2022年9月25日日曜日

創世記39:19~23

 牢獄に入れられた時、ヨセフはどんなに落胆したことでしょう。
 ヨセフは奴隷に売られても一生懸命働きました。その結果、ポティファルの家で出世し、筆頭管理者に上り詰めたのです。ですが、主人の妻からのパワハラとセクハラで苦しめられ、誘いを断って逃げた結果、奥さんを襲った犯人に仕立てられました。

 ヨセフはこの苦境にどう立ち向かったのでしょう。

1、負けても道はある

 「妻のことばを聞いて」(19節)とあるように、ポティファルは奥さんの話だけを聞いて怒ったようです。ヨセフの弁明は一切記録されていません。

もしも、奥さんがどのように言い寄ったかをヨセフが具体的に克明に話したら、奥さんに恥をかかせ、主人の面目をつぶすことになったでしょう。その結果、さらに激高した主人がその場でヨセフを殺したかもしれません。ヨセフは奴隷であり、奴隷は主人の所有物なのです。ヨセフは賢い人なので、そこまで考えて弁明を避けたのかもしれません。

 「ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。」(創世記39:20)

負けて勝つ道があります。人生は一度きりの試合ではありません。敗北が決まったとしても、逃げ延びる道を探しましょう。倒れたら立ち上がればよいのです。

 

2、主の恵み

「しかし主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(創世記39:21)

ヨセフの嫌疑は即刻殺害されてもおかしくない大罪でした。けれども、命は助けられ牢獄に入れられました。「しかし」とあるように、こんな不遇に見える時でも主がともにいて下さったのです。それで命は助かりました。

主の恵みはそれだけではありません。ヨセフの入られらた監獄は普通の強盗や人殺しなど粗暴な犯罪人のためではなく、王の囚人だけが監禁される特殊な牢屋でした。監視は特に厳重でしたが、重要人物や身分の高い人などが政治上の理由で収監されることもあるので、施設の作りや待遇が通常とは違ったようです。

 

3、気持ちを切り替える

 もしもヨセフが、無実の罪で牢に入れられた事を根に持って、怒り散らし、捨て鉢になり、反抗的な態度に終始したら、看守から暴行を受けて最悪の状態になったでしょう。ヨセフは、気持ちを早く切り替えたようです。

あなたは過去を引きずって歩いていますか。過ぎた過去は変えられません。まだ見ぬ未来は変えられます。こうした姿勢がヨセフの態度に現れました。

「監獄の長の心にかなうようにされた。」(21節)とあります。不思議なことに、ヨセフは監獄の長に気に入られました。ヨセフが奴隷だったので、監獄長はヨセフに用事を命じたのでしょう。ヨセフは牢獄の中でもきちんと働き、期待以上に仕事をしたようです。色々な工夫をして監獄長に喜ばれました。

誠実で、賢くて、人柄が良く、働き者のヨセフなので、牢屋の管理を全部任せられるほどに信頼されました。果たしてヨセフは囚人なのでしょうか、看守の一人なのでしょうか。

 「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことは何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」(創世記39:23)

主から与えられた管理の賜物をヨセフはここでも用いました。管理とは、今、手の中にあるものを有効に使うことです。ヨセフは牢屋の中でも自発的に働き、生きがいを見つけ、看守長から絶体な信頼を受けました。

あなたもできます。置かれている場所が監獄のようであっても、あなたの意識次第で大きく変わります。物置を書斎に、古民家を別荘に、病院をリゾートに、牢獄を帝国ホテルに。

2節でも、3節でも、21節でも「しかし、主はヨセフとともにおられ」、23節でも「それは、主が彼とともにおられ」とあるように、主がともにおられると繰り返されています。それがヨセフの人生の特徴です。

主はヨセフとだけ一緒におられるのですか。違います。あなたと共におられます。それに気づかない人が多いのです。

☐倒れても、生き延びる道があります。
 ☐過去は過ぎ去りました、気分を切り替え、今手にあるものを生かそう。

 ☐どんな場所にも、主は共におられる。

2022年9月18日日曜日

創世記39:7〜18

1、成功は誘惑を連れて来る

 ヨセフはポティファルの家の管理者に登用されました。奴隷としては最高位となる昇進で、喜ぶべきことですが、成功は誘惑を連れてきました。「体格も良く、顔立ちも美しかった」(6節)とあるように、ヨセフはハンサムで若く仕事ができたので、主人の妻が目をつけたのです。彼女は毎日のように「一緒に寝ましょう」(創世記39:7)と言い寄ってきました。
 成功は誘惑を連れてきます。ヨセフの場合は、厳密に言うとパワーハラスメントとセクシュアルハラスメントでした。
 あなたは、今、何かの誘惑にさらされていますか。会社や他人のお金を盗む誘惑かもしれません。性的な誘惑もあります。嘘をついたりや不正をして有名になる誘惑もあります。

