嫁のルツは畑で一日仕事をして帰ってきました。義理のお母さんが夕食を準備して待っていたかもしれません。大麦の袋をどさっと置いて、ランチの残り物をお土産に出して一緒に食べ始めたタイミングで、ルツは今日一日の出来事を詳しく話したことでしょう。
ルツが担いで来た1エパ(23㍑)の大麦を見てナオミはびっくり仰天しました。落穂拾いでもらえる量としては異常なほどに多いのです。ナオミは事態を瞬時に読み取り、農園主が特別な親切を示してくれたと分かったので、祝福の祈りをささげ、感謝を表しました。(17~19節)
夕食の席で私たちは、今日起きた何気ないことを語り合います。普通の出来事であっても、信仰の目で見直すとまったく違って見えてきます。主のご配慮、御恵みを見つけることができます。感謝と賛美と安心が生まれます。日常生活は主の恵みにあふれているのです。
ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」ナオミは、また言った。「その方は私たちの近親の者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人です。」(ルツ記2:20)
畑の持ち主ボアズは、ルツの親孝行、大きな犠牲、明確な信仰告白を知って、自分にできる方法でナオミとルツを応援しようと心に決めました。
ボアズがルツに親切にしてくれたとナオミは分かりました。神からの祝福がボアズさんにあるようにと二度も祈りました。生きているナオミとルツが恵みを受け、死んだ夫も息子たちも喜んでくれるだろうと考えました。神は御恵みを惜しまない方なのです。
私たちも誰かの祝福を祈る人になりましょう。
飢饉の時に、ナオミとエリメレクは先祖代々の土地を売り払ってモアブに逃げたのです。今は自分たちの土地を買い戻すお金を持っていません。でも、ボアズさんが望むなら優先的にナオミたちの土地を買い戻すことができます。ボアズはそういう立場の親戚だったのです。「買い戻しの権利のある親戚」という長い言葉は、贖い主という意味で、ヘブル語ではゴーエール、英語はRedeemerです。
主イエスとボアズは似ています。普段の生活では恵みを注いで私たちを支えてくれます。そして、いざという時には大きな代価を払って私たちを買い戻してくれます。
「私を贖う方は生きておられ、ついに、土の上に立たれる。」(ヨブ記19:25)
ボアズさんはルツに、続けて彼の畑で働きなさいと言ってくれました。刈り入れが終わるまで働きなさい、そして、若い女たちのそばにいなさいと言ってくれましたとルツは付け加えました。(21節)ナオミは、それを聞いて喜び、それなら外国人であること、貧しいこと、新参者であることのゆえのいじめにあわなくて済むと胸をなでおろしました。(22節)
ルツは大麦の刈り入れの初めから小麦の刈り入れが済むまでの春の期間、ボアズの畑で働くことをゆるされ、義理の母と嫁は幸せに暮らせました。
□主は、私たちの日常生活の中に御恵みを惜しまず注がれる。
□今日起きた事を、信仰の目で見直そう。
□ナオミのように周囲の人の祝福を祈る者になろう。