パウロは、4章からクリスチャンの具体的生活を語り始めました。
1〜16節においては、まずクリスチャン生活の基本指針を述べました。その方針をひとことで言うと、キリストのからだをみんなで造り上げよう、となります。
神の国をつくる働きに召された私たちですから、教会の内部的にはこうした指針を持つことが必須となります。
1~6節:みんな違うが信仰は同じ。7~11節:神は各人に異なる賜物をお与えになった。12~16節:違う人々が組み合わされてキリストのからだが造られる。
クリスチャンが陥りやすい罠は、自分だけがスーパークリスチャンになろうとすることです。そうした霊的個人主義は、熱心なクリスチャンほど急進的になりがちです。パウロの視点に注目してください。キリストのからだ全体の成長を目指しています。他の人とつなぎ合わされ、組み合わされて初めて皆が建て上げられるのです。
「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」(1節)とあります。エペソ人として召されたならばエペソ人であることに誇りを持てば良いのです。ユダヤ人になる必要はありません。ただし謙虚で寛容であることを心掛け、平和を作りながら、ユダヤ人と共に生きる道を求めて行くようにパウロは勧めました。
あなたは教会で嫌いな人が二人くらいいるでしょう。それ以外にも、考え方や行動パターンの違う人が複数いることでしょう。違っているから良いのです。異なっていても皆が同じ一つの信仰を持っています。
「からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」(4〜5節)とある通りです。
あなたと同じく考え感じ行動する人ばかりの教会になれば楽だと考える人がいますが、そうなるとカルト教会と同じになります。違う人が組み合わされるからキリストの体が造られるのです。
「キリストの賜物」(7節)、「贈り物」(8節)とあるように、主は各人に異なった賜物をお与えになりました。
第一コリント12章にはさまざまな賜物のリストがあります。使徒や牧師の賜物もそのリストの一部に書かれていますが、使徒や牧師は聖徒たちを整え、キリストのからだ全体を建て上げるために用いられるのです。(11節)
あなたに与えられた賜物は何ですか。「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。」(第一コリント12:7)とあるように、各人に与えられた賜物は周囲の人たちのために用いられるのです。それが、キリストのからだを建て上げることにつながります。
「キリストによってからだ全体はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」(16節)
色々な言葉を使ってパウロは建て上げるという意味を深めています。「成長」(15、16節)、「成熟した大人」(13節)、「満ち満ちる」(13節)、「建て上げる」(12、16節)
あなたは、キリストのからだを建て上げるために召されています。何をして貢献しますか。
□異なる人々がいてこそキリストのからだ
□組み合わされ、つなぎ合わされて、みんなでキリストのからだを建てよう
□私たちはキリストのからだを建て上げるために召されている