ヨセフは、ベニヤミンとの再会を祝った後、ロバが積める最大量の穀物を兄達の袋に入れさせ、代金として支払った銀も戻させ、ベニヤミンの袋だけ、銀の杯を紛れ込ませるように管理者に指示を与えました。(1~3節)
「しもべどものうちで、それが見つかった者は殺してください。そして、私たちもまた、ご主人の奴隷になります。」(創世記44:9)
翌朝、兄たちが町を出て遠くに行かないうちに、管理者は兄たちを追跡し、「おまえたちのしたことは悪辣だ」(5節)と非難させました。銀の杯を盗んだという言いがかりを聞いて兄たちは怒り、そんな者がいたら犯人を殺しそれ以外の者は全員が奴隷になりますと述べました。兄たちの態度は正直で真剣で自己犠牲に富んでいました。(7~10節)兄達はいつの間にか良い人になっていました。大きな試練と取り返しのつかない失敗が兄さんたちを変えたようです。
長男から順に袋を調べると末っ子ベニヤミンの袋から銀の杯が出てきました。(11~13節)
ユダが答えた。「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」(16節)
四男ユダはヨセフに何の弁解もしませんでした。神が私たちの咎を暴かれましたと述べました。ベニヤミンだけでなく、全員が奴隷になりますと謝罪の意を表しました。ヨセフを奴隷に売った罪の罰を意識していたのかもしれません。
ヨセフは言った。「そんなことをするなど、とんでもないことだ。その手に杯が見つかった者、その者が私の奴隷となるのだ。おまえたちは安心して父のもとへ帰るがよい。」(17節)
ヨセフはあわてました。犯人のベニヤミンだけを奴隷にする、他の者は安心して父のもとに帰れと語りました。(17節)安心して帰れるはずはありません。
さて、今日の箇所では何が問題だったのでしょう。
ヨセフがベニヤミンの人生を支配したことが問題なのです。
あなたがベニヤミンならヨセフに何と言いますか。私ならこう言います。
ヨセフ兄さんは自分勝手だ。自分のことしか考えていない。兄さんは僕を泥棒に仕立てた。嘘をついてだました。どんなに僕が驚き落胆し恐怖を感じたか分からないだろう。事前に別室に呼んで、僕の意向を聞くこともできたはずだ。あなたこそ悪辣だ。
確かに兄達は意地悪だったが今は違う。正直で、思いやりがあり、過去の失敗を悔い、自己犠牲にあふれた良い人たちで、年老いた頑固な父のことまで心配している。利己的なヨセフ兄さんとご馳走を食べて過ごすより、情け深い兄さんたちと飢饉で死んだほうが何倍も幸せだ。さようならヨセフ兄さん。
人を自分の支配下に置いてはいけない。
人の人生に泥足で侵入してはいけない。
人の話にはきちんと耳を傾けよう。それは家族の中で特に大切な事です。
まことの神に目を向けましょう。神は、私たちに命を与え、限りない愛を注ぎ、いつも共にいて守って下さるのに、私たちを支配することなく、完全な自由意志を与えて下さいました。それだから、私たちは選ぶ喜び、自発的に行動する生きがい、選択に伴う責任を担えるのです。
ヨセフは成功して地位と力を持つと悪辣な人間になり、平気で嘘をつき、人の人生を支配する人間に堕ちてしまいました。
ヨセフを反面教師としましょう。ベニヤミンの苦悩に気づく人になりましょう。家族の一人一人の人生と選択を大切に考え、自由を奪うことなく、支配することなく、皆が笑顔になれるようにしましょう。
☐良い人でも悪くなる。悪い人でも良くなる。
☐人の人生を支配しないこと。
☐私たちの神は、自由意志を与えて下さった神。