2022年4月10日日曜日

エペソ1:6

それは、神がその愛する方にあって
私たちに与えてくださった恵みの栄光が、
ほめたたえられるためです。(エペソ1:6)

1、それは

 冒頭の接続詞「それは」は、3~5節の内容を受けています。父なる神は、私たちを選び、また、私たちをご自分の子にしようとあらかじめ決めておられました。「それは」驚くべき恵みなので、自然に神をほめたたえたくなります。

3~14節は切れ目の無い長い文章です。その総まとめは14節に書かれてあり、神をほめたたえる人になろう、ということです。6節ではその結論を先取りし、「恵みの栄光がほめたたえられるためです」と書いています。音楽で中心になるメロディーが繰り返されるようにパウロは重要事項を何度も書きました。

霊的祝福のリストを1章に書いているのは、受けた恵みの素晴らしさを思い出すためです。気づいていなかった恵みも理解してほしかったのです。多くの祝福を受けていると分かれば、賛美の姿勢が変わります。

2、その愛する方

「その愛する方」とありますが誰のことでしょう。

主イエスさまと弟子たちが山に登った事が福音書に書いてあります。そこでイエスさまの顔は太陽のように光り、衣が白く輝きました。イエスさまはこの時まで神としての栄光を隠しておられたのです。イエスさまは本来の栄光の輝きをペテロを含む三人の弟子たちにお示しになりました。その時、天から父なる神の声がして、「これはわたしの愛する子」(マタイ17:5)と言われました。今日の箇所で「愛する方」と言われているのがイエスさまだと分かります。

父なる神が私たちを選び、私たちを子にするためには、愛してやまない一人子イエスさまの命と引き換えにしなければなりませんでした。父なる神が「愛する方」にあってして下さった事は深い恵みであり、その恵みは神の栄光で輝いています。

3、恵みの栄光

太陽と太陽の光を分けることは不可能です。それと同じように、神と神の栄光を分けることも困難です。私たちは神の存在をたたえつつ、神が下さった霊的な祝福を感謝します。神の下さった霊的祝福を一言で言い換えれば「恵み」と言うこともできます。ですから、私たちは与えられた恵みを感謝し、同時に、恵みが発している栄光に気づくので栄光の源である父なる神をたたえます。

ウエストミンスター小教理問答(1648年)はイギリスで作られましたが、その中に有名な質問があります。「人の主たる目的は何か?」という質問です。答えは、「人の主たる目的は、神の栄光をあらわし、神を永遠に喜ぶことである。」この回答の根拠とされているみことばは、第一コリント10:31で、「食べるにも飲むに、何をするにもすべて神の栄光を現わすためにしなさい。」ローマ11:36においても、「すべてのものが神から発し、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。」と書かれています。

身近な人をほめたり、感謝したりすることの少ない人は、心の中の<賛美・感謝・礼拝スイッチ>が錆びついている人です。意識してまず家族をほめましょう。その服、似合ってると言ってあげましょう。ありがとうを家族の中で美しく言いましょう。そうしていると、神への賛美の言葉が増えていきます。

霊的祝福をたくさん頂いていると気づけば、礼拝する時に神への深い賛美をささげられます。礼拝や賛美が深まっていくと、普段の仕事や生活の仕方が変えられ、神の栄光をあらわす仕事をしたくなるのです。

今週、神と神の栄光をたたえて歩みましょう。神の栄光のために生きていきましょう。

 □たくさんの霊的祝福を下った神を賛美します
□栄光を隠されたイエスさまをたたえます

□私は神の栄光をあらわす人生をおくります

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