「神さま助けて下さい」と神に訴えるのが今までの詩篇のパターンでした。20篇はちょっと違います。誰かから、誰かへの励ましの言葉になっています。
1、2、3、4、5節を見ると、「あなた」への言葉だと分かります。この「あなた」が誰かは最初は説明していませんが、とても大切で身近な人だということは分かります。語っている主体は「私たち」(5節)です。「あなた」のために祈って来たことを前提に、「私たち」が「あなた」の面前に立ち、「あなた」を励ましている構図がイメージできます。
「苦難の日に主があなたにお答えになりますように。
ヤコブの神の御名があなたを高く上げますように。」(1節)
1~2節でまず、苦難の日に主が「あなた」を助けてくれるように、大きな苦しみから助け出して下さるようにと願っています。「ヤコブの神」という表現は詩篇で初めての登場です。ヤコブの神は、わがままなヤコブを見捨てない方、あわれみ深い神を意味します。低い場所で我慢を強いられている「あなた」を神に引き上げてもらいたいのです。
あなたの家族や友人で苦しんでいる人がいるかもしれません。その人が苦難から解放されるようにヤコブの神に願いましょう。
「あなたの全焼のささげ物を受け入れてくださいますように。」(3節)
第二に、ささげ物が主に受け入れられるように願っています。神との関係が健全でなければささげ物を受け入れてもらえません。私たちが誰かのために祈る時、その人が霊的に良い状態でいられるように祈るのはとりなしの祈りの要です。
「あなたの心の望みを主がかなえてくださいますように」(4節)
第三に、その人の希望がかなえられるように、勝利をつかめるようにと祈っています。誰かの夢や幸せを後押しするのがとりなしの祈りです。
子供が入学試験を受ける朝、この詩篇と同じような気持ちになって玄関で送り出すことがあります。あなたの望みがかないますようにと。
「私たちは、あなたの勝利を喜び歌い、
私たちの神の御名により旗を高く掲げます。」(5節)
とりなしの祈りを続けた支援者たちは、まだ祈りがかなう前から勝利を先取りしています。
とりなしの祈りはまるで登山のようです。見晴らしの悪い森を進んだり、険しい崖を上ったりしながらとりなしを続けます。とりなしの祈りを続けた人だけが、頂上にたどり着き、素晴らしい景色を見られるのです。
「今私は知る。主が主に油注がれた者を救ってくださることを。」(6節)
祈られていた「あなた」が6節になって初めて発言します。とりなしの祈りの応援を受け、励ましの言葉をもらったので、神の御力による勝利を確信しました。主に油注がれた事実に目と留め、主から受けた使命を全うする決意です。
「ある者は戦車をある者は馬を求める。
しかし私たちは私たちの神主の御名を呼び求める。」(7節)
戦車や馬とは当時の武力ですが、武力でなく主に信頼すると王が述べています。この宣言は信仰告白そのものです。
「主よ王をお救いください。私たちが呼ぶときに答えてください。」(9節)
最後になって「あなた」が王であることが分かりました。勢力にまさる敵軍に立ち向かう出陣式で、大祭司が民を代表して王に励ましの言葉を送り、皆で祈った時の詩篇が20篇だと思われます。
あなたの生活に大きな影響を与える「王」のような存在があるかもしれません。その「王」のため心を注いで祈りましょう。三種のとりなしをしましょう。
<今日のまとめ>
□身近な「あなた」「王」のため祈りましょう
□①苦難からの救い、②主との関係、③望みの実現のため、とりなそう
□戦車や馬でなく、主に頼りましょう