ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に おまえたちに起こることを告げよう。(創世記49:1)
神の祝福とヤコブによる祝福の違いを確認しておきましょう。神の祝福とは将来の幸せを約束したものです。子孫が増える事と約束の地を与えるという希望に満ちた将来を神は保証されました。また、祝福を受ける人物の不完全さに関わらず恵みを実現するのが神の祝福でした。
一方、ヤコブの祝福は、恵みの約束とはだいぶ異なり、息子達の過去の評価に基づくもので、場合によってはネガティブな未来を予測しています。また、ヤコブは人間ですから未来予想図を確約する完全な力はありません。
ただし、息子12人の特徴を良く知っていることは父親として立派で、それぞれにふさわしい祝福を与えたと言えるでしょう。イッサカルはロバ(14節)、ダンは蛇(17節)、ナフタリは雌鹿(21節)、ベニヤミンは狼(27節)という具合に、その人の性格や今後の生き方を的確にとらえています。
3~27節までにヤコブの祝福の祈りが記録されており、長男から末っ子の順になっています。
(5~6節)ルベンは「わが初穂」と呼ばれ長男として期待されていましたが、父のそばめビルハと床を共にした破廉恥な罪のため(創世記35:22)、長男の特権を奪われました。シメオンとレビは、妹ディナに関わる虐殺事件を起こしたことで(創世記34:25~28)厳しく責められました。
過去の失敗や罪は、悔い改めと謙虚な生き方によってやり直しは可能です。場合によっては将来の祝福の入り口にさえなります。年長の3人の息子はヤコブから厳しい言葉をもらいましたが、それもまた父の愛の表れです。レビ族はその後、祭司を助け礼拝と神殿のために奉仕する部族になっていきます。
ユダよ、兄弟たちはおまえをたたえる。 おまえの手は敵の首の上にあり、 おまえの父の子らはおまえを伏し拝む。ユダは獅子の子。わが子よ、おまえは獲物によって成長する。 雄獅子のように、雌獅子のように(創世記49:8~9)
(9~10節)ヤコブはユダの将来を明るく祝福しました。12部族で首位の座を与えられ、その力はライオンにたとえられ、王権がとどまり、その繁栄はぶどうの実によって象徴されました。ダビデ王はユダ部族出身であり、救い主イエスさまもユダ族の子孫としてお生まれになりました。ユダがベニヤミンの身代わりになり命を投げ出した勇気と犠牲が祝福のきっかけになったのです。
誰かのために貴重なものを投げ出した人は、失うのではなく祝福を受けることになるのです。「受けるより与えるほうが幸いである」(使徒20:35)とイエスさまが言われたとおりです。あなたにもライオンの心が与えられています。主から勇気を頂いて行動しましょう。
ヨセフは実を結ぶ若枝、 泉のほとりの、
実を結ぶ若枝。 その枝は垣を越える。(22節)
(22~23節)ヤコブはヨセフを「実を結ぶ若枝」と表現して祝福しました。若枝は実りと希望を象徴した言葉です。ヨセフが奴隷生活に耐えてエジプトの指導者に立てられ、ヤコブの一族の生活を守ってくれたことをヤコブは高く称賛し感謝しているのです。
モーセの後継者ヨシュアはヨセフの子エフライム族(民数記13:8)から出ます。また、ミデヤン人と戦った士師ギデオンはヨセフの子マナセ族(士師記6:15)の出身です。
神は私たちの中にも「実を結ぶ若枝」を見ていて下さり、将来の結実を期待して待っておられます。寒い冬につぼみをふくらます梅の木のように、あなたの中にも将来の祝福がつぼみとなってその日を待っています。あなたも実を結ぶ若枝です。
☐子供たちや後輩のため、将来の祝福を祈ろう
☐失敗を祝福の入り口にしよう
☐私を獅子のように強くし、若枝のように育てて下さい