2、神の前で見つめる

 ヨセフは主人の妻の求めをはっきりと拒絶し、8〜9節のように理由を説明しました。第一の理由は、職業倫理に反する。第二は、主人の信頼を裏切る行為。第三は、神に対して罪になる。特に、「神に対して罪を犯す」(9節)という視点はとても大切です。

 誘惑を受けると誘惑の魔力に引き込まれ落ち着いた判断ができなくなり、相対的な価値判断にすり替えてしまいます。本来は正義か悪かの問題なのに、自分に利益になるかならないかという物差しを使ってしまいます。あるいは、人に好かれるか、嫌われるかの物差しで判断することになります。誘惑を受けた時、それを神の前に持って行きましょう。ヨセフのようにすれば、神に対する罪になるか、ならないか、つまり絶対的な価値判断ができるのです。たとえ主人の妻の命令であっても断ることができるのです。

3、逃げるのは恥ではない

 ある朝、ヨセフが仕事をしようとすると、家の中から人影がありません。おそらく、主人の妻が何かの理由をつけて完全な人払いを行った末に物陰に隠れ、いきなりヨセフに抱きついたのでしょう。彼女がヨセフの上着を脱がせたにかかったのだと思います。
 「彼が上着を彼女の手に残して外に逃げた」(13節)とあります。ヨセフは躊躇せずその場を離れました。逃げることは、カッコ良いことではありませんが、この場合は正解です。
 あなたも、逃げてください。誘惑が強すぎるなら、逃げましょう。学校も転校しましょう。会社は辞めましょう。引っ越しましょう。逃げれば、やり直しができるのです。

 妻が夫にヨセフの上着を見せて事件の説明をすると、ポティファルはヨセフを捕らえて牢に入れました。不思議なことに主人は奴隷ヨセフを殺しませんでした。もしかしたら、ポティファルは妻の証言に不自然さを感じたのかもしれません。これでヨセフは命を二度救われたことになりました。最悪に見えるときにも、主の守りがあったのです。逃げることは恥ではありません、脱出の道への避難口なのです。

 ◯成功は誘惑を連れて来る
 ◯判断は主の前でする
 ◯逃げて生き延びましょう

2022年9月11日日曜日

創世記39:1~6 

 若者は家族から離れて孤独を味わい、社会の荒波にもまれて成長します。今日の聖書箇所はヨセフの成長ドラマです。

一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。(創世記39:1)

 ヨセフはポティファルに買い取られました。ポティファルとはエジプト王ファラオの側近中の側近で、おそらく御殿のような家に住んでいたことでしょう。金持ちは、家の格式にふさわしい奴隷を所有したいという見栄があります。ヨセフは、「体格も良く、顔だちも美しかった」(6節)ことが幸いして、ポティファルの家で働くことになりました。

 あなたが若者で派遣会社を通じて仕事を探してもらったとします。紹介された先が古ぼけた町工場の季節労働だったらどうでしょう。あるいは、トヨタの研究室の正社員として雇ってくれるとしたらあなたの労働意欲はどうなるでしょう。ヨセフの職場は、エジプトの首都の大豪邸でした。ここで働けると分かったヨセフは目の色を変えたことでしょう。

主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。(創世記39:2~3)

今日の箇所は若者の成長物語でありながら、ヨセフの苦労話がひとつも書かれていません。エジプトの言葉は一つも分からないし、何の経験も特技もないヨセフでしたが、すべてが順調に進み、気づいたら屋敷のすべての管理を任されるまでになったと書いてあります。おそらくヨセフはこの時期の苦労話を他人にしなかったのでしょう。また、ヨセフの成功を人から評価されても、それは自分の努力ではなく主が共にいて下さったゆえだと語っていたからでしょう。

それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。(創世記39:4)

主人ポティファルはヨセフの管理能力を高く評価しました。管理の本質とは、今、手にあるものを有効に用いることです。

ヨセフは与えられた仕事をきちんとこなしたことでしょう。さらに、どうしたら円滑に効果的にできるか創意工夫や努力をする。その結果、収穫、家畜、利益、所有物、貨幣や宝物などが増えていく。主人ポティファルはヨセフの管理のすばらしさに驚いたのです。また、主がヨセフと共にいることに気づいたと2節にありますが、ヨセフの信仰も主人に知られていたようです。主人は、自分の食べるものだけ考えればよく、その他、家の管理はヨセフに任せきりにしました。それほど信頼されたのです。

