2022年12月11日日曜日

創世記43:26~34

兄たちがエジプトに持って来た名産品(創世記43:11)の香りは、ヨセフに苦い過去を思い出させるものでした。きっとヨセフは顔を曇らせたはずです。21年前、ヨセフを奴隷として買い取った商人たちの積み荷も樹香、乳香、没薬(創世記37:25)だったからです。ヨセフは心をコントロールできたので激怒したり動揺しませんでした。

ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これが、おまえたちが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ、神がおまえを恵まれるように。」ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた。(創世記43:29~30)

ヤコブが出発前に、全能の神があわれんで下さるようにと祈りましたが、それが通じたのでしょう。ヨセフは穏やかに、恵み深く接してくれました。ヨセフは、ベニヤミンと生きて再会できたことを深く喜び、万感の思いを込めて「わが子よ、神がおまえを恵まれるように」と述べました。

21年ぶりにベニヤミンを見て、ヨセフは感極まり奥の部屋で泣きました。生かされている恵み、再会できた感激をかみしめ、流れる落ちる涙と共に兄たちへのわだかまりも消え去ったようです。嫌っていた兄たちとも一緒に食事ができそうです。

また、ヨセフの食卓から彼らの分が与えられたが、ベニヤミンの分は、ほかの者より五倍も多かった。彼らはヨセフとともに酒を飲み、酔い心地になった。(創世記43:34)

ヨセフのテーブルに並べられたご馳走が少し離れた所に座っていた兄たちに配られました。この豪華な昼食の目的はヨセフしか知りません。ベニヤミンとの再会を祝う祝宴だったことは、ベニヤミンに5倍の料理がふるまわれたことで分かります。

兄たちは飢饉で苦しんでいたのでこのご馳走は特別な喜びになりました。食べて酔って12人の兄弟はみな幸せな時を過ごしました。

 よく考えてみると、兄たち10人はヨセフから歓迎の食事を頂く資格はありません。ヨセフが兄たちに恵みとあわれみを一方的に注いだのです。この昼食会は、神の愛と恵みがどんなものかを教えてくれます。

 詩篇23:5によると神は敵の前で私たちに食事を用意して下さる方です。放蕩息子を迎えた父は「肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう」(ルカ15:23)と言いました。主イエスご自身が私たちに食事を提供して下さる方だということは福音書全体から知ることができます。五千人の給食でパンと魚をご馳走して下さったのは主イエスです。最後の晩餐で、パンと杯を弟子たちに与え、飲みなさい、食べなさいと言われたのも主イエスです。復活後、ガリラヤ湖の早朝、パンと魚を用意されて「さあ、朝の食事をしなさい」(ヨハネ21:12)と言われたのも主イエスです。私たちの心の扉をたたき、私たちと食事をして下さるのも主イエスです。(黙示録3:20)

 私たちは神の愛と恵みに満ちた祝宴に招かれていたのです。

 あなたの生涯で最も感激した食事はどんな場面でしたか。今度は、私たちが誰かにご馳走しましょう。最も豪華な食事とは、あなたのまごこころが込められたおもてなしです。

過去のわだかまりは、涙と共に流し去ろう
私たちもごちそうで示そう、歓迎と愛と喜びと励まし 
神は素晴らしい祝宴を用意される方

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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