2023年2月5日日曜日

創世記48:1~22

 今回も祝福について考えてみましょう。

ヤコブは臨終を迎えました。ヨセフは息子のマナセとエフライムを連れて枕元にやって来ました。ヤコブはベッドに座るだけて一苦労で(2節)、目は見えていません。(10節)

ヤコブはヨセフに言った。「全能の神はカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、仰せられた。『見よ、わたしはあなたに多くの子を与える。あなたを増やし、あなたを多くの民の群れとし、この地をあなたの後の子孫に永遠の所有地として与える。』(創世記48:3~4)

 ヤコブは過去に主から受けた祝福についてヨセフに語りました。ヤコブは若い頃、手に負えない自己中心な人間でした。そのため実家から夜逃げ同然で叔父の家に旅立ちました。その途中のルズ(ベテル)で神がヤコブを祝福して、多くの子供を与え、この地を与えると主は言われました。(創世記28章)

若き日のヤコブは独身で、約束の地から逃走している最中でした。約束の実現が不可能と思える状況にいました。けれども、「全能の神」が必ず実現すると確約されたのです。20年後にルズに戻った時には、子供が12人与えられていました。そして、神は同じ言葉を語られ、約束は忘れていない、約束は完全に成就する途中にあることを示されました。(創世記35章)

 祝福の本質とは何でしょう。神がその実現を保障してくださる約束です。祝福とは、言い換えるなら、神だけが見えている景色なのです。時間を造られた神は時間を超越して、約束が成就した時点を見ることができるのです。

 私たちが子供や孫のために祝福を祈るのは、私たちが受けた祝福を次の世代に継承する行為なのです。

 ヤコブは、ヨセフの二人の息子マナセとエフライムを孫の地位から、息子の地位に引き上げると宣言しました。(5節)ヨセフは二倍の遺産を受けたことになります。ヤコブからヨセフへの感謝の表れなのでしょう。

 ヤコブは手を交差させて右手をヨセフの次男の頭に乗せて祝福の祈りをしました。(14節)将来、弟が兄をしのぐとヤコブは予測していました。(9節)

 彼はヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。」(15節)

 ヤコブは、二人の孫のために、祖父アブラハムと父イサクの神が祝福して下さるように心を込めて祈りました。また、ヤコブが今まで生きて来て、体験的に知っていた神を一言で言い表して、その神が祝福して下さるようにと祈りました。ヤコブにとって、神とは羊飼いのような存在です。

 20年間、叔父の家で羊飼いをしてきたヤコブは、羊飼いの仕事を熟知していました。羊を危険から守るのが羊飼いであり、適切な場所に導くことも大事な任務であり、何より、どんな時も羊と共にいて羊を愛す存在が羊飼いでした。ヤコブにとって神とは羊飼いなのです。神に守られ、神に導かれてきたのです。聖書で初めて、神を羊飼いと述べたのはヤコブでした。

 ヤコブが、神の下さった祝福の約束を固く信じ通したという記述は聖書にありません。むしろ、神の約束を忘れて、人生の波に翻弄されていただけの人生でしたが、気づけば、子供や孫が70人に増え、エジプトで落ち着いた老後を迎えていました。羊飼いである神にずっと導かれて来たのです。

 神は、あなたにとっても羊飼いです。そのことを感謝しましょう。ずっと離れずにいましょう。神の祝福を、子供、孫、後輩たちに継承しましょう。心を込めて、声を出して、祝福を祈ってあげましょう。

 

☐神の祝福を子供たちや若い世代にあかししよう。
☐子供たちが祝福されるように祈りましょう。
☐神は私の羊飼いです。

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