「ユダが彼に近づいて言った」(19節)
11人の兄弟たちの前に巨大な崖のように立ちはだかったのがエジプトの最高権力者ヨセフでした。銀の杯が盗まれた事をヨセフは怒り、犯人のベニヤミンだけを残して立ち去れと命じました。誰がその言葉に逆らえるでしょうか。皆がうつむき諦めかけました。
そんな時、四男ユダがヨセフの前に進み出てヨセフに語りました。心にはある決断を秘めていました。
「彼に近づいて言った」ここにユダの自発性が表れています。自発性とは、船の舳先が波を切り裂いて前進するような勇気です。義務ではなく、強いられず、自分の意思で人生を切り拓いていくことにとても大きな価値があります。あなたの人生にもこのような瞬間が訪れます。主を信頼して、思い切って前に出てみましょう。あなたの一歩を自分で決めて進み出ましょう。
ベニヤミンの証言や表情を見れば彼の無実はすぐに分かりますが、ユダは憤ったり強圧的にヨセフに対処しません。支払った銀が自分たちの袋に戻った時に神の御手を感じたように(創世記42:28)、銀の杯が発見された事は摂理として受け入れ、怒り狂うヨセフに穏やかに話しかけ、今までの経緯を順々と説明しました。
ベニヤミンに会いたいと言われたのはあなた様です。彼を連れて来るのは骨が折れました。父が許さなかったからです。父の心はベニヤミンと結ばれています。もし彼を連れ帰らないなら老いた父は死ぬでしょう。
私はベニヤミンの保証人になるとの約束をして来ました。ですからお願いです。私をベニヤミンの身代わりにエジプトに残して下さい。私が一生あなたの奴隷として働きこの地で死にます。ベニヤミンを解放し父を救って下さい。
ところで、父親のヤコブは無意識に残酷な事を言ったことがありました。
あなた様のしもべ、私の父がこう申しました。『おまえたちもよく知っているように、私の妻は二人の子を産んだ。』(創世記44:27)
ヤコブは実質4人の妻を持ち、十二人の息子がいました。けれども、本当の妻はラケルだけで、正式な子供は二人だけだと言ってはばかりませんでした。他の息子たちを無視し、ヨセフとベニヤミンだけを子供とみなしていました。
これを聞いたユダは悲しかったでしょう。ユダの母親は父親に嫌われたレアでしたが、血のつながった親子に間違いありません。父に愛されず、認められなくても、ユダは父を死なせたくないのです。なんとしてもベニヤミンを救助し、父の命を助けたかったのです。
私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから(30節)
ユダの視点では、父とベニヤミンのいのちは結ばれて見えました。けれども、父とベニヤミンのために身代わりを申し出たユダこそ、父とベニヤミンのいのちと結ばれていたのです。いのちが結ばれた関係でないと身代わりにはなれないのです。
というのは、このしもべは父に、『もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります』と言って、あの子の保証人となっているからです。ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。(32~33節)
主イエスの姿とユダが重なって見えてきます。
民数記2:9によると、十二部族が荒野で行進する時はユダ族が先頭に立つように主が命じておられます。リーダーシップが長男から四男ユダに移ったことがみて取れます。救いイエスさまがユダ族の子孫から生まれていることも納得できます。(マタイ1:3)
☐ユダのように、自発的に前に進み出る人になろう。
☐誰かと心をつなごう。
☐主イエスは、私たちの身代わりになり、永遠の罰を受けて下さった。