主イエスに対するあなたがたの信仰と、
すべての聖徒に対する愛を聞いているので、(エペソ1:15)
パウロはエペソで2年数か月の間伝道して教会を立て上げました。この手紙を書いた頃はそれから何年もたっていました。パウロはローマで裁判を待つ身となっていましたが、彼を訪れる人からエペソ教会の様子を知らされていました。
「主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので」と今日の箇所に書いています。パウロは、彼が育てたクリスチャンたちが健全に歩んでいるかどうかに深い関心を寄せていました。特に、信仰と愛という二点に目を向けていました。
第一テサロニケ3:6には、「テモテがあなたがたのところから私のもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました」という言葉がありますが、この時もパウロは人々の信仰と愛という二つの要素に目を向けていました。
コロサイ人への手紙にも同じことが書いてあります。「キリスト・イエスに対するあなた方の信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。」(コロサイ1:4)
安定したクリスチャンは信仰と愛の両面が健全です。パウロはいつもそこに注目していました。信仰が愛を生み出します。愛は礼拝を必要とします。信仰と愛は車の両輪で、片方だけでは機能しません。あなたの今日の信仰はどんな状態ですか。あなたの愛は現実的に働いていますか。
1、主イエスへの信仰
信仰にはどんな要素があるでしょうか。
1)理解 聖書を読んで主イエスの行動や教えを理解します。主イエスに愛されている、十字架によって罪が赦されたと知ることは信仰の要です。
2)決断 福音の内容を理解したら、イエスは私の救い主であり私の主ですと信仰告白してバプテスマを受けます。その決断が信仰の一つの要素です。
3)繋がり 主イエスを信じた後は、主イエスとの交わりをいっそう頻繁に取っていきます。主イエスのみこころを聞き、私たちの気持ちを伝えます。心のコミュニケーションを深めていきます。
4)礼拝 毎週日曜日には、主イエスこそが私の優先順位のトップであることを行動で表わし、賛美し、感謝し、みことばを聞き、献身の思いを新たにします。
信仰は盲目的な感情の高まりではなく、単なる知識の蓄積でもありません。聖書を通じてイエスさまを知っていくことを土台としますが、生きておられるイエスさまと継続的に心を通わせることがとても大切なのです。それは、初めて出会った人が自分にとっての最高の親友になって行くプロセスによく似ています。
2、聖徒への愛
愛とは何かを考えてみましょう。健康な信仰を持っている人は、身近な人を愛しています。
1)心が動く 愛は共感から始まります。相手の喜びを自分の喜びとし、相手の悲しみを自分の事のように悲しみます。まず心が動くのです。
2)体が動く 愛は行動に表れます。誰かの様子を知ると自然に助けたくなります。役に立ちたくて自分にできることを実際に始めます。
3)与える 自分の時間やお金や物や何かを与えることがあります。代わりに働くこともあります。
4)とりなし 離れている時もその人に神の助けがあるようにと祈らずにはいられません。今日の箇所では、「すべての聖徒」と書いてありますが、愛の対象は身近な家族だけでなく主にある兄弟姉妹にも広がっていきます。
5)動機が純粋 主イエスの教えのように(マタイ22:39)、自分を愛するように隣人を愛すことが私たちの基本姿勢になります。また、見返りを求めないことも大切な心掛けです。
誰も助けたことがない、親切にしたことがないというなら、その人の信仰はまだ不十分です。逆に、人を助けるために動き回って礼拝やみことばや祈りを欠くなら、的外れの行動になったり報いの無いことで腹を立てたりします。
信仰は縦糸であり、愛は横糸です。二つの糸が結びつくと美しくて強い布が織りあがり主の栄光を表せます。
主に祈りましょう、私の信仰を育てて下さいと。それと同時に、私の愛が具体的に生きて働くことができるようにと祈りましょう。
「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(ガラテヤ5:6)
□信仰が愛に向かわせ、愛が礼拝を必要とする
□主よ、私の信仰と愛、その両方を育てて下さい