2023年12月24日日曜日

ルカ2:1~7 飼葉桶の救い主

「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。」(ルカ2:1)

 ローマ皇帝アウグストゥスはBC27AD14年にその地位にありました。アウグストゥスの名前が書かれているのは、イエスさまが歴史上の人物であることを証明するためです。

 ローマ帝国の最高権力者アウグストゥスの命令は辺境の地ユダヤにも届き、ナザレの田舎に住んでいたヨセフも国勢調査のため実家のあるベツレヘムに戻っていました。

 「ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(6~7節)

 グーグルマップで調べると、ナザレからベツレヘムまでは約190キロと表示されました。最後の行程は長い上り坂になり、妊婦には辛かったことでしょう。徒歩で行くなら42時間ということなので、普通に歩けば5日以上かかります。

一家の世帯主が出頭すれば良かったかもしれませんが、ヨセフはマリアをナザレの村に一人残すことに不安があったのでしょう。「いいなずけ」の立場で(5節)妊娠したマリアなので周囲の人にいじめられる可能性がありました。マリアにとって、ナザレに居場所が無かったのです。

ヨセフとマリアは貧しく若い夫婦でした。その二人のもとにイエスさまが生まれて下さったのです。ですからクリスマスは、貧しい人に励ましを与えてくれる日です。

「宿屋には彼らのいる場所がなかった」とあるように、ベツレヘムの宿屋は住民登録でやって来た人で一杯でした。それで、ヨセフとマリアには部屋がありませんでした。この事は、現在、居場所のない人に慰めを与えてくれます。救い主イエスさまは、居場所のない人の友となってくれたのです。

皇帝アウグストゥスの命令に翻弄されたヨセフとマリア。それは、現代社会で権力者からひどい扱いを受けている人々を励ましてくれます。

付近で野宿していた羊飼いに天使が現れ、救い主が生まれたからベツレヘムに言って赤ちゃんを見て来なさいと教えてくれました。(ルカ2:8~20)その赤ちゃんの印は「飼葉桶に寝ている」(12節)ことだというのです。当時も今も、家畜の餌箱の上に赤ちゃんを寝かせる人はいません。だから印になったのです。栄光の神が人となるために地上に下り、飼葉桶に寝て下さったのです。ここに主イエスの謙虚さが表れています。人々の罪を背負い十字架で苦しんで下さる方の第一歩が始まったのです。

アウグストゥスはAD14年8月に亡くなり、死後に神格化されました。それで、8月をアウグストゥスの月とし、ラテン語でAUGUSTUS、英語ではAugustと呼ぶようになりました。現在、皇帝アウグストゥスの石像は博物館に冷たく立っています。8月をお祝いすると言う話はあまり聞こえてきません。

けれども、旅先のベツレヘムで誰にも知られず貧しく生まれたイエスさまの誕生日は世界中で盛大に祝われています。イエスさまは、人々の心に受け入れられ、多くの人に光と喜びを与え続けています。
 メリークリスマス。救い主は確かにお生まれになりました。

□イエスさまはベツレヘムでお生まれになった歴史的な人物です。
□貧しく、居場所のなかった夫婦に、主イエスは生まれた。
□救い主イエスさまを心にお迎えしましょう。

2023年12月17日日曜日

詩編7篇 ほめ歌をうたえ

47篇を貫くテーマは、王としての神をたたえる内容です。
 さらに詳しく内容を見ていくと、賛美と宣教と希望の3つの要素を持った詩編であることが分かります。

「すべての国々の民よ、手をたたけ。喜びの声をもって神に大声で叫べ。まことに、いと高き方主は恐るべき方。全地を治める大いなる王。」(詩編47:1~2)

詩編47篇では、エルサレムの住民が世界の人々に神を王として紹介し、大歓声を上げ、手をたたき神を喜びなさいと呼び掛けています。神への賛美の方法で「手をたたけ」と言われているのは詩編の中でこの箇所だけです。

「すべての国々の民」「全地」に賛美と礼拝を呼び掛けているという点から見て、宣教的な詩編だということが分かります。「恐るべき方」「大いなる王」「いと高き方」「大いにあがめられる方」を世界の人々に知ってもらいたいのです。

近所の人に、「私たちは日曜日の午前中はいつも礼拝に行きます。素晴らしいですよ、ご一緒に行きませんか。」と話すなら、それこそが詩編47篇の目指すことです。

「ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。
ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。」(7節)

聖書の礼拝の特徴は歌うことにあります。今から3000年以上前から聖書の民は声を出して歌ってきました。時代が変わっても新しい歌詞とメロディーが生まれ、礼拝者は歌い続けています。ほめ歌を歌う時、理性的に神についての信念を告白するだけでなく、感情をこめて、明確な意思を伴って全人格で主をたたえています。

