パウロは手紙の口述筆記を一旦止めて、エペソの人々のために祈り始めました。この流れがとても自然で新鮮です。私たちも、説得、計画、考慮、相談などを中断して祈ってみましょう。暗礁に乗り上げた事柄も、誰かの行く末が心配な時も、膝をついて祈ると別な世界が開けてきます。今日の箇所(14~21節)全部がパウロの祈りです。パウロの言葉を手本にして祈りを学びましょう。
パウロのこの祈りはゴシック建築のように入り組んでいます。父なる神の本質を詳細に述べ、祈りの実現には聖霊の助けや主イエスの仲立ちや信仰が必要なのでそれらの内容を加え、所々にぐっと力が入るので込み入って見えます。
けれども、ゴシック建築の教会堂に力強い塔がそびえ立つように、今回のパウロの祈りにはいくつかの特徴がはっきり見て取れます。エペソの人々の行動や外側の事を祈らず、内面に集中して祈っています。コロサイ1:9~12にも手紙の途中の祈りがありますが、人々の日々の歩み、実を結ぶこと、忍耐できるようにという行動面の祈りが全面に出ています。エペソ人のためには、内面が整えられる事を第一に祈りました。内面が変われば外側の行動が変化すると知っていたのです。
私たちの子供への祈りや友人のための祈りは「外なる人」に関わる祈りが多いです。時にはパウロのように、内面的で本質的なことを祈ることも必要です。
「内なる人に働く御霊により……あなたがたを強めてくださいますように。」(16節)
「あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように」(17節)
「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。」(19節)
パウロの祈りの柱は、1)内なる人が強くなるように、2)キリストが住んでくださるように、3)キリストの愛を深く知ることができるように、となります。
人生を飛行機の操縦にたとえるなら、あなたが副操縦士の席に座り、イエスさまに機長になってもらいましょう。キリストが私の心の真ん中におられるなら、人生で直面する出来事への対処が変わってきます。内なる人が強くされるので、外なる人の問題の核心が見えるし、判断力や勇気が与えられます。そのためにも、キリストの愛の深さ広さを借り物でなく自分なりにしっかりと受け止めておきましょう。
「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」(19節)この祈りは矛盾を含んでいます。キリストの愛は人の理解を超えているので、本来、人間には理解不能です。しかし、人間の悟りを超えた理解方法があります。神からの啓示があるなら大丈夫です。祈りとは無限の神への願いです。祈りに制限を付ける必要はありません。だから、「神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように」(19節)と祈って良いのです。
20、21節は神の栄光をたたえる頌栄の祈りです。祈りの最後のテーマはいつも神の栄光です。
「どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に」(20節)
神の素晴らしさは、私たちの願うところを超えて祈りを実現して下さる点にあります。最終的には私たちの願いと違う結末になっても、よく考えてみると、そのほうがもっと素晴らしい結論があり、神の栄光が表れたと分かります。
□活動を中断して、祈りましょう
□キリストの愛を深く知り、キリストに住んで頂きましょう
□私たちの願いを超えた神の栄光が実現しますように