わが岩よ、どうか私に耳を閉ざさないでください。
私に沈黙しないでください。」(1節)
何も変化がない事。沈黙が長いこと。ダビデはそれを一番不安に思いました。私の声が主に届いていない。神の言葉が聞こえてこない。主との交流が途絶えてしまったと感じました。それまで、ダビデと主との間に緊密な交流があったことが分かります。
神とのつながりが確認できない中、ダビデがとても恐れていたことがあります。あの悪者がしかけた悪事にダビデも巻き込まれて一緒に滅んでしまう危険があると感じました。(2、3節)イスラエルの民全体にも大きな被害が及ぶと危惧しました。
3~5節には、その悪者の様子が描かれています。ダビデは悪者の名前も顔も知っていますがここには書きません。悪者は善良な姿を演じ、身近な人に平和を語りますが、実際は邪悪な事をします。(3節)イスラエルの民も被害を受けます。悪者は神を畏れぬ者たちなので(5節)、神のなさることを悟らず、主を無視して生きています。邪悪な行為にふさわしい処罰を悪者に与えてほしいとダビデは主に願いました。(4節)
ダビデの息子のアブシャロムは、数年かけて市民に甘い言葉をかけ、王を批判し、人気を集めてクーデターを起こし、都を乗っ取ったことがありました。ここでダビデが年頭に置いている人物はアブシャロムと取り巻き、それとよく似た人物だったのでしょう。
「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み私は助けられた。
私の心は喜び躍り私は歌をもって主に感謝しよう。」(7節)
結論部分の6~9節を見ると、ダビデは主をたたえています。悪者への呪いの言葉を浴びせたりせず、主に向かって喜びの歌をささげました。
主に油注がれた者、つまり王にとって神は救いの砦です。主の助けによって悪者が処罰され、イスラエルの民も救われました。主ご自身がイスラエルの民を祝福し、羊飼いとなって導いて民を下さいとダビデは祈りました。ダビデは王として謙虚でした。
「どうか御民を救ってください。
あなたのゆずりの民を祝福してください。
どうか彼らの羊飼いとなっていつまでも彼らを携え導いてください。」(9節)
あなたは、家庭や職場で、何らかの意味で小さな羊飼いであり、小さな国の王さまです。あなたが世話をする人たちのことを主に導いてもらいましょう。
□主に、聞いてもらい、語ってもらい、風通しの良い交わりを保とう。
□悪者の処罰は神にゆだねる
□あなたが世話している人達を羊飼いである主に導いて頂こう。