飢饉は2年目に入りました。(創世記45:11)買い付けた穀物をほとんど食べ尽くしたことに気づき、父ヤコブは息子達にエジプに行って再び穀物を買い求めるように命じました。
すると、ユダが父に言った。「あの方は私たちを厳しく戒めて、『おまえたちの弟と一緒でなければ、私の顔を見てはならない』と言いました。」(創世記43:3)
父の言葉に反応したのは四男のユダでした。なぜ、ここでユダが登場したのでしょう。エジプトから帰還した時に、長男ルベンが一生懸命に父を説得しようと試みましたが(42:37)ヤコブは態度を硬化させてしまいました。それで今回、ルベンは何も言い出しませんでした。
順番でいけば次男の出番ですが、シメオンはエジプトで人質にされています。その次は三男のレビですが声は聞かれません。シメオンとレビは残虐な事件を起こした過去があり(34:25)、父ヤコブの頑迷さと我がままに怒っていたのかもしれません。そんな流れで、四男ユダが父と交渉を始めたのでしょう。(43:3~5)
問題を前にした時の対応は三つあります。第一、どうにもならないと無気力になり諦める。第二、他人に解決してもらおうと漠然と時を待ったり、誰かの背中を押す。第三、「私がやります」と手を上げる。ユダは第三のタイプでした。
ベニヤミンを連れて行かないと穀物を買えないので、ユダは自分が責任を負うと決意し、父を説得しようとしました。人の後ろに隠れていた普通の人に使命感が与えられ、前に出てリーダーシップを取ることがあるのです。
ヤコブは、ベニヤミンのことをエジプト人に話した過失を責めました。(43:6)兄弟たちは必至になって事情を話しました。(7節)ここで、ユダは、過去の責任のなすり合いを避け、未来志向の提案をしました。
私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。もしも、お父さんのもとに連れ帰らず、あなたの前にあの子を立たせなかったら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。(創世記43:9)
ユダが、末っ子ベニヤミンの命を守り全責任を負う覚悟を示しました。死ぬ覚悟を見せたと言ってもよいでしょう。ユダがそこまで言えた背景は何でしょう。父ヤコブや自分たちの妻や子供たち全員に食料を与えたい。人質のシメオン兄さんを救出したい。つまり動機は愛なのです。
また、過去の自分たちの行動に対する深い反省がありました。二度と同じような失敗をしたくない。人を殺害するのでなく人を生かしたいという強い思いがありました。
「ユダと兄弟たち」(44:14)という記述が次の章にありますが、この後、ユダは兄弟たちの中で自然にリーダーシップを取るようになります。ヤコブが臨終のとき、ユダは獅子の子と呼ばれ、兄弟たちの上に君臨し、王権は離れないと預言しました。(49:9~10)主イエスもユダの子孫としてお生まれになっています。(マタイ1:1~3)
あなたはユダです。今まで後ろに隠れてその他大勢の一人だったかもしれません。祈りと御言葉に押し出されて手をあげて「私がやります」という人になりましょう。
☐主に励まされて「私がやります」と言ってみましょう
☐全力で誰かを背負ってみましょう