 残念なことに、現在の世界は不正と戦争と不平等と悲惨さがあふれています。愛の神、きよい神、正義の神、赦しの神、力ある神が世界を完全に治める日が来ることを私たちは節に願っています。
 
ヘンデルのハレルヤコーラスは黙示録19章の聖句をそのまま歌っています。神が王として世界を治める場面を、「ハレルヤ、私たちの神である主、全能者が王となられた。」(黙示録19:6)王の王、主の主として高らかに歌っています。ヘンデルのメロディーを聞いても心が躍るのですから、神が王となる日の喜びはどんなに素晴らしいことでしょう。

 詩編47篇は、神が王として完全に世界を治める日が来ることを予告しています。困難な現実が目の前にありますが、その日が来ることを励みに生きることができます。

「まことに神は全地の王。ことばの限りほめ歌を歌え。」(7節)

「主の祈り」の冒頭部分と詩編47篇の内容を重ね合わせると興味深いことに気づきます。
主の祈りでは、私は天の父をたたえます、私は個人として神の名前をあがめます、とは祈っていません。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように、御国が来ますように」と祈ります。

主の祈りには、神を賛美する思いと共に、世界の多くの人と共に神を礼拝したいという宣教的な思いが内包されています。

「御国が来ますように」との祈りは、神が王座に着き、完全な形で世界を治める日が来ますようにという願いでもあります。

このような観点からも、詩編47篇は主の祈りの精神を先取りしている詩編とも言えます。

最後にもう一言加えます。王としての神は、一番最初に私たちの心を神の国として下さいます。私たちが神を王としほめ歌う生活が始まるなら、小さな御国は開始されました。私たちは神の国の建設員となりました。ですから私たちは、神にほめ歌をうたい、宣教の心を持ち続け、希望ある未来を信じて、神の国を作る一旦を担うのです。

 「神は大いにあがめられる方」(9節)

□王である神にほめ歌を歌う
□人々を礼拝にお招きしよう
□神の国を作る者となろう

2023年12月10日日曜日

詩編46篇 神は避け所

あなたにとって神はどんな方ですか?
 その神を知っていることにより、あなたの心はどんな状態になっていますか? 

詩編46篇の作者に尋ねたらこういう答えが返って来るでしょう。神は、避け所であり、力であり、助けだと知っています。だから恐れません。

普通、恐れは幸せな時には感じません。困難、悩み、敵の攻撃、病気に襲われた時に感じるものです。どんなに悲惨な事になるか想像がつくので、悲観的になるのです。
 46篇では、様々な危険が迫っていることを承知しつつも、「恐れない」と宣言しているのです。これは信仰告白そのものです。私たちも「恐れない」と言える人になりたいです。

「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。それゆえわれらは恐れない。」(詩編46:1~2)

神とはどんな方でしょう。避け所です。私たちが弱り果てて逃げ込む以外に道がない時、神が避難所になってくださいます。旧約聖書の時代なら、敵に追われて逃げ込む砦があるのと同じです。そこには矢も槍も届きません。

時には戦う必要がありますが、そんな時に力を貸してくれるのが神です。そこにある助けという意味は、助けがすぐそばにある、いつでも神は助ける用意をしているという意味です。

こうした信仰を持っているので、何が起きても恐れないと言えるのです。たとい山が海に沈み白波が湧きたつような大事件になったとしても、恐れないと言い切りました。(1~3節)

 「川がある。その豊かな流れは、神の都を喜ばせる。」(4節)とありますが、エルサレムは山の頂上にある町なので川は流れていません。神が避け所であると分かった人は、目に見えない祝福の川がいつも流れていると気づいた人なのです。

 

 かつてヒゼキヤ王はアッシリア軍に包囲され窮地に陥ったことがありました。ある朝、神の奇跡が行われました。敵兵18万5千人が何らかの理由で死んだということが第二列王記19:35に書かれてあります。詩編46:5~10の内容と良く似ています。
 「神は朝明けまでに、これを助けられる」(5節)
 「来て、見よ。主のみわざを。主は地で恐るべきことをなされた」(8節)
 「やめよ。知れ、わたしこそ神」(10節)

 ヒゼキヤ王の出来事と良く似た出来事がありました。預言者エリシャの家を隣国アラムの兵隊が取り囲んだことがありました。エリシャに仕える若者は取り乱しましたが、エリシャが祈ると若者の目が開かれ、天の軍勢が山に満ちている姿が見えました。(第二列王6:17)神とは大勢の兵士らの上にたつ司令官なのです。ですから、神を「万軍の主」と呼ぶのです。万軍の主という表現はイザヤ書に50回、エレミヤ書に70回出てきます。

