世の中には二種類の人間しかいません。神を恐れない人と神を恐れる人です。
1、悪者の姿(1~4節)
ダビデは悪者に苦しめられて来たので、悪者の心を分析してみました。悪者の根本問題は、神を恐れない心にあると結論付けたのです。
「彼の目の前には神に対する恐れがない。」(1節)
人が物やお金や権力や喜びを欲しいと願うなら、まじめに仕事したり、努力したり、貯金したり、時間をかけて正当な方法で自分のものにします。一方、悪者は努力せず、働かず、簡単に、いますぐ手に入れようとして、暴力、脅し、詐欺、嘘などを使います。つまり。「不法と欺き」を用います。自分の罪意識を消し去るために、他者の気持ちを思いやらず、物事を深く考えないようにします。
「彼の口のことばは不法と欺き。
思慮深くあろうともせず善を行おうともしない。」(3節)
神の存在を認めず、神の正義や教えに逆らい、多くの人を傷つけながら自分の欲望だけを追求する悪者は、夜、寝床の上で明日の悪だくみをすることになります。つまり、不正な方法で入手したものは何の満足も与えないので、心を悪に支配されて、悪事を繰り返す負のスパイラルから出られなくなるのです。これも主の裁きなのです。
「彼は寝床で不法を謀り、良くない道に堅く立ち、悪を捨てようとしない。」(4節)
2、神の恵み(5~9節)
神を恐れる人ダビデは、神に祈り、神の言葉を大切にし、神を礼拝し、神の道を実行して来ました。つまり、神を恐れて生きてきたのです。それで彼は、神が無償で提供しておられる数々の恵みに気づいていました。5~9節で、ダビデは神を「あなた」と親しく呼びかけ、いつの間にか自然に主を賛美し始めました。
神の恵み(神の愛)、神の真実、神の正義、神のさばきは、天や山が驚くほど高く、海の底が信じがたいほど深いように、神の恵みはそれよりスケールが大きく、天の倉庫に確かに大量に備蓄されているのです。
「主よあなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。あなたの義は高くそびえる山。あなたのさばきは大いなる淵。主よ、あなたは人や獣を救ってくださいます。」(5~6節)
神は私たちをそのままの姿で愛して下さっています。神は真実で裏切らず信頼できます。神は完全な正義を行う方で、神のさばきは公平で間違いがありません。神のご配慮は被造物全体にまで及んでいます。ダビデはこれらの事柄を体験的に述べているのです。
苦難の時に神に守って頂いた。貧しく乏しい逃亡生活でも、まるで豪邸で暮らすような安心と安らぎをもらいました。神と共にいることで、心は楽しみで潤され、生きがいや喜びが泉のようにあふれました。まるで明るい光の中で暮らしているようでした。(主イエスが信じる者に与えて下さる恵みに、光、いのち、水などがありますが、こうしたヨハネの福音書のキーワードはダビデによって既に語られていたのです)
3、祈り(10~12節)
悪者たちは毎晩悪だくみに追い立てられていましたが、主を恐れる者は数々の主の恵みを、無償で、努力によらず、ただ神を恐れて信頼するだけで無制限に頂けるのです。
「注いでください。あなたの恵みをあなたを知る者に。あなたの義を心の直ぐな人たちに。」(10節)
私たちも神に大胆に祈り求めましょう。注いでください、あなたの恵みをと。
□不法と欺きでは何も得られない
□神を恐れる人として常に歩もう
□恵みを注いで下さい、と主に祈ろう