ヨセフが管理した分野は三つありました。

第一に仕事です。仕事への取組みについてはすでに触れました。エジプトの言語や文化を学びつつ、仕事に精力的に取り組みました。
 第二は、自分の心を管理しました。兄たちへの憎しみを引きずりませんでした。ひがまず、ねたまず、殻にこもりませんでした。自分が失ったものを悔やまず、与えられているものに取り組みました。

 第三は、人間関係の管理です。職場の上司や仲間と良好な人間関係を築かなかったら、ヨセフの昇進はありえません。実家にいたときの我がままや傲慢な態度でいたら、今度は間違いなく殺されていたでしょう。周囲の人に愛される人。ヨセフは、周囲の人に祝福を与える人になりました。

主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。(創世記39:5)

□私もあなたも、成長物語の主人公です。
□あなたのいる場所はポティファルの豪邸です。
□今、与えられているものを生かしてみましょう。
□仕事に意欲的に取り組み、否定感情を引きずられず、周囲の人に祝福を届けましょう。

創世記37:18~28

「兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。」(創世記37:18)

 ヨセフが一人でやって来たのを見て、兄たちは殺すチャンスだと思いました。今日は最初に謎解きから始めましょう。ヨセフ殺害の首謀者は兄たち10人の中で誰だったのでしょう。

 女奴隷から生まれた4人、ダン、ナフタリ、ガド、アシェルは地位が低いので指導的な立場は取れません。イッサカルとゼブルンは正妻レアから生まれましたが、年長の兄4人から見れば歳の離れた子供とみなされるのでヨセフ殺害の首謀者にはなれません。すると、レアから生まれた最初の4人、ルベン、シメオン、レビ、ユダに絞られます。

 けれども、今日の箇所によると、ルベンもユダもヨセフ殺害に反対しているので、首謀者ではありません。

すると消去法で、次男シメオンと三男レビが首謀者となります。後になって、エジプトでヨセフと兄弟たちが再会した折に、人質としてエジプトに残るようにヨセフが指名したのがシメオンでした。(創世記42:24)この事からも、シメオンがヨセフ殺害の首謀者だった可能性が高いです。

 ヨセフ物語のテーマは家族です。ヤコブの家庭は崩壊していました。父親がヨセフを偏愛し、あからさまにえこひいきをしていました。兄たちはヨセフを憎み殺そうとしていました。

 ここまでひどくなくても、私たちの育った家庭や今の家庭も似ています。家族の誰か一人をみんなでいじめたり、母親が子供の前で夫を馬鹿にしたり、夫婦喧嘩が絶えなかったり、嫁姑がいがみ合ったりする家庭はたくさんあります。

 壊れた家庭、傾いた家庭は立て直せますか。できます。責任感のあるルベンのような人がいれば可能です。また、ユダのような人がいれば、機転をきかせて家族の雰囲気をがらっと変えることができます。

また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。(創世記37:22)

 長男ルベンはヨセフ殺害に反対しました。血を流してはいけないと正論を主張し、兄弟を説得しました。ヨセフをいったん穴に入れ、隙をみて穴から助け出す作戦でした。

わがままなヨセフにも生きる価値がある。えこひいきする父親だが、その父のためにヨセフを連れ戻す必要がある。ルベンは強い責任感を持っていました。

残念ながら、ルベンのいない隙に、ヨセフは奴隷に売られてしまいましたが、ヨセフの命を助けるきっかけを作ったのは長男ルベンだったのです。

 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。(創世記37:26~27)

ユダは兄弟全体の雰囲気を見て、ヨセフ殺害は避けられないと判断したのでしょう。ぎりぎりの状況で打開策を考えていた時に、キャラバン隊が目の前を通ったのです。ヨセフを殺しても何の得もないが、奴隷として売れば小遣いが手にはいるぞ、とユダは言いました。すると、激怒して頭に血の上っていた兄弟たちが急にそろばん勘定を始めて、納得したのです。雰囲気を一変させる機転のきいたアイデアでした。もちろんユダがしたことは決してほめられる事ではありません。兄弟を奴隷として売ったのですから。それでも最悪は回避できたのです。ヨセフは奴隷として売られた先で生きる道が残されたのです。

神の夢は、最悪と見える状況でも、静かに、確実に、推し進められています。

 あなたの家族は崩壊していますか。倒れそうですか。思いやりがありますか。憎しみやイライラがありますか。責任のなすり合いをしていませんか。ごめんなさいの言葉と赦しの言葉がありますか。

 ルベンのような責任感ある態度によって、傾いた家庭は守られます。

 ユダのような機転のある言葉によって、雰囲気ががらりと変わります。

 神が夢をあきらめていないなら、家族再生の道は残されています。

 

 □家族で仲間外れにしても、復讐しても、何も生まれない
□主よ、私に責任感を与えて下さい

□主よ、機転のきいた一言を言わせて下さい
□最悪に見えても、神の計画は進んでいる

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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