2022年6月25日土曜日

エペソ1:17

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、
神を知るための知恵と啓示の御霊を、

あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ1:17)

 賛美と感謝を終え、パウロはとりなしの祈りを始めました。

1、栄光の父

「栄光の父」という呼び方は珍しく、聖書ではここだけで使われています。3節から14節を使ってパウロは神のして下さった霊的祝福を思い起こしました。そして、神こそ栄光を受けるにふさわしい方であると賛美をささげました。すでに明らかになった神の栄光に目を留めたのです。

とりなしのいのりは、まだ見ていない神の栄光を期待する祈りといっても良いでしょう。近い将来に「栄光の父」見ると信じて、私たちは誰かのために祈り続けます。

あなたは今、誰のために祈っていますか。

 

2、神を知るため

 エペソの人々は、「忠実な聖徒」(1節)と呼ばれるほど信頼できるクリスチャンでした。また、「主イエスに対するあなたがたの信仰とすべての聖徒に対する愛」(15節)を持っていたので、信仰と愛の両面が備わった健康的なクリスチャンでした。

 そんなエペソのクリスチャンのためにパウロは何を祈ったのでしょう。神を知ることができますように、と祈ったのです。ここで使われている「知る」という言葉は、深く知るとか、もっと良く知ると言う強い意味を持っています。

 パウロはコロサイ教会の人たちのためにも、神を知ることができるようにと祈っています。「また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。」(コロサイ1:10)つまり、神を知ることができますようにという祈りは、クリスチャンに必須の祈りだったのです。

神を今よりもっと深く知ったら、あなたの信仰はどうなりますか。タイムスリップして、モーセと一緒に海を渡ったらどうでしょう。3年間イエスさまと共に生活して教えを聞き、奇跡を見たらどうでしょう。神を深く知ることで私たちの信仰は根本的に変わります。

神を知ることは自分を知ることにつながります。神を知ると、偉大な神が、私に目を留めておられ、私のことを知っていて下さり、私を応援して下さっているという事に気づきます。神を人格的に知ることになるので、私と神さまとの関係が深まっていきます。

パウロのとりなしの祈りは枝葉の祈りでなく、本質を突いた祈りなのです。

「主はこういわれる。
知恵ある者は自分の知恵を誇るな。

力ある者は自分の力を誇るな。
富のある者は自分の富を誇るな。

誇る者は、ただ、これを誇れ。

悟りを得て、わたしを知っていることを。」(エレミヤ9:23~24)

 

3、知恵と啓示の御霊

エペソのクリスチャンにすでに御霊が与えらていることは13節、14節で明らかになっています。ここでパウロが御霊を与えて下さいと祈っているのは、御霊の導きが強くありますように、エペソのクリスチャンが御霊の語りかけに対して謙虚に耳を傾けられるようにという祈りをしているのです。

私たちが自分の知的な限界を認め、罪を犯す自分の弱さをしっかり認識し、聖霊の助けを謙虚に求める姿勢を持つなら、もっと神について知ることができます。神を真に知るためには知恵と啓示が必要なのです。

 「神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。」(第一コリント2:10)

 □神の栄光を信じてとりなしの祈りをする
□神をもっと知ることができるようにと、誰かのために祈る

□聖霊の助けをもとめながら、主を教えて頂きましょう

2022年6月19日日曜日

エペソ1:16

 祈るときには、
 あなたがたのことを思い、
 絶えず感謝しています。(エペソ1:16)

今日は、感謝について掘り下げてみましょう。

世の中には二種類の人がいます。感謝する人と感謝しない人です。あなたの周囲にはどちらのタイプの人がいますか。そして、あなたはどちらのタイプですか。

感謝するの人は、他の人よりも幸せが多いのでしょうか。感謝しない人は、不幸な事ばかりの人生だったのでしょうか。そんなことはありません。幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せなのです。

エペソ1章を読んで分かるように、パウロは神が与えて下さった数々の霊的祝福を思い起こし神を賛美した後に、エペソ人の信仰と愛の素晴らしさを聞いて感謝をささげました。この順序にも注目して下さい。神の恵みに目を向けると、自然に感謝の心が湧き上がるのです。

「私は、キリスト・イエスにあってあながたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも私の神に感謝しています。」(第一コリント1:4)

パウロは、感謝する人でした。ほとんどの手紙の冒頭には感謝の言葉が述べられています。たくさんの問題をかかえたコリント教会への手紙ですら感謝の言葉から始めています。

 今日の聖句、16節を直訳すると、私の祈りの中であなたがたのことを思い出すと感謝を止めることができません、となります。

「絶えず」という部分は二重否定が使われていて、感謝を止めることができないという強い意味になります。感謝が止まらない。ずっと感謝できる。感謝な事を次々と思い出せる。たとえば、エペソの人々がしてくれた様々な親切や愛を思い出すとパウロは何度でも感謝できるのです。女神アルテミスを信じていたエペソの人々が悔い改めて主イエスを信じ、その信仰が深まっている様子を思い起こすと感謝が止まらなくなるのです。パウロは祈りの中で何度も何度も神に感謝できました。そして、その感謝の気持ちをエペソの人に手紙で伝えているのです。

