神を知るための知恵と啓示の御霊を、
あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ1:17)
賛美と感謝を終え、パウロはとりなしの祈りを始めました。
1、栄光の父
「栄光の父」という呼び方は珍しく、聖書ではここだけで使われています。3節から14節を使ってパウロは神のして下さった霊的祝福を思い起こしました。そして、神こそ栄光を受けるにふさわしい方であると賛美をささげました。すでに明らかになった神の栄光に目を留めたのです。
とりなしのいのりは、まだ見ていない神の栄光を期待する祈りといっても良いでしょう。近い将来に「栄光の父」見ると信じて、私たちは誰かのために祈り続けます。
あなたは今、誰のために祈っていますか。
2、神を知るため
エペソの人々は、「忠実な聖徒」(1節)と呼ばれるほど信頼できるクリスチャンでした。また、「主イエスに対するあなたがたの信仰とすべての聖徒に対する愛」(15節)を持っていたので、信仰と愛の両面が備わった健康的なクリスチャンでした。
そんなエペソのクリスチャンのためにパウロは何を祈ったのでしょう。神を知ることができますように、と祈ったのです。ここで使われている「知る」という言葉は、深く知るとか、もっと良く知ると言う強い意味を持っています。
パウロはコロサイ教会の人たちのためにも、神を知ることができるようにと祈っています。「また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。」(コロサイ1:10)つまり、神を知ることができますようにという祈りは、クリスチャンに必須の祈りだったのです。
神を今よりもっと深く知ったら、あなたの信仰はどうなりますか。タイムスリップして、モーセと一緒に海を渡ったらどうでしょう。3年間イエスさまと共に生活して教えを聞き、奇跡を見たらどうでしょう。神を深く知ることで私たちの信仰は根本的に変わります。
神を知ることは自分を知ることにつながります。神を知ると、偉大な神が、私に目を留めておられ、私のことを知っていて下さり、私を応援して下さっているという事に気づきます。神を人格的に知ることになるので、私と神さまとの関係が深まっていきます。
パウロのとりなしの祈りは枝葉の祈りでなく、本質を突いた祈りなのです。
「主はこういわれる。
知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
力ある者は自分の力を誇るな。
富のある者は自分の富を誇るな。
誇る者は、ただ、これを誇れ。
悟りを得て、わたしを知っていることを。」(エレミヤ9:23~24)
3、知恵と啓示の御霊
エペソのクリスチャンにすでに御霊が与えらていることは13節、14節で明らかになっています。ここでパウロが御霊を与えて下さいと祈っているのは、御霊の導きが強くありますように、エペソのクリスチャンが御霊の語りかけに対して謙虚に耳を傾けられるようにという祈りをしているのです。
私たちが自分の知的な限界を認め、罪を犯す自分の弱さをしっかり認識し、聖霊の助けを謙虚に求める姿勢を持つなら、もっと神について知ることができます。神を真に知るためには知恵と啓示が必要なのです。
「神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。」(第一コリント2:10)
□神の栄光を信じてとりなしの祈りをする
□神をもっと知ることができるようにと、誰かのために祈る
□聖霊の助けをもとめながら、主を教えて頂きましょう