 「万軍の主はわれらとともにおられる。
 ヤコブの神はわれらの砦である。」(7節、11節)

 7節の言葉は11節でも繰り返されています。礼拝の時、この部分を民衆が歌い、その他はレビ人の賛美リーダーが独唱したのでしょう。

 「ヤコブの神」とあります。わがままで人を押しのける弱さ丸出しのヤコブを見捨てないお方が神なのです。神とは力ある方、万軍の主でありつつ、弱い者を支えて下さるあわれみ深い神でもあるのです。そのような神を知っているので、恐れないのです。

 この詩編の素晴らしさは、「我ら」という言葉にあります。本来、恐れの感情は周囲の人々に伝染し、弱気や心配を増幅させるものです。神を避け所と確信した人は、恐ないという信仰を持ち、その信仰を周囲の人にも伝えるのです。それで、「それゆえ、われらは恐れない」と告白するようになったのです。詩編46篇から見えて来る景色は、民衆が肩を組み、神は我らと共におられる、神は我らの砦であると賛美し主を礼拝する姿です。

あなたの番です。今日、心配事がありますか。まず、1節と2節を暗記して下さい。あなたが信じている神がどんな神かを確認しましょう。その信仰を土台として、我らも恐れないと告白しましょう。

 □神は避け所、苦しむ時にそこにある助け。
□私たちは励まし合い、恐れない。
□万軍の神、ヤコブの神が共におられる。

 

2023年12月3日日曜日

詩編45篇 王の婚礼

  詩編の中には、2、20、21、72篇など王をテーマにしたものがあります。詩編45篇の主題も王で、特に王の婚礼について述べられています。前半の1~9節は花婿である王を描写し、後半の10~17節は花嫁について語られています。

「あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたの唇からは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。」(詩編45:2)

「あなた」は王を指しています。共同訳聖書では「誰よりも美しく」と訳されています。王の麗しさ、美しさ、優しさが強調されています。

それだけではなく、王は勇士であり、威厳があり(3節)、真理と柔和と義を持ち(4節)永遠性を兼ね備えていると書かれています。(6節)また、この王は神によって油注がれた方だと説明されています。こんなに素晴らしい王が実際にいるのだろうかと思えてきます。

「あなたは義を愛し悪を憎む。それゆえ神よ、あなたの神は喜びの油をあなたに注がれた。あなたに並ぶだれにもまして。」(7節)

 へブル人への手紙1:8~9で詩編45篇6~7節が引用され、ここに書かれた王が御子イエスさまであるとの解説がなされ、「御子については、こう言われました」と明記されています。素晴らしい王とはイエスさまのことだったのです。

 

10節からは花嫁へのアドバイスや婚礼時のきらびやかな様子が描かれています。

「娘よ、聞け。心して耳を傾けよ。あなたの民とあなたの父の家を忘れよ。そうすれば王はあなたの美しさを慕うだろう。彼こそあなたの主。彼の前にひれ伏せ。」(10~11節)

生まれ育った家の風習から離れ、結婚相手の王に仕えるようにとの指示です。かなり厳しい言い方ですね。でも、私たちのために命を捨てて下さった麗しい主イエスのためなら、私たちは進んでお仕えすることができます。

黙示録では、花婿であるイエスさまと花嫁である教会の婚礼の時が来ると述べています。
「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。」(黙示録19:7) 

一般的に言って、結婚式の時の新郎と新婦は生涯で最も輝いています。詩編45篇には、優しく威厳がある王と、王に仕える喜びで輝く花嫁が描写されています。

詩編の内容は、結婚式の様子から王の家系の繁栄に移り、永遠の王をたたえる礼拝となって終わります。

「私はあなたの名を代々にわたって呼び求めよう。それゆえ国々の民は世々限りなくあなたをほめたたえよう。」(17節)

今日のまとめをします。
 イエスさまが油注がれた救い主であり、まことの王である事を認めましょう。優しさと力の両面を持ち、真理と正義と柔和さを備えた方で、私たちにとっての美しい救い主なのです。
 私たちは、その素晴らしく麗しい王に仕える王国の国民です。「喜びをもって主に仕えよ」(詩編100:2)という有名な聖句のように、主イエスを礼拝し、主イエスに仕え、美しい主イエスを広く伝えましょう。

□主イエスは美しくて強い王
□主を喜び、礼拝して仕えよう

ヨハネ20:1~18 ラボニ

 「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」(ヨハネ20:2)   マグダラとはガリラヤ湖西岸の町の名で、ティベリアの北にあります。マグダラのマリアは、ルカ8:2によると7つの悪霊を追い出して病気を癒してもらった人で、マタイ27...