 パウロの感謝の様子を見ていると次の事に気づきます。誰かに親切にしてもらったら、その人に感謝を表し「ありがとう」と言います。だれかの信仰や愛の様子を聞くと感謝します。その夜、一日を振り返って祈ろうとすると受けた親切をもう一度思い出して神に感謝します。朝、それらの人々の事を祈りながら神に感謝します。しばらくして、その人たちに手紙を書く機会があったら、あの時はありがとうと書いたり、あなたがたの信仰は素晴らしいと書くでしょう。また、直接その人たちに出会ったら、いつもあなたがたの事を感謝していると伝えるでしょう。そうするのは、相手を愛しているからであり、励ましたいからですね。こうした流れのすべてが、絶えず感謝する人を作っていくのです。

 ローマ1章には、神を無視する人、神に逆らう人の姿が書かれていますが、その中で感謝について言及しています。
 「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。」(ローマ1:21)
 神をあがめず、神を無視する人が陥る態度が感謝しない事だと分かります。神を知り、神を信じ、神をたたえ、神と共に生きようとする人は、感謝する人になるのです。

 さあ、あなたの番です。良い事があったら、心を込めてありがとうと言いましょう。すばらしい人の行動や信仰を知ったら、その事を称賛しましょう。夜の祈りの時や朝の祈りで、それらを思い起こして主に感謝しましょう。

 「私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。」(ピリピ1:3)
 
「私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。」(ピレモン4)
 
「また、感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ3:15)


□最初に誰かに、直接、感謝を伝えましょう
□祈りの中で、その事を神に感謝しましょう

□いつも感謝する人になりましょう

2022年6月12日日曜日

エペソ1:15

 こういうわけで私も、
主イエスに対するあなたがたの信仰と、
すべての聖徒に対する愛を聞いているので、(エペソ1:15)

 パウロはエペソで2年数か月の間伝道して教会を立て上げました。この手紙を書いた頃はそれから何年もたっていました。パウロはローマで裁判を待つ身となっていましたが、彼を訪れる人からエペソ教会の様子を知らされていました。

「主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので」と今日の箇所に書いています。パウロは、彼が育てたクリスチャンたちが健全に歩んでいるかどうかに深い関心を寄せていました。特に、信仰と愛という二点に目を向けていました。

第一テサロニケ3:6には、「テモテがあなたがたのところから私のもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました」という言葉がありますが、この時もパウロは人々の信仰と愛という二つの要素に目を向けていました。
 コロサイ人への手紙にも同じことが書いてあります。「キリスト・イエスに対するあなた方の信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。」(コロサイ1:4)

安定したクリスチャンは信仰と愛の両面が健全です。パウロはいつもそこに注目していました。信仰が愛を生み出します。愛は礼拝を必要とします。信仰と愛は車の両輪で、片方だけでは機能しません。あなたの今日の信仰はどんな状態ですか。あなたの愛は現実的に働いていますか。

1、主イエスへの信仰

信仰にはどんな要素があるでしょうか。

1)理解        聖書を読んで主イエスの行動や教えを理解します。主イエスに愛されている、十字架によって罪が赦されたと知ることは信仰の要です。

2)決断        福音の内容を理解したら、イエスは私の救い主であり私の主ですと信仰告白してバプテスマを受けます。その決断が信仰の一つの要素です。

3)繋がり      主イエスを信じた後は、主イエスとの交わりをいっそう頻繁に取っていきます。主イエスのみこころを聞き、私たちの気持ちを伝えます。心のコミュニケーションを深めていきます。

4)礼拝        毎週日曜日には、主イエスこそが私の優先順位のトップであることを行動で表わし、賛美し、感謝し、みことばを聞き、献身の思いを新たにします。

 信仰は盲目的な感情の高まりではなく、単なる知識の蓄積でもありません。聖書を通じてイエスさまを知っていくことを土台としますが、生きておられるイエスさまと継続的に心を通わせることがとても大切なのです。それは、初めて出会った人が自分にとっての最高の親友になって行くプロセスによく似ています。

 

2、聖徒への愛

 愛とは何かを考えてみましょう。健康な信仰を持っている人は、身近な人を愛しています。

1)心が動く    愛は共感から始まります。相手の喜びを自分の喜びとし、相手の悲しみを自分の事のように悲しみます。まず心が動くのです。

2)体が動く    愛は行動に表れます。誰かの様子を知ると自然に助けたくなります。役に立ちたくて自分にできることを実際に始めます。

3)与える      自分の時間やお金や物や何かを与えることがあります。代わりに働くこともあります。

4)とりなし    離れている時もその人に神の助けがあるようにと祈らずにはいられません。今日の箇所では、「すべての聖徒」と書いてありますが、愛の対象は身近な家族だけでなく主にある兄弟姉妹にも広がっていきます。

