2021年10月21日木曜日

詩篇23篇

 詩篇23篇が好きな理由を聞かせて下さい。 

 たぶん色々な答えが返ってくることでしょう。

 まず内容を要約します。1節でダビデは、私にとって主は羊飼いのような方だと述べました。2~3節では、主から頂いた恵みを説明しました。4~5節で、人生で避けて通れない二つの問題があると述べ、「死の陰の谷」という試練と「敵」との戦いで主がどのように助けて下さるかを語り、最後の6節で生涯を貫く信仰告白をしました。

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」ダビデは自分自身が若い頃、羊飼いの仕事をしていたので、主はまるで羊飼いのようだと感じたのです。(ヤコブもそう感じていました。創世記48:15)乏しくない理由は、主から多くのものを頂いたという面と、主が共にいて下さるなら何もいらないという面があります。 

2節は羊飼いである主が、具体的な生活の必要を満たして下さる事を説明しています。パレスチナの山岳地帯は岩山で緑地が少なく、雨がめったに降らないので川や泉が希少です。羊飼いが食物と水のある所に羊を連れて行ってくれるので生きられます。

私たちの生活を振り返ると、仕事やお金や健康を主によって守られ、衣食住が整えられていることに気づきます。

3節では、主が私たちの内面を慰め励ましリフレッシュして下さり、正しい道に導かれることを語っています。主は私たちの心を気遣ってくれています。

 「たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。」

人生の試練は避けられません。病気やケガや死別や失敗に私たちは直面します。暗い谷を通る時は希望が見えません。死を身近に感じるほどの危険にも遭遇します。でも「私はわざわいを恐れません」と力強くダビデは言っています。それは、主が同行者だからです。こんなに力強いことはありません。

 「私の敵をよそに、あなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。」

敵が押し寄せて来た時、私たちは行動を起こします。人生で敵との戦いは避けられません。子供がいじめられた時、親は子供を守るために立ち上がります。敵との戦いの前に、主は食事を用意して元気付けて下さいます。香油や杯の描写は、戦いに勝てるようにと神の力、知恵、勇気が上から注がれているのが分かります。

 「まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」

ダビデの人生には試練や戦いは多かったのですが、一方ではいつくしみと恵みの連続だったのです。刺繍を裏から見れば試練、表に返すといつくしみと恵みが見えきます。神から良いものを頂き、神の愛に包まれていたのです。神に感謝し賛美しならが、命のある限り主と共に生きていきますとダビデは信仰を告白しました。

詩篇23篇が多くの人に愛される理由は、感謝にあふれた詩篇、賛美に貫かれた詩篇だからです。神への応答としての信仰告白が表明され、神が共にいるなら怖くないという確信に満ちた姿勢に励まされます。23篇は、晴れの日も嵐の日も臨終の時にも口ずさめる詩篇で、人生のどんな場面でも私たちを慰めてくれる詩篇です。主は私の羊飼い。羊飼いを愛し、羊飼いと共に生きていきましょう。

□あなたの日常生活の必要と、心の必要を満たして下さる主。
□試練と戦いの時、私は恐れません。

□いつくしみと恵みに感謝し、主について行きます。

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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