「これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。」(ヨハネ18:1)
主イエスと十二弟子はその夜、エルサレムの門を出て東側の谷を下り、また登り、斜面にあるゲッセマネ(油しぼりの意味)の園に入りました。オリーブの木が茂った地域で、イエスさまたちはよくそこで祈っておられたようです。(ルカ21:37)
ヨハネを除く3つの福音書では、いわゆるゲッセマネの祈りがここで行われたことが書かれています。(マタイ26:36~45)できることならこの杯(十字架の死)を過ぎ去らせて下さいという率直で悲痛な祈りが長時間ささげられました。
ヨハネはゲッセマネの祈りを割愛し、他の福音書にない今日の箇所を記述しました。ヨハネは言いたいのです。ゲッセマネの祈りは主イエスのごくプライベートな祈りであり、プロセスだった。心を注ぎ出す祈りを終えた主イエスはさわやかで、力強かった。だから下役たちは主イエスの堂々とした姿に圧倒されて倒れたと書きました。(4~6)
あなたにとって苦い杯とは何ですか。父のみこころとは何ですか。それを受け止めるために、あなたも心を注ぎ出して祈り尽くしましょう。
主イエスは誰を捜しているのかを尋ね、ナザレのイエスとの答えを聞くと、「わたしがそれだ」と二度もお答えになりました。(4~7節)
「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」(ヨハネ18:8)
主イエスの勇気に私たちは驚きますが、主イエスが弟子たちを逃がそうとしている姿にもっと驚きます。自分のこと以上に十二弟子のことを気遣い、命がけで守ろうとされました。(ヨハネ17:12)
この主イエスの態度を心に留めてください。あなたは今日も、主イエスに守られています。
「イエスはペテロに言われた。『剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。』」(ヨハネ18:11)
ここでペテロは剣を抜きました。主イエスを守ろうとしたのか。あるいは、自分が逃げるためか。人数からいうと多勢に無勢で無意味な抵抗でした。
剣をおさめよと主イエスは言われましたが、その理由は、主イエスが父の杯を飲む覚悟ができているので、その邪魔をするなという意味になります。
生活が辛く試練が激しいので、あなたも自分の剣を抜いてしまうことがあるかもしれません。剣では問題は解決しません。主イエスが守っておられるので、あなたの行動が主イエスの助けを台無しにすることさえあります。剣はおさめましょう。
□父の杯を飲むためには深い祈りが必要
□主イエスは私たちを守って下さる
□剣をおさめよ