すべての支配、権威、権力、主権の上に、
また、今の世だけでなく、次に来る世においても、
となえられるすべての名の上に置かれました。
(エペソ1:21)
神学用語で「謙卑」と「高挙」という言葉があります。
主イエスが神の栄光を捨てて人となり十字架の死に至るまで従順であられた姿を「謙卑」と言います。父なる神が主イエスをよみがえらせ、高く引き上げ、すべてのものの上に置かれたことを「高挙」と呼びます。今日の聖句は、主イエスの高挙について書いてあります。以下の聖句は謙卑と高挙の全体像を最も適格に説明している箇所です。
キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、
それも十字架の死にまで従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名を与えられました。
それは、イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
すべての舌が
「イエス・キリストは主です」と告白して、
父なる神に栄光を帰するためです。
(ピリピ2:6~11)
主イエスは自発的に神の栄光をお捨てになりました。公生涯においては、律法学者たちに、大酒飲みの食いしん坊、罪人の仲間、悪霊につかれ、気が狂っていると悪口を言われました。無実の罪で捕らえられ、暴力を受け、つばをかけられ、衣服をはぎ取られて十字架につけられました。人々は主イエスを見捨てました。主イエスは、苦しみと、あざけりと、人としての最低レベルに下ることを選ばれました。
この苦しみと忍耐と謙虚な歩みのゆえに、父なる神は主イエスを死からよみがえらせ、すべての名の上に高く引き上げました。
21節にある「支配、権威、権力、主権」という表現は政治用語のように見えますが、違います。目に見えないけれども強い悪の力がこの世界に働いていることをこの言葉で説明しています。その国の領土に入ったらその国の法律に支配され、権威の前では自由が奪われるように、この世に暗躍する悪い霊は人を支配し悪を行わせようと強い圧力をかけてきます。
主イエスの救いとは、死の支配からの解放であり(ローマ6:9)、罪の支配からの解放(ローマ6:14)なのです。「闇から光に、サタンの支配から神に」(使徒26:18)立ち返らせてくれるのです。
「キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。」(第一コリント15:24)
主イエスは復活され神の右に着きすべての名の上に置かれました。ですから、主イエスに立ち向かえるものは何一つないのです。どんな悪の力も主イエスにかないません。
「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:39)
ペテロは、キリストの謙卑と高挙を私たちの人生にあてはめるように教えました。栄光を捨ててへりくだる人生を選んで行くならば、ちょうど良い時に神が必ずあなたを高く引き上げて下さる。その最中の思い煩いは神にすべて委ねるようにと述べました。
「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(第一ペテロ5:6~7)
□すべての名の上に立たれた主イエスを賛美しましょう
□主イエスは罪と死と悪の支配から解放して下さいました
□思い煩いを委ね、キリストの足跡をたどって謙虚に歩もう