2022年2月13日日曜日

詩篇39篇

 39篇は「伝道者の書」を彷彿させます。詩篇の背景は38篇と同じ状況と思われ、罪の苦しさと病の辛さのゆえに哲学的で少し悲観的な雰囲気になっています。 

1、言えない苦しみ(1~3節)

 ダビデは悪者に苦しめられていました。反論すると悪口に拍車がかかり、自分が罪を犯す恐れがあったのでぐっとこらえて口を閉じました。人生には辛いことが多いとダビデは感じていました。

2、むなしい(4~6節)

 「主よお知らせください。私の終わり私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを知ることができるように。」(4節)

ダビデは辛い人生の終わりに目を向けました。何歳で、どんな形で死ぬのだろう。主は教えて下さらないと分かっていながら問いました。そうすれば覚悟ができるような気がしました。

あなたは何歳で死にたいですか。どんな死に方がいいですか。それが分かったら今の生き方が変わるでしょうか。今晩死ぬとしたら、やり残した事がありますか。

「手幅」(5節)とは手のひらの親指を除いた幅のことで、人生は手幅ほどに短く空しいとダビデは悟りました。お金や財産を集めても死ねば誰のものになるか分かりません。

3、懲らしめを受け入れる(8~11節)

人生が辛いのは、罪を犯してしまい、主の懲らしめを受けるからです。ダビデは自分の罪深さを自覚していましたから、主からの懲らしめを受け入れ、病気の苦しさに耐えながら主からの解決とあわれみを祈り求めました。

4、旅人(12~13節)

「主よ私の祈りを聞いてください。助けを求める叫びに耳を傾けてください。私の涙に黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人すべての先祖のように寄留の者なのです。」(12節)

ダビデは、聞いてください、助けて下さい、朗らかにして下さいと祈りました。

ダビデは30歳で王になり40年間王でした。(第二サムエル5:4)お金もあり、長寿に恵まれ、尊敬され、たくさんの友人もいました。けれども、自分の本質は旅人に過ぎないと感じました。旅が楽しいのは帰る家があるからです。帰る家を失い、旅から旅へと流れて行くなら難民です、寄留者です。ダビデは自分のはかない立場に気づきました。

「主よ今、私は何を待ち望みましょう。私の望みそれはあなたです。」(7節)

人生は辛く、短く、空しく、罪深いとダビデは感じました。でも、愛に満ちた神を待ち望むことにより希望や夢や力が湧いてきます。永遠の神につながっているなら、はかなさや短さではなく、生きがいや人生の価値の側面に目が向かいます。神を待ち望み、神と出会い、神の言葉を聞き、神と交わるなら、同じ旅人であっても「あなたとともにいる旅人」(12節)という自覚が生まれ、一人ではないという力強い励ましが与えられます。

「私が朗らかになれるようにしてください。」(13節)

→あなたの番です

 □人生は、辛く、空しく、罪深く、はかなく見える
 □私たちの望みは、主ご自身

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