2022年11月13日日曜日

創世記42:18~28 

 ヨセフは三日目に彼らに言った。「次のようにして、生き延びよ。私も神を恐れる者だから。」(創世記42:18~19)

 ヨセフは突然兄たちと再会したため憎しみと怒りが燃え上がり自分を制することができなくなり、兄たち10人にスパイの嫌疑をかけて牢屋に投げ込みました。

それから3日が過ぎ、ヨセフはやっと自分を取り戻せました。冷静になるために3日という時間が必要でした。「私も神を恐れる者だから」という言葉にヨセフの柔らかな心があらわれています。

9人を人質に取り一人を帰らせたらわずかな食料しか持って帰れません。父、そして、兄たちの妻や子供たちを助けることができないと気づいたのです。それで、最初の命令を取り下げ、一人を人質にし9人を帰らすことにしました。これは、自分の役割を自覚し、心が穏やかになった印です。神を恐れる者にもどれたのです。

ただし、弟ベニヤミンと再会したい、兄たちにいじめられていたなら助け出してエジプトで一緒に暮らしたいという願いは変わりませんでした。

怒りや憎しみが燃え上がる時、私たちは自分にだけ目が向いています。自分の視点からしか物事を見られません。けれども、時間を置いたり、主の前で祈ったり、みことばを読んだりすると心を冷却させることができます。そして、相手の立場に立って考えたり、自分を客観視できるようになります。

 あなたにも3日間の冷却期間が必要かもしれません。物事を自分の立場からだけではなく、相手の立場、客観的視点、神の目から見つめ直しましょう。

 

彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」(42:21)

 兄たちは、突然スパイの嫌疑をかけられ、投獄され、大きな不安を抱え、処刑される恐怖を味わいました。ヨセフもきっと同じような苦しみを味わったのだと兄たちは思い至りました。

 3日後にヨセフの前に立った兄たちは、口々に同じことを語りました。今、我々は罰を受けている。ヨセフを殺そうとしたり、奴隷に売ったことの罰を受けている。21年前、ヨセフがあわれみを求めた時、我々はそれを無視した。「その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。」

ルベンは、ヨセフに手を出すなと言ったじゃないかと長男らしい事を語り、「血の報い」という言葉を使ってヨセフは死んだという認識を述べ、責任を痛感していました。おそらくヨセフは、ルベン兄さんがヨセフの命を救ったことを初めて知ったのでしょう。

兄たちは、通訳を介していたので、会話がヨセフに伝わっていたとは思いませんでした。

 ヨセフは彼らから離れて、泣いた。それから彼らのところに戻って来て、彼らに語った。そして彼らの中からシメオンを捕らえて、彼らの目の前で彼を縛った。(42:24)

ヨセフは、その場を離れ、一人で涙を流しました。兄たちの反省の言葉が心に迫りまったからです。強く反省している気持ちが伝わってきました。ルベンの配慮に感謝しました。色々な感情がヨセフの中で巡ったので、席を外して泣いたのです。

兄たちがヨセフの存在に気づいたら謝罪の動機が複雑になったはずです。殺されないために謝るとか、穀物を手に入れるために謝罪するとか、不純な感情が混ざってしまいます。けれでも、今、兄たちはヨセフの存在を知りません。ヨセフと気づかない時に、当事者のいない所で、自分が悪かったと声に出して言える行為は、真実な悔い改めに至る大切な第一歩になるのです。

ヨセフは兄たち9人のロバに積めるだけの穀物を持たせました。代金の銀は受け取らず、そっと袋に入れて返しました。

☐怒り過ぎたら、冷却期間を置いて神を恐れる者に戻ろう。  
 ☐罰を受けていると気づいたら、悔い改めよう。

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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