牢獄に入れられた時、ヨセフはどんなに落胆したことでしょう。
ヨセフは奴隷に売られても一生懸命働きました。その結果、ポティファルの家で出世し、筆頭管理者に上り詰めたのです。ですが、主人の妻からのパワハラとセクハラで苦しめられ、誘いを断って逃げた結果、奥さんを襲った犯人に仕立てられました。
ヨセフはこの苦境にどう立ち向かったのでしょう。
1、負けても道はある
「妻のことばを聞いて」(19節)とあるように、ポティファルは奥さんの話だけを聞いて怒ったようです。ヨセフの弁明は一切記録されていません。
もしも、奥さんがどのように言い寄ったかをヨセフが具体的に克明に話したら、奥さんに恥をかかせ、主人の面目をつぶすことになったでしょう。その結果、さらに激高した主人がその場でヨセフを殺したかもしれません。ヨセフは奴隷であり、奴隷は主人の所有物なのです。ヨセフは賢い人なので、そこまで考えて弁明を避けたのかもしれません。
「ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。」(創世記39:20)
負けて勝つ道があります。人生は一度きりの試合ではありません。敗北が決まったとしても、逃げ延びる道を探しましょう。倒れたら立ち上がればよいのです。
2、主の恵み
「しかし主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(創世記39:21)
ヨセフの嫌疑は即刻殺害されてもおかしくない大罪でした。けれども、命は助けられ牢獄に入れられました。「しかし」とあるように、こんな不遇に見える時でも主がともにいて下さったのです。それで命は助かりました。
主の恵みはそれだけではありません。ヨセフの入られらた監獄は普通の強盗や人殺しなど粗暴な犯罪人のためではなく、王の囚人だけが監禁される特殊な牢屋でした。監視は特に厳重でしたが、重要人物や身分の高い人などが政治上の理由で収監されることもあるので、施設の作りや待遇が通常とは違ったようです。
3、気持ちを切り替える
もしもヨセフが、無実の罪で牢に入れられた事を根に持って、怒り散らし、捨て鉢になり、反抗的な態度に終始したら、看守から暴行を受けて最悪の状態になったでしょう。ヨセフは、気持ちを早く切り替えたようです。
あなたは過去を引きずって歩いていますか。過ぎた過去は変えられません。まだ見ぬ未来は変えられます。こうした姿勢がヨセフの態度に現れました。
「監獄の長の心にかなうようにされた。」(21節)とあります。不思議なことに、ヨセフは監獄の長に気に入られました。ヨセフが奴隷だったので、監獄長はヨセフに用事を命じたのでしょう。ヨセフは牢獄の中でもきちんと働き、期待以上に仕事をしたようです。色々な工夫をして監獄長に喜ばれました。
誠実で、賢くて、人柄が良く、働き者のヨセフなので、牢屋の管理を全部任せられるほどに信頼されました。果たしてヨセフは囚人なのでしょうか、看守の一人なのでしょうか。
「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことは何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」(創世記39:23)
主から与えられた管理の賜物をヨセフはここでも用いました。管理とは、今、手の中にあるものを有効に使うことです。ヨセフは牢屋の中でも自発的に働き、生きがいを見つけ、看守長から絶体な信頼を受けました。
あなたもできます。置かれている場所が監獄のようであっても、あなたの意識次第で大きく変わります。物置を書斎に、古民家を別荘に、病院をリゾートに、牢獄を帝国ホテルに。
2節でも、3節でも、21節でも「しかし、主はヨセフとともにおられ」、23節でも「それは、主が彼とともにおられ」とあるように、主がともにおられると繰り返されています。それがヨセフの人生の特徴です。
主はヨセフとだけ一緒におられるのですか。違います。あなたと共におられます。それに気づかない人が多いのです。
☐倒れても、生き延びる道があります。
☐過去は過ぎ去りました、気分を切り替え、今手にあるものを生かそう。
☐どんな場所にも、主は共におられる。