2025年11月30日日曜日

第一サムエル3:1~21 お話ください  

 祭司エリは肉体が衰えただけでなく、霊的に何も見えず聞こえずの状態でした。少年サムエルはその中にあっても主に仕え続けていました。 

さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。(第一サムエル3:1)

神は、ことばと幻を通して語りかけるお方です。
 神はまるで山登りのベテランガイドのように私たちに同行され、分岐点で行くべき道を教え、険しい岩場では励ましの言葉をかけて下さいます。

またある時は、私たちを見晴らし台に立たせ、頂上を指し示し、周囲の美しい景色を見せてくれます。これが幻の役割であり、今置かれている状況の俯瞰、使命の確認、将来の展望、神が望んでおられる未来などを把握できるようにされるのです。 

夜中、神の箱に近い神殿で、サムエルはいつものように眠っていました。サムエルは自分の名が呼ばれたので、当然エリに呼ばれたものと理解し、エリの部屋を訪れました。眠りを中断されたエリは最初不機嫌に答えたはずです。

神は、モーセに対してはご自分が誰かを明らかにされましたが(出エジプト3:6)、サムエルには何も言わず、普通の人の声で名前だけを呼ばれました。

3度も同じ事が繰り返されたので、主が少年を呼んでおられるとエリは悟りました。この一連の流れは、主が少年サムエルを召されたことをエリに知らせるためだったのです。

主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。(8節)

祭司エリとその家族に対する主の厳しい裁きをサムエルは聞きました。(11~14節)エリは翌朝サムエルからその内容を聞き、神の人が語った内容と同一であることから「その方は主だ」(18節)と宣べました。祭司エリがサムエルの後見人になったことは想像に難くありません。

サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。全イスラエルは、ダンからベエル・シェバに至るまで、サムエルが主の預言者として堅く立てられたことを知った。(19~20節)

 まことの神は、語りかける神です。
 サムエルは主の言葉を聞く人とされました。主は、今日、あなたに何を語っておられますか。どんな言葉が聞こえますか。どんな幻が示されましたか。

 

 □主は、今日も、あなたに語っておられます
 □主よ、お語り下さい
 □神のことばを聞き、神の幻を受け止めよう

2025年11月23日日曜日

第一サムエル2:27~36 忠実な祭司 

 祭司エリは神の言葉を直接聞く力を失っていました。それで、神の人が現れてエリに伝えたのです。その内容は、祭司エリと息子たちの罪に対する処罰、そして、新たな祭司が立てられることでした。

「なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。」(第一サムエル2:29)

エリの息子たちは一般市民の純真なささげたものを軽んじました。(29節)父親である祭司エリは息子を処罰しませんでした。それは神を軽んじ、自分の息子たちを重んじる態度です。(30節)ささげものの最上の部分を奪う行為は神への冒涜そのものでした。(29節)主は彼らの罪を厳しく糾弾しました。

その上で主は彼らへの処罰を伝えました。祭司エリの家系を完全に断つ。(32~33節)エリの二人の息子は同じ日に死ぬ。(34節)

「わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよう。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。」(第一サムエル2:35)

エリと息子たちの空席を埋めるため、主は新たな祭司をお立てになると言われました。主の心と思いを理解して事を行う人物です。その祭司とは、今はまだ少年にすぎないサムエルのことを指しているのでしょう。

 

レビ記には5種類のささげ物が細かく説明されています。それは、人が神と共に歩むことを願うなら経験する様々な心の状態にフィットするささげ物です。

神への献身や心を込めた礼拝をしたいなら「全焼のいけにえ」をささげます。小麦や穀物の収穫に恵まれた後は感謝の心を表して「穀物のささげもの」を主のもとに持って来ます。神との交わりを深めたい、神と喜びを共にしたい時は「和解のささげもの」をささげます。神に罪を犯して悔い改めを告白したい時は「罪のささげもの」、誰かに危害や損害を与えてつぐないたい時、人生をやり直したい時は「罪過のささげもの」を差し出します。