5)動機が純粋   主イエスの教えのように(マタイ22:39)、自分を愛するように隣人を愛すことが私たちの基本姿勢になります。また、見返りを求めないことも大切な心掛けです。

 誰も助けたことがない、親切にしたことがないというなら、その人の信仰はまだ不十分です。逆に、人を助けるために動き回って礼拝やみことばや祈りを欠くなら、的外れの行動になったり報いの無いことで腹を立てたりします。

信仰は縦糸であり、愛は横糸です。二つの糸が結びつくと美しくて強い布が織りあがり主の栄光を表せます。

主に祈りましょう、私の信仰を育てて下さいと。それと同時に、私の愛が具体的に生きて働くことができるようにと祈りましょう。

「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(ガラテヤ5:6)

□信仰が愛に向かわせ、愛が礼拝を必要とする
□主よ、私の信仰と愛、その両方を育てて下さい

2022年6月5日日曜日

エペソ1:14

聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。
 このことは、私たちが贖われて神のものとされ、
 神の栄光がほめたたえられるためです。(エペソ1:14)


 4630万円があなたの口座に振り込まれていたら、どうしますか。調べてみると「天国銀行」からの振り込みで、問い合わせると「これは第一回目の送金で、間違いではありません、後ほど何万倍も価値のある相続財産が送られる予定です」というのです。そんなうまい話は無いとあなたは思うかもしれません。でもそれが聖書の語る祝福なのです。

パウロは14節で「保証」という言葉をあえて使いました。これは商業用語で「手付金」という意味です。私たちは今後、神から莫大な相続財産をもらえるのです。聖霊は、その相続財産を保証する手付金に当たるというのです。

「子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」(ローマ8:17)
 私たちが罪赦されて神の子とされたのは、神の家族となり神を父と呼んで親しく心をつなぐためです。でも、それだけでありません。子どもになれば、正式な相続人になれるのです。神は私たちに、天の資産を、神の国を、与えたいと願われたので私たちを子にされたのです。

「また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。」(第一ペテロ1:4)
 パウロだけでなく、ペテロも確信をもって天の資産について述べています。当時のクリスチャンたちは同じ確信を持っていました。天の資産の確かさが私たちに希望を与え、今日を生きる力を与えてくれます。

ところで、あなたはどこを向いて毎日生活していますか。
 ある人たちは、過去ばかり見てため息をつき、自分を責めるか、誰かを憎んだりしています。変えることのできない過去ばかりに気を取られています。

ある人は、将来を思い描けずに下ばかり向いています。今は、希望もないし、誰かを思いやるゆとりもないし、生きているようで生きていない、繰り返しに耐えてるだけだと。

「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますよう。」(ローマ15:13)

聖霊は、私たちの未来を照らす神です。
 未来には希望があると教えてくれるのが聖霊です。前向きに、クリエイティブに生きて行けるように励ましてくれるのが聖霊です。そのために、みことばの意味を教え、そばにいて私たちを慰め励まし、御霊の実を結ばせ、キリストの姿に変え、道を教えてくれます。聖霊の働きは、私たちの今に輝きを与え、また、希望と未来を与えてくれるものなのです。

私たちが神の相続財産を受け継ぐことは、別な視点で見るとこうなります。私たちの贖いが完成し、私たちが完全に神のものとされることです。
 「私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩篇100:3)

3~14節にわたるパウロの長い言葉を通して、神から与えられた素晴らしい霊的祝福を私たちも一つ一つ思い返してきました。父なる神は、永遠の昔から私たちを愛し、選び、きよくし、子にしようとして下さいました。子なる神であるイエス・キリストは、ご自分の命を捨てて私たちを罪から贖って下さいました。聖霊は、私たちの心に住み、将来に希望を与え、今日を生きる力を与えて下さっています。

神の知恵は測りがたく、神の愛は深く、神の恵みは驚くほど大きいことが分かります。私たちもパウロと一緒に神の栄光をたたえましょう。

□聖霊は、私たちの未来を照らす助け主。
□想像を超えた神の相続財産が私たちを待っている。

□三位一体の神は、私たちの過去と現在と未来を祝福して下さる。

ヨハネ20:1~18 ラボニ

 「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」(ヨハネ20:2)   マグダラとはガリラヤ湖西岸の町の名で、ティベリアの北にあります。マグダラのマリアは、ルカ8:2によると7つの悪霊を追い出して病気を癒してもらった人で、マタイ27...