やがて経験は過去になり鈍化します。一時的な満足で終わります。それよりももっと素晴らしい事があると主イエスはピリポに言われたのです。

主イエスと父なる神の関係はとても親密でした。主イエスを見ると父なる神が見えましたが、同じことがピリポと主イエスの間で起きたならどんなに幸いでしょう。ピリポの語る言葉が主イエスと同じ言葉になり、ピリポが行うことが自然に主イエスと同じになる。その親密な関係の中でピリポが何かを願うなら、それは主イエスのみこころと同じになる。そうです、主イエスの名によって求めるなら、主イエスはそれをかなえて下さるという事が実現するのです。

ひと時の間神を見る経験よりもっと素晴らしいものを求めましょう。第二コリント3:18でパウロが言ったように、主と同じ姿に変えられることを求めましょう。ガラテヤ2:20でパウロが語ったように「私が生きているのではなくキリストが私のうちに生きているのです」という状態を目指しましょう。私たちが主イエスのうちにおり、主イエスが私の内におられる、そのような密接な関わりを求めていきましょう。

□主イエスは父の内に、父なる神はイエスの内に
□主イエスは私の内に、私も主イエスの内に
□主イエスよ、私のうちに現れてください


ヨハネ20:1~18 ラボニ

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