祭司の役割とは、人々に寄り添い、いけにえをささげることを補助し、主にお仕えすることです。 祭司は一般大衆の信仰生活の要を司る大切な人なのです。

「大祭司は人の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように……ささげものを……ささげるように任命されています。」(ヘブル5:1)

私たちは皆、特別の服や帽子をかぶった祭司ではありません。けれども、神と人々の間に立つことができます。神の思いや神の心を理解した上で、人々の礼拝や感謝の表明を励まして共に喜び、人々の悲しみ、憂い、罪責感、絶望感に寄り添い罪の赦しと希望があることを伝えることができるのです。

主は今日も、現代の忠実な祭司を求めておられます。あなたは主と誰の間に立ちますか。

□人に寄り添う人になろう 
□神の思い、神の心を知って、神に仕える人になろう


2025年11月16日日曜日

第一サムエル2:12~26 少年サムエル 

 エリの息子たちのホフニとピネハス(第一サムエル1:3)はひどく堕落していました。神に関わる儀式を執行しながらも「よこしまな者たちで、主を知らなかった」(12節)とあります。一般人が純粋な心でささげる「主へのささげ物を侮った」(17節)という罪はとても重いものでした。

おいしい部位を肉刺しで横取りし(13~17節)、会見の入り口で仕えている女たちと寝ていた(22節)とあるように、食欲と性欲の奴隷でした。彼らの父親である祭司エリは噂話から息子たちの行状を知りましたが、息子たちをきちんと訓戒せず、警告も処罰もできません。(23~24節)主はエリの息子たちに死をもって対処すると決めておられました。(25節)

「さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。」(第一サムエル2:18)

「主はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは主のみもとで成長した。」(21節)

こんなひどい環境にいてもサムエルが清らかな心を持てたのは、母親のハンナが主の御顔を拝す(1:22)子どもになれるようにと教え導いた事が要因だと思われます。
 また、毎年、両親と家族がシロにやって来て真心からいけにえを捧げる姿はサムエルの心に大切に刻まれたはずです。

何よりも、幼い時も、少年と呼ばれる年齢になってもサムエルの姿勢は変わらず、主に仕えていました。(11節、18節、3:1)

<主に仕える>という姿勢はサムエルの生涯にわたる大きな特徴です。ユダヤの国全体を指導する立場になりサムエルは7:3と12:20において<主に仕えなさい>とサムエルは語り掛けるのです。

祭司を支えるレビ人ですら民数記8章によると25歳からしか仕事に就くことができません。幼いサムエルができる仕事はおのずと限られ、エリの身の回りの世話や単純な繰り返しの雑事でしょう。それでも、サムエルは主を念頭に置き、主に仕える心で与えられた雑用を大切にこなしていったのです。

 

主を本当に知りたい人は主に仕えましょう。
 あなたにとって、主に仕えるとは何をすることですか。

 

主はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは主のみもとで成長した。(21節)

「一方、少年サムエルは、主にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。」(26節)

 

主に仕えたサムエルは、あらゆる意味で成長していきました。人にも愛され、神にも愛されました。

 

ろくろに乗せられた粘土は同じ場所をくるくる回ります。まるで同じ事を繰り返す日常のようです。私たちも「主のみもと」(21節)に留まりましょう。陶器師の手の微妙な変化でろくろに乗せられた器は美しい器に変えられます。幼いサムエルは毎日同じ事を繰り返しながら、汚れた環境に染まらず、純真な心を養い、主に仕え続け、主によって成長に導かれました。

 「しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」(イザヤ64:8)

 □どんな環境の中でも花は咲く
□生活の中で主に仕えよう
□繰り返しの毎日で陶器師の主に形作って頂こう

第一サムエル8:1~22 王を求める民 

「ほかのすべての国民のように」(5節、20節)王が欲しい。  私たちは「人並み」という言葉に弱いのです。人並みになればきっと幸せになれる。そう考えて、大切な自分らしさや生き方を一旦横に置き、外見だけは人並みにする人が多い。その結果、失敗します。こんなはずではなかったと嘆くこと...