詩篇38篇は、罪がもたらす悲惨な結果と、その後の回復プロセスについて語っています。
1、罪は何をもたらすか?
①心と体にダメージを与える
「あなたの矢が私に突き刺さり御手が私に激しく下りました。」(2節)
罪を犯した後にやって来る罪意識とは不思議なものです。誰にも知られていないのに心が痛み不安になります。神が放った矢が罪意識なのだとダビデは気がづきました。矢は心を射抜くだけでなく、身体にまで影響を与え病気になることもあります。背負いきれない重荷となるのは、神の怒りを知らせる警告だからです。
②罪が悪臭を放つ
「私の傷は悪臭を放って腐り果てました。それは私の愚かさのためです。」(5節)
罪が解決されずに放置されると、傷が膿んで悪臭を放ちます。やがて本人だけでなく周囲も分かってきます。当人は平常心を失い、うなだれ、嘆き、落ち込みます。
③愛する人が離れて行く
「愛する者や私の友も私の病を避けて立ち、近親の者でさえ遠く離れて立っています。」(11節)
罪を知った愛する人や友人たちはあなたを嫌い離れていきます。伝染病のために隔離された状態に似ています。罪はあなたの欲望を一時的に満たしたとしても、必ず孤独を連れて来るのです。
2、罪からの回復のプロセス
①願いが純化される
「主よ私の願いはすべてあなたの御前にあり」(9節)
罪意識で苦しむと、何が本当に大切だったのかが分かります。罪を犯して何かを手に入れても空しかった。不正や暴力や邪悪な事をして誰かを傷つけても本当の解決にならなかった。ダビデは病気になっていたようですが、体の癒しすら求めていません。「私の罪のゆえ」(3節)「私の愚かさのため」(5節)と自分が原因だと分かっているので、主からの処罰として耐えていたのでしょう。ダビデは、自分の本当の願いが見えてきました。かけがえのない幸せを失って初めて気づいたのです。隠し事のない生活。ささやかな幸せ。当たりまえの日々。罪が赦されていること。神との穏やかな関係。愛する人との平和な交流などがどれほど大事かが分かったのです。
②主だけを待ち望む
「まことに主よあなたを私は待ち望んでいます。」(15節)
愛する人が離れ去ったり大衆に見捨てられたら、名誉回復と人々が戻って来ることを願うものです。けれども、ダビデは主との関係修復が最優先だと気づきました。
③自分の咎を言い表す
「私は自分の咎を言い表します。」(18節)
私たちが罪を犯した後「私は悪くない」と何度も自分に言い聞かせませます。悪いのは自分でなく他人だ、社会だと言ったりします。罪からの回復で最も重要なポイントは、「私は悪くない」から「私が悪い」へと態度を変えることです。自分から言いましょう。犯した咎を神の前に言い表しましょう。
人々はあなたの罪のほんの一部を知っただけで去って行きますが、神はあなたの罪の全貌を知っても見捨てない方です。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヘブル13:5)
□罪を犯すと神の矢が私を射抜き心と体を苦しめる
□本当の願いを結晶化させ、主だけを待ち望もう
□自分の咎を言い表そう